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韓国の女性の地位がどう変わってきたのか~空想と現実について考える

みじんこアート

韓国の女性の地位がどう変わってきたのか~空想と現実について考える

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Kang SangWooさんの個展「女子의 變身은 無罪/When a woman changes, it’s not her fault.」が韓国大田(テジョン)のレジデンスTEMIでスタート。今日はこちらの展覧会をご紹介。

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韓国の女性とファッション

女性がどんな服装をしていても、それは彼女の罪ではない。という意味合いの展覧会タイトルには、韓国で女性が派手な格好をすると「あの人はちょっとおかしい」と思われるようなことが多かった社会情勢がもとになっています。

会場内にはさまざまなファッションに身を包んだ「人」の姿がありますが、このフィギュア自体はSangWooさんが粘土から手作りしているよう。形を削るのにすごく時間がかかっているよう。

参考リンク  Kang SangWoo SOLO EXHIBITION OF KANG SANG WOO(TEMI)

昔の韓国(1980年代~2000年代頃でしょうか)では、韓国人女性は結婚すると、夫のお母さんの面倒を見るというのが普通だったようです。お姑さんがお嫁さんに「部屋片づけて」「マッサージして」と言うと、妻はそれに従わないといけない。韓国の昔のCMでは、奥さんがいつも料理をする、夫と子供がそれを受け取って「おいしいー」と言うようなものが多く、こういうことからも女性が家事をする、というのが「当たり前」として捉えられていたんですね。日本の食品のCMでも、女性が「つくる」側になってるのは割と多かった気がしますが、最近はいかがでしょう?(私はそもそもテレビを見なくなりました)

過去の政党演説みたいなものでも、女性はこうあるべき、というのが多く語られていたみたいですね。

壁にかけられたペインティングは、韓国の壁紙、主にキッチンを参考にしたもの。

その他、フィギュアの置かれている箱も韓国のキッチンに置かれている家具を参考にして作られています。

床に置かれたキッチン用具は、粘土みたいなもので作られていましたね。

私的に気になったのは、フィギュアの身に着けているファッションに「リアリティ」がないこと。身に着けているフィギュア自体が、ファッションを楽しんでいる感じが「しない」んですね。上述の粘土で作られたキッチン用具しかり。お金も時間もかかってるし、技術があるのもよく分かる。でもそれは作家の示したいコンセプトに沿っているのか、技術や手間を見せるための作品になっていないか、というところが気になりました。
でもね、後でさらに話を聞いたところによると、彼が一貫してもっているテーマとして「ファンタジーとリアリティ」というのがあるそうなのです。このプロジェクト自体も発展させながら継続しているようなのですが、すべてのプロジェクトに関連しているテーマが「ファンタジーとリアリティ」だと。

「ファンタジーとリアリティ」というのは、アーティストのテーマとしては割とよく聞くものの一つです。「生命」「記憶(思い出)」「人生」なども多い。私自身(生命・治療)についても言えることですが、「よく聞くテーマ」は普遍的な物事なので共感されやすいですが、「あ、またそれ・・・」と思われやすいことも確かです。だからそこをどう自分の解釈として落とし込んで提示できるかというのは大事なんですね。
現代アーティストとしてやっていく場合、いろんなところで「説明」を求められます。具体的には展覧会の企画書、ディレクターやギャラリスト、キュレーターとの打ち合わせ、メディアからの質問など。そういった機会に、根本的なテーマだけを伝えるのではなく、それについての自己解釈を添えたほうがいい。「生命をテーマにしているんです」だけではなく、「生命をテーマにしているんですが、私たちは複数の生命をもっているし、物も生きているんですよ」など。たった一行の文章ですが、後者のほうが「気になる」感じがしませんか。作品に落とし込まれていくところもそこなので、そこはちゃんと主張したほうがいいかなと。と、話が展覧会からそれましたね、ファンタジーとリアリティについて。

ファンタジーをどう定義するかにもよりますが、ファンタジー(空想/理想)とリアリティ(現実)って私の中では一つのことなんですよね。物語をつくる人にとっては特にそうだと思うのですが、物語というのは常にリアルなのです。じゃああえて、ファンタジーとリアリティに違いをつけるとするなら、「時間がある現実」がリアリティ、「時間のない現実」がファンタジーではないかと。

SangWooさんの展覧会では、韓国の古いCMや選挙キャンペーンが流れているし、雑誌の切り抜きなども紹介されています。これらが「現実」を示すものの一つとなっている。しかし、オブジェクトの多くにフィクションが混ざっていると私は考えているのですね。問われているのはジェンダー問題ではない。あなたはどう見ますか?

時事的なテーマを扱うということ

ちょうど今、韓国全体で女性差別問題について触れられているようで、社会的に盛り上がっている時期だそうです。なので、ジェンダーバイアスをテーマにした展覧会については「ウケ狙い」という批判がくることもあるそう。特に、SangWooさんは男性アーティスト。この作家は差別を受けたこともある女性作家です、というのであれば構図としては非常に分かりやすい(分かりやすいからいいという意味ではない)ですからね。
私自身は、「時事」を伝えるのも現代アートの役割の一つだと思っているので、あまり気にならないんですが、SangWooさん自身はもともと同テーマを取り上げたプロジェクトを過去にも企画しているので、この展覧会は現在の韓国の状況というより、プロジェクトの発展としての位置づけになっています。
あと、一番重要なポイントは、彼はけっこう「家事をやる」んですよね。同じレジデンスアーティストさんたちみんなで一緒にご飯を食べることがあるんですが、割と率先して洗い物などをするんです。私もやる人なので、どこの国でも私はだいたい洗い物する人になるんですが、やろうとするとSangWooさんが「自分がやるから大丈夫ー」と言って一人で洗い物を片付けてくれる。私自身は、作品とアーティストの日常との一貫性というのが非常に大事だなと感じていて、たとえばこういう女性差別的なものをテーマにしておきながら、家事全般を全部、妻にやらせているとしたら、「無罪」という言葉を使っている展覧会タイトルに疑問が浮かびます。「無罪じゃない状態をつくるのにYOUが加担してるやん!」って。こういう日常との齟齬が出た場合に、作品から嘘が混じり、力がなくなっていくと思うのです。嘘がないことはアーティストとしては大事なことかなと私は考えています。

リボンの騎士のサファイヤが出てるCMも教えてもらいました。これはオマケw 白黒の時代に日本のアニメが使われてるっていうのがなんかすごい!

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みじんこは、現実じゃないよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「ファンタジーでもないよっ!」
「みじんこだよー」

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