:::: MENU ::::

病因としての言語を考える~フランスのアートレジデンスの応募企画公開

  • 12月 15 / 2019
  • 病因としての言語を考える~フランスのアートレジデンスの応募企画公開 はコメントを受け付けていません
  • ,
みじんこアート

病因としての言語を考える~フランスのアートレジデンスの応募企画公開

Pocket

2年前に参加したフランスのACCRというアーティストインレジデンスプログラムに再度出してみました。一度受かったところにはだいたい受からないんですが、このプログラムは開催場所が多いので、他の場所で受からないかなーという期待を込めてまた出してみたんです。今日はその企画の公開。

スポンサードリンク

治療薬としての言葉

あとで英訳するので、日本語の下書きはざっくりこんな感じで書いてます。

参考リンク  Odyssée 2020

フランス語とアジアの言語を「薬」として交換し合う体験型プログラムです。2019年10月に韓国釜山で行ったHospitalという医療の未来をテーマにした展覧会で、「調剤薬局」という作品を発表しました。 お菓子を使って薬を処方できるというもので、「ずっと幸せになる薬」「頭が良くなる薬」などの効能をゲストがつくり、自ら持ち帰ったり他の人のために置いて行ってもらったりした。

安全な国で知られる日本は、とても自殺率が高い国で、それは旅行にはいいけど「暮らす」には快適でない(安全でない)ことを意味している。この作品では、医療が個人ではなく、個人を取り巻く環境(社会)に目を向けるべきではないかということを問いかけています。生物学では細胞が生命の最小単位と呼ばれていますが、約37兆個の細胞が集まって一つの人間の体になっています。つまり37兆個の生命が1つのヒトという生命をつくっている。人が集まり、町になり、町があつまり国になるように、世界は一つの生命のような構造となっている。ヒトという生命を治療するために個々の細胞に注目しないように、私たちはヒトの治療を考える上で社会全体に目を向ける必要があるのではないか。そして、社会を治療するのは個人個人であり、私たちはそれぞれ世界を治療する医者なのである。

今回のプロジェクトではこの「調剤薬局」を、「言語を薬」として発展させます。
現在、使われている言語は、その国の文化や歴史を表しています。現代において、世界の大多数の人たちは似たような服装を身に着け、似たような食事をするようになりましたが、言葉は簡単には統一されません。言葉によって私たちは「概念」を共有します。言葉がないと概念に気づきません。
日本には「アイデンティティー」という単語がありませんでした。アイデンティティーという言葉を輸入して初めて、アイデンティティーという概念を日本人は獲得したのです。フランス語で「パピヨン」と表される虫は、日本では「蝶」と「蛾」に分かれます。見た目はほとんど同じですが、蝶はいいパピヨンで、蛾は人間にとって悪いパピヨンであり、私たちはそのように認識しています。

今回、私は韓国語が書かれた紙、中国語が書かれた紙を持参します。また、私自身が自ら折り紙に日本語を書きます。2年前にLa Chartreuse de Neuvilleに参加した時、北フランスにアジア人がほとんどいないことを知りました。言語を交換することは、概念や文化を交換することを意味します。

日本からはアンケートフォームを用い、自分が癒された言葉、差別を感じるから嫌いな言葉などを一般の人から集めます。差別語は「好ましくない概念」を表したもので、社会に対する病原体のようなものだと考えます。これを、フランス語の中でも優しい意味をもつ言葉によって癒していきます。また、好ましくない概念をもつフランス語も集め、それぞれの文化の中でどんなことが現在好ましくないと思われているのかを調べたいです。

本プロジェクトは、社会をむしばんでいるのは言語によって認識される概念であり、これらを治療することで社会全体を治療しようとする医学的試みです。
言語によって生まれた概念の治療法は言語をなくすことと言語を別の意味に変えることではないかと考えており、他国のまったく違う言語を重ねることで、後者を実現できないかと考えています。

また、書かれたアジアの文字を治療薬としてフランスの人たちに持ち帰ってもらいたいと考えています。中国の漢字は、そのものの形状から発展した文字のため、読めなくても形を見るだけで意味が分かることがあります。あるいは、その形状自体が絵としてもとても美しいです。

私は今回、言語に深く注目することにより、フランスが発展させてきた美や概念を学び、日本に持ち帰りたいと考えています。

病因としての言葉

「個」に向かっている医療だけでなく「個を取り巻く環境」の治療というのを考えた場合、環境を害する病原菌やウイルスってなんでしょう。私は一部の「概念」がそれだと思うんですね。分かりやすく言えば「差別」とかそうです。ただこれも、「差別」っていう言葉がなければ、たぶん発見されなかったことで、一部の言葉によって常在菌が毒性を持ち始めた、と考えるとちょっと分かりやすくなります。

韓国にいた時に、町中に「ジャパンボイコット」のバナーがいっぱい増えてきたことで、初めて私は差別というものを身近に感じたんですね。(韓国を責めたいわけではないです、そういうのいっぱいあるよねって話)
ゲイの男性が「悪いことしてないのに責められる」って言ってるのを聞いて、ぎゅぎゅぎゅっとした気持ちになったんですが、生きているだけで生きにくいという気持ちが、それまでの自分には実感として分からなかった。日韓関係がヒートアップした時、日本人という状態で韓国にいるのはそれなりにしんどかった。でも同じことが日本にも他の国にもいろんなところにいっぱいあるはずで。
じゃあどうやって変えていけばいいかって時、状態を悪く見せるのも言葉だけど、同じものを素晴らしく変えられるのも言葉で。言葉が抗がん剤みたいに、毒にも薬にもなるのだなと感じたのです。これは治療薬としての言葉にフォーカスしたプロジェクトでした。ここで受からなくても、考えは今後も発展させていきたいなと思っております。

Oumaを応援してくれる人はこちらをチェック!  ギャラリータグボートのOumaページ たくさんのみじんこが買えるショップ


みじんこは、毒性が高いよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「悪いよっ。」
「悪いやつだよー」

mijinconbi

Pocket