この前、ちょっと音楽を聴いたんですよね。そしたら、すごく感情が動いて、音楽ってけっこう長めの「歌詞」があるし、それが物語として機能していて、音楽っていうのはある意味、社会だなぁと思ったんです。
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社会治療と物語について考える
医療は個人だけでなくて、社会にも向かうといいよなー、よし、それを「社会治療」と名付けるぞ、と考えているOumaですこんにちは。ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」はすべての人をアーティストにしましたが、「社会治療」はすべての人を医者であり患者である状態にするものです。社会を治療し、社会から癒される、そんなイメージです。
とはいえ、社会への治療ってどうしたらいいの、と。「社会彫刻」の場合、生きてるだけで社会になんかしら刻まれてるだろうっていうのは想像つくんですよね。でも、自分が社会を癒しているかどうかってどうやって分かるんだろうと。主張しといて自分が言うのもなんですが、普通に暮らしてて「あー、今日社会を癒した」ってあんまり思わないですよね。あんまりっていうか、ぜんぜん思わないですよね。
んで、社会治療とかいう前に、まずは社会と対話することを考えようと思いました。医療ってまず相手の主訴を聞くじゃないですか。調子はどうですか、と。だから、まずは社会と対話したい。それで、社会と対話する方法は「感情」じゃないかなと考えました。社会治療は基本的に「配置」によってなされると現在は考えているので、自分の感情でその場所が適切かどうかを問いかけることが対話の最初のステップかなと。
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そこから感情を揺さぶられるものってなんだろうな、って考えてそれは「物語」だなと思い立ちました。その都市の物語を感じさせるような、都市を俯瞰できるようなものをつくったらどうだろうと。そのあたりまで考えたところでふと「音楽」に出会い、音楽ってそれだけで物語を感じさせるし、感情も感覚も揺さぶる表現だなと驚愕しました。えっ、これ自分がやりたいことをやるなら音楽をやったほうがよくないか、という。
しかし、音楽は自分にとってはだいぶ苦手な分野。音楽の特徴をつかみつつ、違う方法で作品化できないかというのを考えているところです。
そういう思考錯誤の上、音として使おうと考えているのが「オノマトペ」です。音を物理世界ではなく、内面世界に生み出してもらえないかなと。そして物語として使おうかなと思っているのが「名前」と「現実の物体を感じさせる何か」です。葉っぱの虫食いを使うのは、2018年のフランスでのレジデンスでもやってたのですが、その時は穴しか使わなかったので、もっと葉っぱ感が一目でわかるように全体を切り抜いてみました。
そんな試行錯誤の経過報告でした。この作品はみじんこショップから買えるので、もしよければ覗いてみてください^^
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