「社会治療」という概念を現代アート作品に落とし込むにはどうしたらいいかなーというのを考えています。今日はそんなはなし。
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多細胞生物としての社会
日本世間学会(そんなのあるの!)が広辞苑を引用していたのですが、社会というのはこういうことのようです。
人間が集まって共同生活を営む、その集団。諸集団の総和から成る包括的複合体をもいう。自然的に発生したものと、利害・目的などに基づいて人為的に作られたものとがある。家族・村落・ギルド・教会・会社・政党・階級・国家などが主要な形態。
社会というのは、多細胞生物そのものだなと感じているのですが、分かりやすく言うと「楽に生きることが目的の集団」みたいな感じですよね。一人で生きていくより、数人で住む場所をシェアしたり、食べ物をシェアしたりできるとそれぞれの負担が減って楽になります。細胞たちがやり始めたのはそういうことですね。
「社会」というのを改めて、「人数」と「その社会への滞留時間」で分けて考えてみました。
右下の人数が多くて滞留時間が短いパートは、プラットフォームとかサービスくくりになると「滞留時間短い」になりますが、「インターネット」というくくりだと右上になってくると思うんですよね。ではこのそれぞれの社会構造を「治療」するには何が必要か、あるいは社会治療とは何かというのを考えていますよ!
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みじんこは、社会だよ!ヽ(=´▽`=)ノ