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バルセロナと東北を結ぶ311イベント「KOREKARA JAPON」~離れていても忘れない、バルセロナからのメッセージ

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バルセロナと東北を結ぶ311イベント「KOREKARA JAPON」~離れていても忘れない、バルセロナからのメッセージ

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2011.3.11の震災以来、バルセロナではKOREKARA JAPON(コレカラハポン)という東北応援イベントが毎年行われています。「離れていても忘れてない」ことを伝えたいという主催者の想いから毎年開催され、今年で4回目。被災地の現状と共に、日本文化をバルセロナに伝えるオープニングの様子を時系列でご紹介いたします。会場には着物で参加される地元の方もおり、華やかな一面も見せてくれました。
※スピーチはすべてスペイン語で行われていたため、後で概要をお伺いしたものを元にまとめています。

1)主宰HIROSHI TSUNODAさんからのコメント

バルセロナ在住16年のTSUNODAさん。遠くに暮らしているために直接できることは少ない。それでも僕たちは忘れてないよ、という想いを伝えようとこのイベントが始まったと言います。毎年現地を訪れているというTSUNODAさんたちは、義援金を各所に配るよりも、もっと伝えられることがあるのでは、と考え、2016年3月29~31日には、陸前高田から佐藤貞一さん(佐藤たね屋)をお呼びし、バルセロナでの講演が予定されています。

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関連リンク  KOREKARA JAPON/ HIROSHI TSUNODA

まずは話そう!「はなそう基金」

陸前高田で種苗店を営む佐藤貞一さんが参加する「はなそう基金」は、人と人が「話す」という行為を重要視した団体です。東日本大震災の学びを一過性に終わらせない「伝道」、被災地と全国・海外の絆をつくる「触媒」、生命の尊重・自然との共生・歴史から学んだことの行動化を基にした各種活動を後押しする「応援」を使命として活動しています。

関連リンク はなそう基金

日本は「種」の輸出大国

日本が「種」の輸出大国というのはご存知でしょうか?野菜の生命の源は「種」。質のいい「種」が、良質で安定的な野菜の供給を左右するといわれています。高い交配技術をもつ日本の「種」は、世界各地に輸出されています。野菜の種の輸出額は年々増加し、2015年には116億円になっています。

関連リンク 近畿圏における野菜の種の輸出(大阪税関調査統計課平成22年のPDF) 播種用の種_野菜の種 《輸出額の推移》

2)在バルセロナ日本国総領事Hiroyuki Makiuchiさんからのご挨拶

現地での復興の様子、福島原発での作業の状況などの説明がスペイン語で紹介されました。詳しい実施状況については東京電力のホームページや、各メディアが伝えていますので、そちらをご参考になさってくださいませ。

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関連リンク 東京電力の廃炉プロジェクト実施作業と計画 【震災から5年、福島の現在】福島第一原子力発電所潜入レポート

3)写真家Javier Tlesさんからのコメント

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主宰のTSUNODAさんらと共に現地に訪れたという写真家TLESさんの写真が、会場内に飾られていました。会場ビルの外側には、被災者の方のポートレートも展示されています。プリント協賛はエプソンです。

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写真展示スペースの天井からは、白い紙が垂れさがり、白い折り鶴を設置したオブジェもありました。

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会場外側に展示された大型写真。

4)唄と舞と音楽で日本文化を伝える

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その後、津軽三味線の奏者HISAO SUGINAKAさんと、日本舞踊と唄を披露されるゆう呼 咲亜弥(Yuko SAAYA)さんの公演が披露されました。20年以上も一緒に活動されているというお二人の舞台に、大きな拍手が上がっていました。

