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知らなかったモノの存在は自分が見える可能性を増やしてくれる~北林加奈子

  • 7月 16 / 2020
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みじんこアート

知らなかったモノの存在は自分が見える可能性を増やしてくれる~北林加奈子

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ArtStickerから、北林さんの作品をコレクションさせていただきました。石っぽい存在のものから髪の毛のように糸が伸びているような作品です。

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1つの物体として見るか、2つの物体がくっついているとして見るかで見え方がぜんぜん変わるというのがとても興味深かったです。

合わせて読みたい  肌-4 – 北林加奈子 | ArtSticker

この作品は、石っぽい部分と糸っぽい部分を合わせて1つの物体なのか、石と糸という2つの物体が組み合わせられたものなのか。1つの物体として見た時は、髪の毛が生えた人みたいだなーっていう感じがしました。この人はどこに行くのだろうとか考えちゃう感じですね。
2つの物体として見た時は、なぜこの糸はここに生えているのだろう。石と糸の関係性はなにか、みたいなことを考えてしまいます。

つまり、1つだと思った時には「視野が物体の外に向き」、2つだと思った時には「視野が物体同士の関係性に向く」ということです。たとえば長髪の人の顔写真では「2つの組み合わせ」とは思わないと思うのですが、通常ではなかなか見かけない、初めて見る組み合わせなので、これは「1つの物体ではないかもしれない」という可能性が生まれてるんですね。
見たことがないもの、知らないものというのが、どれだけ自分の可能性を広げてくれるかというのを示唆させる作品でもありました。

合わせて読みたい  肌-3 – 北林加奈子 | ArtSticker

ここでちょっと2つの物体の関係性だった場合をさらに考えてみます。

人間の身体に置き換えてみると分かりやすいと思うのですが、たとえば2つの眼球が別の生き物だったと仮定します。眼球の望みはなんなのか。「見る」ということが得意のはずなので、いろんなものを見たいんじゃないかなーと思いますよね。自分の望みは「見る」ことではなかったとしても、見えるということが自分の望みの実現を助けてくれるならとても助かる気がしますよね。
眼球の立場からしてみても、私が動くことでいろんな世界が見られたり、病気になった時にケアしてくれたりすることで、長くいろんなものを見られるというメリットがあります。

お互いにメリットがないようであれば、一緒に生きる意味がないはず。でも、私も見えると助かるし、眼球も私があちこち連れてってくれると助かります。お互いの望みは違うけれど、お互いに望みを叶えるのを後押ししあっている同士なんですよね。
細胞というのが生物学では生命の最小単位だとか言われることがあります。そうすると私たちの身体も37兆個くらいの生命の集合でできていることになります。人が集まって町ができ、町が集まって国になっているように、世界は細胞の世界と相似の関係にあります。

世界を生命としたとき、世界の望みはなんなのか。町を生命としたとき、私が暮らす町の望みはなんなのか。私の望みを社会は助けてくれるのか、社会の望みを私は助けているのか。お互いが助け合う関係でないのなら、自分と合う社会に移動するのもいいかもしれない。

私は今、社会を治療する方法としての「配置/移動」を考えているのですが、自作のためにも多くの示唆を与えてくれる作品でした。

今日も読んでいただきありがとうございました!

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