現代アートのコレクターやアートラバーに、現代アート作品の魅力は何かを聞くと、よく「自分にはなかった発見がある」「物事の違った見かたをくれる」という意見をもらう。そのとおりだけど、その「違った見かた」って自分の何を変えるのかを考えてみました。
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違った見方をくれる物は他にないのか
今までと違った視点をくれることがよいというのであれば、アート以外にもありそうです。本とか、誰かの言葉とかもそうですよね。家入一真さんの「やさしい革命」とか。
私の場合だと、獣医大学一年生の時に聞いた「獣医の仕事は動物の治療ではなく、人の心を癒すこと」という言葉は、それまでの考えを一転させるものでした。なにしろ、(多くのふつうの人がそうであるように)医者の仕事は「治療」だと思っていたので。
概念が変わると行動が変わる
最近、自分の行動が変わった出来事を。それは「時計」です。私は日常的に「時計」をしない人だったんですね。時間はスマホで見ればいいし、なんか腕にあってもウザったいだけ。そう思ってたんですが、SWATCHのアーティスト・イン・レジデンスに受かったことをきっかけに、レジデンスCEOの方に聞いてみたのです。「時計ってぶっちゃけ売れてるの?」そしたら意外な答えが返ってきました。
「SWATCHの時計はアートなんだよ」と。SWATCH創業者のニコラスGハイエックさんは「腕はキャンバス」と言っています。なるほど、「時計」だと思っていると、つけるのが面倒だけど、「アクセサリー」だと思うとできる。そもそもブレスレットとかはしてたわけですからね。「アクセサリー」だと思っているから、時計の時間はあんまり気にしておらず、つける時は3つ付けて歩いてます。あんなに時計キライだったのが嘘のよう。
そうか、概念を変えるっていうのはこういうことか、と気づかされたのでした^^
行動を習慣化するのにかかる期間は約2か月という話もあります(諸説あり)。でもね、私が「時計をつける」というのは一瞬で変わってしまった。概念を変えるというのは、つまり、こういうことだと思うのです。ちょっと変わった視点が得られたっていうだけだったら、「今、読むべきビジネス書20選」みたいなやつを調べて読みまくったほうが、分かりやすくいろんな学びが得られると思うんですよね。でも、行動はほとんど変わらない。一日二日は変わるかもしれない。でも、その日以降、一生涯変わるような行動(選択)の変化が起こることが概念を変えるってことだよね。
死をなくすということ
さて、「癒しになるアート」を追求しているOumaとしては、当然のように生死の問題に行きあたる。人が最も「苦」を感じるのが「自らの死、最愛の人の死」つまり、「死」だからです。宗教がその救済に当たっているという意見もあるけど、2000年以上かけても、宗教は「死」をなくしていない。あくまで「死」あるいは「生」の苦しみを救済しようとするにとどまっているますよね。
もう一つ、自分が「死」について連想することは、医療過誤について。英語でいうと「malpractice」。医療ミスと医療過誤というのは、日本語だと非常にあいまいな扱いになっているのだけど(ぶっちゃけ、どちらも悪いイメージ)、海外だと医療ミスは起こりうるもの、医療過誤というのは不正行為、という扱いなんですね。具体的には、医療ミスは薬用量を間違ってしまうなどのいわゆるミス。もちろん、なるべく減らすべく努力をすべきですが、それでも人間がやってることなので、起こってしまうものです。対して、医療過誤というのは、例えば新人の外科医が経験もないのに難しい心臓手術をいきなり担当するなど。こちらを「あってはならない不正行為」としています。
日本人は完璧主義なところがあるので、「医療ミス」という言葉を聞くと「病院が隠してる云々」となりがち。でもね、ミスって誰でもするじゃん。それで責められるから隠さなきゃいけない自体が起こるっていうことはないんですかね?患者さんや家族ならともかく、少なくとも関係ない人は一緒に責めるべきじゃない。これは医療に限らず。それよりも、どうしたらよかったのか、アイデアを出す側にまわれたらいい。社会活動の責任の一端を、自分も一緒に抱える側になれたらいい。批判だけして何もしない傍観者ではなく。
私が臨床獣医師の現役だった時に、キャリアを積んだ中堅クラスの獣医師が辞めてしまうことが、獣医療全体のレベルを下げてしまうと問題になっていました。なんか医療系ドラマとか見ててても、一回のミスで優秀なお医者さんが医師を辞めてしまうケースを見かけます(シャーロックホームズNYやコウノドリなど)。社会が医師のミスを一度も許さなければ、医者は新人しかいなくなってしまう。医師も人。ミスはある。それでも、目の前のお医者さんに自分自身を託したいかどうか。そういう信頼関係をつくれるかどうかが大事なこと。それは関わる人みんなの共同作業です。
もしもこの世に「死」がなかったら、きっと私は獣医師を辞めなかった。そして生命の重さに耐えきれずに臨床を離れるお医者さんがいなくなるんじゃないかな、と思うのです。
✓ 参考リンク 「malpractice」の意味(weblio)
みじんこは、死なないよ!ヽ(=´▽`=)ノ