演奏の様子はこちらから見られます。

ヨーロッパで活躍されるお2人は、スイス公演の帰りに参加したとのこと。KOREKARA JAPONへの参加はすでに4回目。SUGINAKAさんは、KOREKARA JAPONについて「毎年続けていくことが力になる」と話し、東北の三味線は「冬の厳しさに温かみがあることが魅力」とし、「楽器を通じて気持ちを分かち合うこと、対面でお互いを分かり合い、確かめ合うことが大事」だと話してくれました。ゆう呼さんは、「海外にいると日本に対する関心の深さに驚かされる」と話し、「離れているからこそ、自分の国について伝えられることがある。海外では1人1人の個性が尊重され、自由な考え方が生きている。(こうして活動することで)バルセロナから教わることも多い」と語ってくれました。

5)物販スペースでは現地人ボランティアも

和小物や書などの販売スペースでは、バルセロナの方が売り子として立っていました。なぜこのイベントを手伝っているのかと聞いたところ、「日本が好きだから」「旦那さんが日本人だから」と日本語で答えてくれました。物販の売り上げは原材料費のほか、義援金・活動費に使われます。
(注釈:スペインは各地が1つの国と思えるほど独立した文化を持っており、その中でもバルセロナはカタルーニャ地方と呼ばれています。バルセロナ出身の人のことを「カタラン人」と呼ぶんですね。また、移民が多く、今回お話しした方が、どこの出身の方かまでは確認しなかったため、「バルセロナの方」と記載しています)

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Tシャツのデザインは3種類。毎年違ったデザインで販売しています。

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6)現地の声をスペイン語と日本語で伝える

会場では被災地(宮城県気仙沼市)にお住いの方や、現地に移住された方の声をスペイン語に翻訳た動画が字幕付きで紹介されていました。現地の方のお名前やご職業も公開されていましたが、ここでは個人情報に配慮し、(在住者)(移住者)に分け、箇条書きでご紹介させていただきます。

あの日のこと 

(現地在住者)
・牡蠣むき作業をしてた時に地震が来て、一目散で山に逃げた。
 たくさんの人が目の前で流された。
 震災以来、いろんな人との出会いを築きたいと民宿を経営。
 思い出すと辛いが、世界中から応援や温かい言葉をもらい、その言葉でなんとかここまでこれた。
 全世界から受けた支援や言葉に、本当に人間は良いと思った。
 生きててよかった。
 もう少し頑張りたい。皆と一緒にいたいと思い、今日に至る。
・東北は地震が多く、震災の2日前にも大きな地震があったので、「気をつけろ」と言いながら仕事をしていた。
 そしたら、外壁が崩れ、逃げられなくなったので、机の下に隠れた。
 通常の地震と違い、すごく長かった。
 やばいと思い、揺れがおさまってきた時に外に出たら、海の水が引いていた。
 液状化で水がぼんぼん吹いて、間違いなく大津波が来ると思い、急いで山へ逃げた。
・川のそばで、海から近かった家は、津波でなくなった。
 自分は移動中の飛行機に乗っていたため、空港に着いてから事態を知った。
 テレビで、自分が育った故郷が波に飲まれていく光景を見た。
 経営するコーヒーショップ5店舗のうち、2店舗と自宅が津波に流された。
 幸いにも家族は誰も犠牲にならず、皆、山に逃げて助かった。
 他の人や自分の友人たちよりは、心の傷が少ないと思い続けてここまで頑張っている。

(移住者)
・2011年10月に来た。大学を休学し、1年間まちづくりの活動をした。
 その後復学し、卒業してから戻ってきた。現在は本格的に移住。
・震災復興ボランティアとして2011年8月に現地に入った。
 当時は瓦礫撤去がメイン作業だった。
 震災から立ち上がらなければならない、お祭りも自分たちでやりたいけど人手が足りない。
 そのため、夏祭りの手伝いを多くしていた。
 この地はちゃんと前に進んでいるし、さらに面白そうな町になる予感がする。
 知っているところがどんどん変わる様をもっと近くで見たいと思い、2015年春に何かできることがあるんじゃないかと思い、会社を辞めてきた。

