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東京画廊・山本豊津氏の著作から学ぶ現代アート/前編~アーティスト向け学習ポイント

みじんこブックレビュー, みじん講義

東京画廊・山本豊津氏の著作から学ぶ現代アート/前編~アーティスト向け学習ポイント

本のオーダーいっぱいありがとうございます。今回ご紹介する東京画廊・山本豊津氏のアートは資本主義の行方を予言するは、近代・現代のアートの歴史がまとめられており、現代アートの作家として必要なこと、学ぶべきことがまとめられているので、ご一読をおススメします^^
まとめてたら長くなったので、記事は前後編に分けました。

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アーティストが学ぶべきこと

「客観的に価値判断を行えるだけの情報量をもち、それらを取捨選択し、結びつけて新しい価値を創り出すキュレーション能力」がアーティストには必要だと山本氏は語ります。作品が美術の世界、歴史の中でどんな意味をもつのか。発想の転換や飛躍が自己満足のうちは価値はつくれない、と。

合わせて読みたい  アートは資本主義の行方を予言する(山本豊津)

社会の中でどういう意義と意味があるのか、そうした開かれた視点と判断がなければ、多くの人が共有できる価値とはならない。

「多くの人が共有できる価値」
歴史に残る美術と自分で好きにつくってる作品との違いがここかと。そして、この視点はアートがあらぬ方向に向かわぬためにも重要なのです。
よく、アートには驚きが必要、それが本当に作品なのか、議論が生まれるのが良い作品、なんて言いますよね。この定義だけでいうと、下手すると911のテロが最高のアートになっちゃいますから。だって、あんなにみんなが驚かされ、あんなに議論されたものって他にないですよね。
でも、テロは多くの人が共有できる「価値」はないです。多くの人が共有できる価値というのはつまり、現代アートって人類共通の美の価値を創ろうとしてるんですよ。私が現代アートに惹かれる理由の一つがこれです。
印象派が当時、批判に耐えつつ戦ったおかげで、今では超抽象的な作品も「あら素敵」って思ってもらえるようになった。人類すべての「美」が写実的だった頃よりも開かれたんですよね。それからすると「自分の感性のまま絵にしました」というものが、歴史に残る美術にならないのは分かる気がしませんか?だって、それって今あなたが言わなくても、すでに芸術として認められてるんですよ。150年前に言えてれば新しかった。でも今、感性のみを主題にするということは「映像をそのまま記録できる写真機が一般的になるんです!」と言ってるのと同じこと。いや、もうなってるよと。

参考リンク  漫画で分かる西洋絵画の見方「第5回写実主義から印象派へ」

アーティストに作品について聞く時のポイント

山本豊津さんが学生に「アーティストにはこれを聞けば作品の内容が分かる」と勧めていることです。作品は素材、技術、コンセプトの3つからなると山本氏は考えているので、

1)素材は何か
2)どんな技術で作ったのか
3)どういう意図で何を表現したくて描いているのか

これを聞けば作品の内容が分かると。逆に言えばアーティストは、この3点について説明できる言葉をもっておくべき、ということですね。

アーティストが作品を説明する時のポイント

売り買いされるモノである以上、美術も言うなれば商品です。良い作品だからといって、なんの説明もなく展示していても、高いお金を払って購入する人はなかなか現れない。特に画廊は売るのが仕事なので、価値を説明する必要がある。アーティストもそれは同じ。少なくとも自分の最初の味方である画廊を説得する言葉をもたなければならない。
直島に個人美術館もあるモノ派の李禹煥氏が「作品を見てすぐ理解できることはありえない」とし、作品の脇に立って、自分の作品の意味は何かを見に来た人に徹底的にしゃべるようにした、というエピソードが本書では紹介されています。そのうちに価値が分かる理解者が現れ、展覧会を企画してもらえるまでになったと。
しかし、説明って何をしたらいいんですかね?画材?コンセプト?制作意図?
それもそうなんですが、山本氏が挙げるのは下記の2点。

1)自分の作品が日本の芸術や文化の文脈の中でどのような位置にあるのか
2)世界の近現代美術とどのように関係しているのか

漫画的な平面画が鎌倉時代の鳥獣戯画につながるように、評価されるアーティストは一見、突飛に見えても根っこが歴史につながっているのだと。歴史性と物語性がグローバルな時代には特に必要になっており、海外の評論家もコレクターも、日本の現代アートをそのような文脈の中で理解しようとする、と山本氏は指摘します。

なかなかハードル高いポイントがきましたね。日本の芸術、世界の美術史が分かってないと、とても説明できない。しかし、アーティストは歴史家ではないわけです。簡単にいうと自説に根拠がいらない。自分はこう思うと根拠なく言い張っていいのです。

仮説を立てる

だからまず、私がお勧めするのは現時点での「仮説を立てる」こと。これは、自分の作品のゼロ地点を決めるということです。自分がアーティストをやめる時まで、これはずっと改善していくことなのですが、ゼロ地点がなければ迷走がつづいてしまうので、いったん、こじつけでいいので仮説を立てる。


系統樹(2017 – )

