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一感性としての詫び寂びについて考える~アート解放区に寄せて

みじんこアート

一感性としての詫び寂びについて考える~アート解放区に寄せて

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取り壊しになる施設を使ったタグボート主催のアートイベント「アート解放区」。代官山での2日間のイベントが終了となりました。会場がとてもおもしろくて、いろんな小部屋があって探索するようにアートを探せるのがすごく楽しかったです。改めて参加できたことに感謝です!(*´▽`*)

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感覚は一つ「詫び寂び」だけ

割と触って遊べる体験型作品をつくることが多い私ですが、今回の作品はシンプルに線画。ちょっと最近、詫び寂びについて人と話す機会があったんです。山口周さんの著作に「後世に残したい文化と言った時に、大体の人は何百年も前のものを挙げ、最近のものを挙げない」と書かれてたことが心にひっかかってたのもあり。(手塚マンガとかジブリアニメとかは残したいですけどね)自分が日本のアートとして後世に遺したいものは何かと問われたら、葛飾北斎(1849年没)とかになってしまうかもしれない。たとえばデュシャンみたいに、今の日本にこれまでの概念を根底から変えてしまうような「新しい美の概念」を提示することができれば、それは後世に残るかもしれないと考えたのです。

参考リンク  アート解放区 アート解放区(Facebookページ)

新しい概念をきちんと「言語化」するということですね。言語化することで共有・拡散が非常にしやすくなりますから。仮に詫び寂び2.0としますが、これを考える上で改めて詫び寂びを考える必要があって。私自身は詫び(外面変化の受容)、寂び(内面変化の受容)と考えていましたが、詫び寂びってあえて「言語化しない」という姿勢があるので、全体を分断せずに感覚的に味わう(受容する)みたいなところがあるんじゃないかと思ったのです。
そこで考えたのは感覚について。感覚ってよく五感に分けて話されますが、もともと一つしかないんじゃないかと。この五感っていうもの自体も、NLPという心理学ではVAK(Visual, Auditory, Kinetics)の3感覚に分類してますし、絶対に五感じゃないといけないわけではないんですよね。五体満足だったり指が五本だったり、人間はその性質上、5つに分けることが割と好きですが(特に指の構造の影響が大きい気がしている)、分けているせいで見失っている感覚もあるんじゃないかなと。たとえば共感覚とか。五感しかないと思っていると、それ以上の感覚を探そうとしなくなる。すると言語化せずに全体を味わおうとする詫び寂びというのは実は「一感」なんじゃないかなと。

一感としての詫び寂びと仮定し、そこから詫び寂び2.0を考えるとして、そこにどんな視点を付け加えるのか、あるいは減らすのか。自分の生命観とも関わりますが、まず「双方向の視点」というのが追加点として考えられました。分かりやすく言うとインタラクティブ、あるいはコミュニケーション。詫び寂びってどこか自分がないみたいに環境と溶け合う感覚的なイメージがありましたが、それだけではなく、私自身を外から見てる・内から見てるみたいな。同時に部分にフォーカスすることで「一感」を取り戻せないかということ。

この作品って全部の線を同時に認識するって難しくて、書く時も書いてる場所のみにフォーカス当たって書いてる感じなんですね。それは顕微鏡で細胞の世界をのぞいてチェックしてるのに近いです。ヒトは1秒間に1億個の刺激を受けているなんて話もありますが、そのほとんどを捨てている。自動的に捨ててしまうものを捨てずにぜんぶ受けるってどうしたらいいのか。細胞の世界と社会が相似であるように、部分が全体と相似であるなら、部分にフォーカスすることで全体を推しはかることもできるかもしれない。細かく書いた線のほとんどが見過ごされていく。作品そのもの自体も見過ごされていく。あえて能動的に見ない限り、この作品はほとんど空気のようです。それは失われていく1億個の刺激と同じく。

恩師への感謝を込めて

作品そのものとは別に、今回また線画に戻ろうと思ったのは、美術批評家の恩師、海上雅臣さんが亡くなったことも関係しています。2011年に初めてお会いした時に見せたのが線画作品で、呼び出されるたびに新作をもって見せに行ってたのが、2013年1月の初めての個展につながりました。それがなければ私自身はアーティストにすらなっていません。

線画作品はもともと「イラストっぽい」「顔を描くな」っていうのをけっこう言われてたもので、当時の自分よりよっぽどアートを分かっているっぽい人たちからは失笑されたりもしてました。今、改めて振り返ればダメな点も多いです。でも、顔を描くか描かないかっていうのは、現代アートにはほとんど関係なく(具体的にはナムジュンパイクが典型的な顔パターンをよく使っている)、的外れだったアドバイスもありました。そういった中で、おもしろいおもしろいと言い続けて、私を引き上げてくださったのが海上さんで。その恩師が亡くなったので、原点としての線画を今年最後の作品としてまとめました。

見過ごしている毎秒1億の刺激の中に、自分でも気づいていなかった重要な「なにか」があるかもしれない。この作品は自分自身を分割して顕微鏡で探索していくように、能動的に「見る(探す)」ことを期待しています。(縦長の2つの作品は左側から右側へとつながるので、全体で1枚の長い作品になります)

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みじんこは、おもしろいよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「最高だよっ。」
「ほんとだよー」

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