被災して気づいたこと

(現地在住者)
・震災を憎んだことはない。こんなことで絶対に負けない。
 全世界の人や、学生ボランティアが駆けつけてくれて、頑張れ頑張れ、あなたたちは1人ではないと言ってくれる。
 その言葉に助けられた。
 5年経っても、未だに人が集まってこういうイベントをしてくれるということに感謝している。
 だから、東北元気で頑張ってるよ、という姿を見せなければいけないと思っている。
 感謝、感謝の一言。
 震災によって気づかされたことは、他人からもらう思いやりのある言葉。
 その人たちには、津波が降りかかっているわけではないのに、自分のように悲しんでくれる。
 負けないでという言葉で、人はまたもう一度生き返れる。
 言葉でもそうだし、この学生たちのように側に来てくれて、言葉がなくても側に寄り添ってくれる。
 人ってやっぱりお金じゃない、強いものを持っている。
 これからが勝負。最初は生きることに精一杯。ともかく生きてやる。
 何もかも無くしたけど生きてやる。
 今は、恩返しする番だと考えている。今、こうしたイベントをしてくれるのはありがたい。
 震災後は、周りの人にどうやったら喜んでもらえるか、どうやって幸せにできるかを考えるようになった。
 一生懸命生きている姿を見せるのが、一番の形かな、と思っている。
 一生かけて恩返しをしていきたい。ありがとうございます。
・人が生きる上で食べることが1番大切と感じた。
 食べ物がないと生きていけない。それが基本。
 自分のフィールドが「食」で、自分のできることから、地方を変えたり町を変えたり、日本を変えたりすることをやっていきたいと思い、いろいろな活動をしている。
・被災するまでは、自分たちの身にこういうことが起こるとは思っていなかった。
 起こる可能性はあったが。
 家族が逃げられたのは、いつもそのことについて話し合っていたから。
 誰でもそんな可能性があるということは、バルセロナやアメリカの人たち、誰もが何かしらの自然災害で被災されることがあるということ。
 1番大切だと思ったのは、普段からどう人と向き合っていくか、どういう人たちと一緒に生きているかということ。
 人は本当に無力で、自然災害は止められない。
 ただ、それ以降どう動くかというのは、本当に大切。
 被災者だった僕たちは、今では次の被災者を支える順番になっていると感じます。
 震災でみんな辛い思いをしたからこそ、次の被災者たちの何かの助けになりたいという気持ちが強いのだと思う。

 

幸せのために何が大切か

(現地在住者)
・思いやり。思いやりがあれば、自分も幸せになり、相手も幸せにできる。
 相手の気持ちになって常に生きるということは、これからの若い人たちに必要。
 今の若い人たちは、罵声を浴びせられて自分だったらどう思うのかという気持ちが足りない。
 平気で浴びせられたきつい言葉、自分だったらこんな時どう思うかを考えれば、絶対に良い社会になる。
 そういうことができれば、ただ楽しいだけでなく、辛い時やしんどい時もそばにいてあげられるかと思う。

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(移住者/話の途中で)
・良いことばかりではないから、辛い時に近くにいてくれるのが真の友達。
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 若いというのは素晴らしい財産。
 その子たちが貴重な人生の時間の中で、1番大事な時間をここにいてくれるっていうのが嬉しい。
 ここの人はそれが本当によく分かっている。
 ここは本当に陸の孤島、誰も知らないような土地にわざわざ来てくれる。
 20代前半のピチピチの期間をここで爆発させてくれるというのはありがたいし嬉しい。
 だから、私たちは、その時間を使って無駄ではなかったと言われるようにしたい。

(移住者)
・移住者に来てほしいが、地元の子が地元の魅力を知った上で戻ってくる町になりたい。
 外に出て行くことは大切。しかもここは中学までしかないから、その先はこの土地を離れなければいけない。
 何も知らないから戻ってくるきっかけもないけど、ここにいてもいろんな仕事ができる。
 今は、自分で仕事を作りやすい時代だから、何かやりたいという気持ちが育っていけばいい。
 畑や猟師体験など、子どもが関われるプログラムをやりたいと思う人は点として存在していて、それをつなぐ線がない。

