ユミコチバアソシエイツで書家で現代アーティストの山本尚志さんの個展が開催中です。こちら「書家・山本尚志個展「入口と出口とフタと底」を読み解く~画面と空間編」の記事の続きで言語編を短めに。
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タに注目してみる
こちらの画を見て、考えるのは「フタ」が切れて、「タ」だけになってるんだな、ってことなんですよね。個展タイトルも「入口と出口とフタと底」だし。タイトルは「フタ」だろうし。
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でもこれ、もしも単体で予備知識なしに見てた場合、「タ」なんですよね。これだけで「フタ」と思えるのは、個展会場に「フタ」があるからだし、タイトルに「フタ」って入ってるからだし、この作品に至るまでの間に「フタですよ」という認識がしっかり付けられているから。それがまったくなければ、「タ」でしかない。フタだと物体の名称のようだけど、「タ」だとなんだかまったく分からない。
言語っていうのは、分かる人たち同士での共通の約束みたいなものなんですよね。フランス語だったらフタって意味が書かれていても私にはまったくわからなくなります。つまり、共通の約束がない人たちを排除する役割ももつ。それは集落を守り発展させるけれど、外部の人が入りにくくなるというデメリットもある。
「差別」っていうことをあちこちで見聞きすると思うのですが、ちょっと海外でこんなことがありました。白人男性がアジア人女性に対し、「昔、あなたの国に行ったことがあるけど、首狩り族みたいな人たちがいて、首を刈られそうになったんだ」と。単に冗談のつもりなんですが、まずしつこかったこともあり、まるで「お前の国は未開だ」と言ってるように感じてしまいました。かなり高齢の人で、日本でもけっこう年配の人は本人も気づかない感じの差別意識があるかなっていう感じがしています。そういうのはたぶん、私にもある。しかし、こういう時、どうするべきだったのだろうと。差別的ですよって言ったほうがいいのか。たぶんそのほうがいいんだけど、一瞬の出会いの中でそれを言ったところで、こっちが嫌なやつに思われるだけなんじゃないかという気もする。
言葉っていうものが生まれたおかげで、「差別」みたいな概念もできてしまった。言葉がなかったら、差別は認識できなかったかもしれない。そういう意味で、言葉はまるで境界線のようだなと。私は「タ」という形を知っているし、「フタ」という言葉もその意味も知っている。まったく知らない人にとっては、言語ですらなく、ただの線の連なりにすぎなかったかもしれない。言葉のおかげで便利になったし、この世界にはないような世界観も共有できるようになった。その代わりに失ったものはなにか。失ったものはないけど、増えすぎたのではないか、という気もしている。
山本尚志 「入口と出口とフタと底」
会期:2019年12月7日(土)- 2020年1月22日(水)
*2019年12月27日(金)〜2020年1月13日(月祝)の期間、展覧会は開催しておりません。
会場:Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku
〒160-0023 東京都新宿区西新宿4-32-6 パークグレース新宿#206
営業時間:12:00-19:00 定休日:日、月、祝日
✓ 参考リンク 山本尚志 「入口と出口とフタと底」
み!ヽ(=´▽`=)ノ