「生の芸術」と呼ばれるアール・ブリュットについての本を読んでいます。いろんな議論があっておもしろいのですが、今日は「平等」について考えてみました。
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アール・ブリュットとは
フランスのジャン・デュビュッフェが1945年に名付けた作品群で、正規の美術教育を受けていない人たちがつくったアートで「生の芸術」の意味。本来はデュビュッフェがコレクションしたもののみを「アール・ブリュット」と呼んでいたが、のちに一般化している。「アール・ブリュット アート 日本」によれば、欧米のアール・ブリュットは、統合失調症の人たち、いわゆる精神系の障がいをもっている人たちが代表的な作り手であり、ほかにも社会不適合者や犯罪者、シャーマンなども含まれた。日本は精神障がい以外に知的障がい者や、知的障がいのないダウン症の人たちの作品が紹介されることが多く、違いがある。
アール・ブリュット作品の「平等性」への懸念
本書では『世の中に作品が出た時に、おのずと人気のある作品とそうでない作品が出てくるが、障がいのある人が事実を受け止めらえるのか、耐えられないのではないかという懸念』がアール・ブリュット作品の展覧会やイベントなどの時に出てくる懸念点として挙げられている。
これに対し、「いわて・きららアート・コレクション」では「きらら大賞」という賞があり、優れた作品には賞が与えられるが、クオリティが達していなければ作品展示がされない。つまり、作品の価値判断がなされている。
✓ 参考リンク 第22回 いわて・きららアート・コレクション
アート(芸術)に優劣などない、みんな違ってみんないい、みたいなことも聞くけれども、そういう話を聞くと運動会の「手つなぎゴール」という都市伝説が思い出される。そもそも子どもの頃の徒競走なんて、4月生まれと3月生まれで成長の度合いがほぼ1年違うんだから、4月生まれに近いほうが早くなるだろう(2月生まれの私はほぼビリ。3月生まれの子がビリ)。芸術は価値基準が難しいけれど、音楽しかり美術しかり、人気の高い作品とそうでない作品は確実にある。
✓ 参考リンク 学校の運動会「手つなぎゴール」の都市伝説 いつからどんな風に広まった?もっとも古い内容は?
平等とはなにか?
私は平等とは「適材適所」のことではないかと考えている。必要なものを必要なだけ、と言い換えてもいい。ケーキを子どもに均等に配分することは平等ではない。なぜなら、子どもたちそれぞれに好みがあるし、今日はたくさん食べたい、などその日の気分などもあるからだ。不必要な時にもらっても不要なだけ。例えば私が今、10億円もらっても全部使うことはできずに、ほとんどが銀行口座に入ったままになる。それは私に10億円を使う器がないということ。今、必要なものを必要なだけ。必要な量を知り、必要な分だけ取る。こうして必要な人に必要な物が行き渡った状態こそ、平等なんじゃないかと思います。そのためには、自分が必要な分を知ること、必要以上に取ろうとしないことが大事じゃないかなと^^
みじんこは、平等だよ!ヽ(=´▽`=)ノ