(現地在住者)
・個人によって違うが、生きていくためのものが足りていることが非常に重要。
 安心できる家、安心して働ける職場、安心して食べられるものがあり、寄り添える人間が周りにいる。
 幸せになるために生きていると震災以降思うようになった。
 いつか来る幸せのために今を犠牲にするのではなく、今、幸せだと思うことをできるだけ味わう。
 自分の愛する人と時間を過ごす、子どもと遊ぶ、おいしいものを食べる、そういうことをしなければならない。
 良い方向に進むために、その幸せを使えたらと思う。
 5年経つのに、未だに仮設住宅に住んでいる人がたくさんいる。
 そこには家族を震災で喪った80歳になるおじいさんが住んでたりする。
 新しい住宅に住み替える人たちもいるけど、未だに安心して住むところがない人もいる。
 コミュニティが分断されてしまって、どこに誰が住んでいるのかわからない状態。
 震災以前の周りの人たちの思い出だけをもって、1人で孤独を感じながら生きている人もいる。
 仮設住宅は家賃がないけど、復興住宅は家賃が発生して、仕事がないと経済的に負担になる。
 安心できる住宅、食べ物、人々に囲まれ安心できる職場で働く。
 それがすごく大切。それが本当の幸せなんだと感じる。

若い人に伝えたい

(現地在住者)
・人の気持ちがわかるような、他人ごととは思わずに、何ごとも自分に置き換えて、思いやりをもって生きて欲しい。
 言葉は大事。気持ちは言葉に出る。言葉の端はしに、この人はこういうことを考えているんだろうというのが出る。
 言葉が大事だと思うのは、本当に心からそう思っている人の言葉はちゃんと胸に染みてくるし、言葉もそのように出てくる。
 思ってない人の言葉と全然違う。
 震災後、上手に言葉が言えなくても、一言一言、言葉を噛みしめながら自分の言葉で相手に伝えたいって、難しい言葉も言えないし、うまいことも言えないけど、自分が思うことを上手じゃなくても一生懸命話そうと思う。
・子どもに何を伝えるかではなく、僕たちがどういう姿を見せるかが一番大事。
 そのためには、僕たちがやるべきことを今やる。
 それが周りの人たちを変えていけばいい。
 少しずつでもいいから、自分のできるところから変えていこうかなと思う。
・問題があっても、くよくよしてる暇はない。
 支えられた立場を味わった自分だから思うが、いつか自分たちが変える立場にもならなければいけない。
 それがいつかは分からないけど、いつか自分が支える立場になるように、準備をしておくというのが大切。
 それが家族かもしれないし、見知らぬ人かもしれないが、いつか誰かを助ける日が来るし、助けの手を差し伸べられて、その手をつかんで「いつかこの恩を返しますよ」という気持ちで助けを受け入れる。
 そういう人であってほしい。
 いつかは皆さんに恩返しをできるように準備しておきたい。
 人を助けられる人であれ、と思う。

バルセロナのみなさんへ

(現地在住者)
・日本は、震災の時、大変な状況になりましたが、世界各国、バルセロナの皆さんにも大変温かいご支援をいただき、ありがとうございます。今、子どもたちは元気に笑顔でやっております。
 震災の時に1年生だった子どもが、今は6年生になりましたが、まだ心に少し傷があるようで、生け花などをして心のケアをしながら、みんなで頑張っております。 ・バルセロナの友達のみなさん、また行きたいです。
 いつも行きたいなと思ってる。
 食べ物もおいしいし、みんな生き生きとしているし、町並みも好きだし。
 できるだけ早く行こうと思ってます。
・バルセロナのみなさま、本当に5年間どうもありがとう。
 感謝しても感謝しきれない。
 毎日を一生懸命頑張っています。
 機会があったら私が元気なうちに、この東北に遊びに来てください。
 皆さん、愛してます!バルセロナの若い子たち、来てください、お待ちしています!