この2つの説明ポイントは、現時点で私の課題です。正確に言えば永遠に終わることのない課題です。特に日本の芸術史との関係性ですね。しかし、いったん仮説を立ててみましょう。
 完成され、恒久的な物を良しとする西洋と違い、日本の美とは侘び寂びに象徴されるように、変化していく様を受け入れる姿勢からきている。Ouma作の多くは鑑賞者が触れることができ、作品は展示中にも作家の意図を超えて変化しつづける。そこに明らかな完成、終了の形式はなく、時に無様に破壊されることすら受け入れる諸行無常の美がそこにはある。
代表作の一つ「系統樹」では、作品全体を構成する1ピースは購入された人たちの手に渡り、世界中に散っている。全体を構成する作品は失われながらも増殖をつづけ、作品が完成することは永遠にありえない。小さな一ピースが一つの作品として成り立っていることは、すべてのモノに神(生命)が宿るという神道の考え方が反映されている。
 また、現在のアート界で成功している作家は、工房型で量産する作家が多い。手足となるアシスタントたちは名前すら残ることはない。そこにチームラボやChim↑Pomのように集団で活動する作家が現れた。Ouma作品のうち、SORAプロジェクトにおける作品では、参加する人たちによって不定形のアーティストグループが形成されている。不定形というのは、参加した人が希望すれば、作品を返却するつもりがあるからだ。しかし、全体としての作品は増殖をつづけており、個々の作品はそれぞれの、しかし全体としての作品はOumaの作品であることを示している。
 インターネットの発達により、現代は知識や場所、資産などさまざまな資源を「シェア」できるようになってきた。個人が所有していても利用しきれないものを、全体に還元する。そもそも自然の中には個人的な所有というものは存在しなかった。私たちはもはや、個人的な所有を必要としていないのではないか、Oumaは問いかける。


SORA project(2013 – )

ちょっと長いですね。誰かに話す時はもっと端的にまとめられるといいです。が、まずはなんでもいいので、とりあえず何か言おう。この段階で完成されている、洗練されている必要は全くないので。
一言でいうなら私の作品の根幹にあるのは、「集合生命」という考え方です。一つの生命でありながら、全体を構成する生命の一部であるという考え方で、言葉は私の造語です。自然界がこれで成り立っているので、元獣医が目指す現代アートとして行きついた自然な結論です。生命の最小単位とされている細胞の中にも、別の生命だといわれるミトコンドリアが一緒に住みついている。「生命」という区切り自体が人間の定義にすぎず、もともとそんなものは自然の中には存在しなかった。
誰かに説明する際には、自分の作品の根幹を表す一言を創作しておくとよいかもしれません。前の記事で書いたマツダの「魂動」みたいにね^^
ちなみに、本書の中で「自然と対立して永遠に残る物を求めるのが西洋の芸術だとすれば、日本の芸術は時間と共に変化し消えていくという観念があります」という文章があり、これは全ての日本人作家にとって何かしらのヒントになるのではないでしょうか。
仮説を立てるというのは、物事に対して注目しやすくなるということです。心理学でいうカラーバス効果みたいなこと。自分の仮説を肉付けするための他者の作品や考え、出来事などを収集しやすい状態に自分をもっていくということ。そのための仮説です。

良い画家というのは作品を作る才能と同時に、その作品にどんな価値があるかを客観的に判断できる能力がある人です。

主観と客観がせめぎ合い、初めて作品としても商品としても価値のある芸術が生まれる。主観のみの作品は「閉じた作品」であり、社会性がないため、美術としての価値がない。商品としても売れない、と。作品を商品って言われるとしょんぼりするかもしれませんが、Wikipediaによると、商品(しょうひん、英: product, commodity)とは、経済活動において生産・流通・交換される物財のこと。売り買いされる物は全部商品です。しかし、客観性がない閉じた作品は「多くの人が共有できる価値」がないんですよね。なら、誰にも見せず売らずでやってけばいいこと。

売れる作品をつくることは何かにおもねることなのか

アーティストは「制作者であると共に、良き批評家であれ」と山本氏は言います。作品と対峙した時、いい作品はどんなメッセージを発しているかに関わらず品格があるのだと。はったりやごまかしがなく、何にも取り入ろうとしない姿勢、その態度を維持するには、自由であること、自分の価値と感覚で自立していることが必要。そう本書では結ばれていますが、自由・自立ってどういうことなんでしょうね。
私は作品がちゃんと売れたいと思っていますし、どうしたら売れるかどうかも考えながら創っています。なぜなら、売れたほうが多くの人が幸せになると思ってるから。著名なアーティストがある地域の人たちに依頼して作品をつくり、それがその土地の経済活動を活性化させた話なんかもあります(蔡國強だったかな、忘れましたが)。
売れないと画廊はつづけていけないし、売れる作家だったほうがあちこちに呼ばれるチャンスも増えますよね。作品を通じて人に会える機会も増えるわけです。アートは観光資源にもなる。私は現地の人と作品をつくり、その土地に作品を置いてくることがしたい。世界各地にそういう不完全な作品があり、その全部が一つの作品を構成するようなものが創りたい。それを実現するためには、作品がもっと売れる必要があるし、作品が売れるというのは、そのまま名が通ってることを意味する。もし、それが不純だというなら、純粋に不純を目指そうかなと思います笑。
と、書いてますが、本書では「作家は売れる作品を作らなければいけない」とも書かれています。売れる作品をつくるってめっちゃ取り入ってんじゃん!って思いそうですが、後編ではその辺を考えていきたいと思います^^お楽しみに!

合わせて読みたい  東京画廊・山本豊津氏の著作から学ぶ現代アート/後編~売れるアート作品のつくり方を考える 現代アートについて考える~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ


みじんこは、売れる作品をつくろうとしています!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「取り入るよっ。」
「おもねっちゃうよー」

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