先日、展覧会でお会いした人と死をなくすこと、名前をなくすことについて話をした時に勧められたのがこの漫画「ランド」7巻までの間に明かされる限り、私の考える「死」とは違う感じ。しかし、集団心理が興味深かったので、今日は日本人の集団特性について調べてみました。
ネタバレを含むので、まだ読んでない人はお気を付けください^^
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「ランド」あらすじ
この世は4つの神に守られ隔絶された世界。人々は畑を耕し、悪天候がつづけば子を四ツ神様に捧げて祈る。そんな村で生まれた双子のアンと杏。双子は忌まわしいとされ、子の片方を捨ててくるように言われる父の捨吉。山に娘を置いた後、両眼をつぶして山を下りる。山の中に置いてきたアンは謎の男によって助けられ、山で暮らすようになる。この世界では50歳になると知命(ちめい)と呼ばれ、あの世へと送られていく。
この世の先には高層ビル群があり、そこでは身体の成長を止めて若いまま死なない人たちが暮らしている。高度医療があり、天候も自在に操れる。「この世」はランド株式会社のエネルギー開発施設の一つだった。
集団の強みと怖さ
ランド「この世」の人たちは生まれた時から神の存在、怒りを信じています。鎮めるには生贄が必要だと確信している。自分の子や家族が犠牲にならないために、身代わりを探し、集団で追い詰めていく。特に日本人は個別主義のアメリカと違って集団主義の傾向があるからね、と思ってたら、こんな記事を発見→『日本人は集団主義的』という通説は誤り
思想史に関する調査の結果、「日本人は集団主義的」という見方は、日本人自身がはじめから持っていたものではなく、欧米人、とくにアメリカ人が言い出し、それを日本人も受け入れたものであることが明らかになった。
この通説は、戦後間もない時期に出版された、アメリカの人類学者ルース・ベネディクトの著書『菊と刀』によって世間に広まったと言われている。この時期、「日本人は集団主義的だ」という主張に接したひとびとは、戦時中に日本人がとった、見まがいようのない集団主義的な行動を脳裡に甦らせ、この主張に頷いたのであろう。
世界大戦集結までの日本は、外敵からの脅威にさらされまくっていました。集団が有効な理由として「外部からの脅威に対抗するために」団結して行動しようとする傾向は、日本に限らずどこの国でもあること。日本だけの傾向ではなかったようですね。さらに、本記事では人類の共通性は非常に高く、そこから比べたら文化差など大したことないのに、みんなが「日本人は集団主義的、アメリカ人は個人主義的」とステレオタイプ的に考えていることに警鐘を鳴らしています。
多くの文化論は、「日本人は集団主義的、アメリカ人は個人主義的」というように、本質的な対立として「文化差」を描き出しがちである。しかし、心理学における数々の実証的な研究は、人間の行動が状況によって大きく左右される(すなわち、人間は状況に適応的な行動をとる)ことを示している。
気がつけば自分たちも、日本人は集団主義的、アメリカ人は個人主義的ってほぼ脳死で信じちゃってますよね。日本人は集団でいるのが好きだから、と。実際はそんなことないけど、自分たちで「集団主義」の檻に入り、自分たちの集団主義的な部分を探しまくっているだけなのかもしれません。そうして洗脳されるように、ちゃんと集団主義に収まろうとしてしまう。実のところコワイのはそちらですよね。
私は人間はその時の状況に適した行動をとる、という考え方が好きです。状況を創れれば、自分の行動を変えられるということだから。
現代は四ツ神に囲われて暮らすような社会ではなくなった。少なくとも日本に暮らすのであれば。集団による同調圧力や悪影響はあるだろうけど、集団によってそれらを改善していくこともできるはず。そのためには、集団の中にいる個人が集団化しないこと。自ら思考することが必要ですね^^
✓ 参考リンク 『日本人は集団主義的』という通説は誤り 集団の強みと盲点 ~人間集団の特性とは?~
みじんこは、考えるよ!ヽ(=´▽`=)ノ