(移住者)
・こんにちは、バルセロナはまだ行ったことがないところで、なかなか想像できないが、日本のことを思ってくれている気持ちは、とてもよく伝わってきます。  ここに来てもらい、いろいろなところで僕が大好きな人たちと会ってもらいたい。

7)作曲家Takashi Fujimoriさんからのコメント

会場に流れていた曲の1つは2014年に作曲された「Bridge of hope(希望の橋)」。毎年、KOREKARA JAPONのテーマ曲を作曲しているというTakashi Fujimoriさんにお会いできました。Fujimoriさんは「未だに状況が変わっていないことに悔しさや悲しさを覚える」と話し、「KOREKARA JAPONを通じて自分の気持ちを伝えられたら」との思いから、音楽に情熱を込めるのだと語ってくれました。KOREKARA JAPONの「これから」については、毎年拡大しているイベントがさらにライブ感をもった大きなもの、印象に残るものになるように、カタルーニャ(バルセロナのある地方のこと)に支援をしてもらったり、福島の方に来てもらったりできるといい、と話してくれました。「Bridge of hope」は、「同じ気持ちを共有する架け橋であるように」との思いが込められています。

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KOREKARA JAPONの「これから」

最後に、主宰のTSUNODAさんの言葉をご紹介します。
「人間の素晴らしい機能として『忘れる』ということがある。世界中から注目された出来事は、今は忘れられてきた。いろんな人がいる中で、現地で頑張っている人もいる。そういう人たちのことを伝え、応援したい」また、「無理をすると続かないから、できる人ができることを」とおっしゃってました。

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最後に、TSUNODAさんのご希望もあり、マザーテレサのこの言葉をご紹介させていただきます。
愛の反対は憎しみではなく無関心です。

私が思うこと

「みんなが自分のできることをできることから」
いろんなところでよく聞く言葉です。これを、みなさんはどう解釈されているでしょうか。私は「自分が幸福であるために行動を起こすこと」だと理解しています。気仙沼市にお住いの方の言葉を借りるなら「いつか来る幸せのために今を犠牲にするのではなく、今、幸せだと思うことをできるだけ味わう」ことです。震災を忘れないという思いを口にする人たちの中で、もしかしたら「忘れたいのに」と思っている方が思いを口に出せずにいるかもしれません。それはもう、私には想像がつかないことです。だからこそ「本人の幸福・多様性」を尊重する社会であってほしいと思うのです。世界で自分一人しか考えていなかったことを、口に出しても受け入れてもらえる社会であってほしいと思うのです。受け入れるとは私にとって、それがどんな意見でもまずは「そうか」とうなずくことです。対話はその後につづくこと。相手の意見も聞き、自分の意見も伝えること。なかなかそうできないこともありますが、うなずくところから対話を始められるようでありたいと思っています。
マジョリティ、マイノリティとコミュニティ化せず、もっと世界を1人1人レベルまで分解し、「違い」を「知る」機会が増えれば。世界中を旅しながら、違いを知り伝えること。人類共通の「喜び」について模索し、形作ること。違いを知ること、それを誰かに知ってもらうことが、私にとってはおもしろくてたまらないことなのです。それが今の私のやりたいことで、私の幸福です。

今回、私は友人から教わるまで、KOREKARA JAPONのことを知りませんでした。バルセロナから毎年東北に訪れ、できることをやってらしゃる方たちがいることを、ここに来て知りました。日本でも多くの方が知らないのではないかと思います。私はこの活動を知ることができ、また伝えることができることを嬉しく思います。被災地のことだけでなく、日本の文化も伝える機会、まさに「知る」機会を提供されている素晴らしい会です。「知る」ことは応援の最初の一歩。もし、あなたの「幸福」に合致するのであれば、ぜひ、KOREKARA JAPONの存在を、身の回りの人に伝えて欲しいです、よろしくお願いします。

最後になりましたが、くわしい話を聞かせてくださったKOREKARA JAPONのみなさま、このような素晴らしい場に参加させていただき、感謝しております。また震災で亡くなられた方のご冥福と、現地で暮らしてらっしゃる方々のご多幸を、心より祈念いたします。

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