ふだんコメディをほとんど見ないのですが、けっこうおもしろかったです、斉木楠雄。レビューはそこまでいいわけではないっぽい、、っていうか、コメディかと思ったらジャンルは「SF」なのか。そーか!とりあえずコメディ扱いでなぜ笑えるのかを考えてみました。
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斉木楠雄のΨ難(さいなん)とは
生まれながらにヤバすぎる超能力をもった斉木楠雄(さいきくすお)。凄すぎる超能力がバレないよう、目立たないよう気づかいながら生きている。そんな彼につきまとう美少女や中二病の青年たち。能力を抑えるために身につけているアイテムが外され、彼のせいで地球が滅亡しそうになるのを自ら救う物語です。
✓ 参考リンク 斉木楠雄のΨ難
誰も笑わせようとしてないところがおもしろい
悪の組織と戦う戦士であると信じている中二病の青年や人類すべてが自分を好きだと信じている美少女。いずれも強烈すぎる個性のキャラクターばかりなんですが、役の世界観の中にある彼らは、決して誰かを笑わせようとしているわけではなく、本当に「自分は悪と戦っている」と信じており、本当に「人類全員自分が好き」と信じている。そして斉木は全く笑わない。その人の世界観の中では、笑えることなど何ひとつなく、ただ真剣に人生を生きている。
人を笑わせるというのは難しい。桂歌丸師匠がこんな言葉を残してますね。
言っちゃ失礼ですけど、裸でお盆を持って出て何が芸なんですかね。あれを日本の文化だと思われたら困るんですよ。あんなのは酔っ払いがお座敷でやるようなもんですよ。落語家も、漫才師も、あるいは歌舞伎、お能、狂言の方も、皆さん日本語を駆使して芸を披露しています。言葉ってのは“その国の文化”なんです。
私たちは落語を通してお客様に笑っていただくわけです。ただ、ああいう方は、言葉を生かさずに、裸で踊っているだけじゃないですか。『笑われている』だけなんですよ。なんでそのことに気が付かないんだろうと思いますよ
✓ 参考リンク 桂歌丸が語る裸芸批判の真意「起用する側にも責任ある」
変な顔したり体を張ったり、そういうのもね、すごく大変な勇気だと思うんですよ。自分に提供できる笑いは何かっていうのをやる人たちは絶対に考えているはずだし、それがたとえ批判の対象になったからといって、恥じたりやめたりする必要はないと思うんですね、自分ができることがそれだと思うのであれば。もちろん、再考して磨くのは大事。自分にできる別の笑いがあるかもしれないから。そういうのはその道でやりつづけていくなら誰もがやっていかないといけないこと。
素の自分の世界観を確固として構築していく大事さを斉木くんから学んだのでした。
みじんこは、素だよ!ヽ(=´▽`=)ノ