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世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか~経営にも必要なアートという考え方

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世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか~経営にも必要なアートという考え方

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本のオーダー、たくさんありがとうございます。今日は経営にも重要な美意識を鍛えるという側面から、山口周さんの世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」をご紹介です。

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世界のグローバル企業がMBAではなくMFA(芸術学修士)を重要視し始め、経営幹部を美術系の大学でトレーニングさせている、という話が冒頭に出てきます。MBAの分析的なスキルよりも、美術系大学で学ぶようなコンセプチュアルなスキルの重要性が高まっているのだとか。この背景には企業の「差別化」という課題があります。ざっくり言うと、どこに行っても同じような金太郎飴的考え方では、目新しいものが生まれてこないんですね。

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「真・善・美」に基づいた意思決定

この世に完全なる成功法則がない以上、経営というのは時に非常に難しい選択を迫られる場面があります。私は経営者ではありませんが、「おもしろそうなアイデア」があるけど、開発に10億円かかると。失敗したら経営破たんするよーみたいな状況があるとしたら、その選択へのプレッシャーはハンパないのは想像つきますね。
経営に必要なのは「差別化」です。しかし、理論に基づく意思決定のみが重要視されるとしたら、他との差別化ができない。なぜなら、理論で説明できるものは、容易に真似、コピーができるから。それならコンピューターが経営するのと同じこと。

アート、サイエンス、クラフトの関係

そこで筆者が説いているのが、「アート、サイエンス、クラフト」のバランス
・アート:ワクワクするビジョン
・サイエンス:数値で証明できる体系的な分析や評価
・クラフト:経験に根差した考え、知識

なるほどなるほど、ビジョンって大事ってよく言うしね。と思いますが、実はこの中で一番軽視されがちなのが「アート」。なぜならアートは理由が説明できないからです。サイエンスとクラフトが「統計的になんとか、過去の経験上どうこう、昨年の売り上げがどーたら」と説明できるのに対し、アートは「なんとなくこっちのほうがおもしろそう」という説明になりがち。
うん、両者が並んだら、アート的な意見のほうが根拠がないし失敗しそうな感じがしちゃうよね。しかし、このアート的な直観によって、アップルしかり、ソニーのウォークマンしかり、イノベーションが起きているのも確か。


バナナーというイノベーションが起きているのも確か。

アートの欠けた企業が売り上げを伸ばすには、スピードと量によって生産性を上げるしかない。だって、新しいものがつくれないわけですから。早くたくさん何かのコピーあるいは類似品をつくる必要がある。これは突き詰めれば突き詰めるほど、社員が疲弊していくのです。早く結果を出さないといけない。そうしたプレッシャーによって、隠ぺいや偽装が生まれてくる。一時期多かった食品の偽装なんかもそう。冷静に考えればダメなの分かるじゃん、と。それでもやってしまう心理状態は、アート(真・善・美)の欠けた環境によるプレッシャーによって生み出される。そして、これは企業に限らず、個人にも起こりうること。

魂が動かされるマツダのデザイン

本書では、日本カー・オブ・ザ・イヤーを何度も受賞しているマツダの例を挙げています。日本だけでなく、World Car Awards、レッド・ドット・デザイン賞など世界の名だたるデザイン賞に受賞歴をもつマツダ。デザインを担当する前田育男氏が「Car as art(アートとしてのクルマ)」というビジョンを掲げ、「魂動(こどう):Soul of Motion」という哲学を打ち立てました。このデザインを採用して以来、マツダの売上高も比例するように伸び続けています。

アートと呼ぶことができるレベルの作品は、説明がなくとも、一目見たその瞬間に人を感動させられるものでなくてはならない

こちらは前田氏の言葉です。
なんか、「そうなんだよ、言葉で説明できないものがアートなんだよ!」という声が聞こえてきそうですが、現代アートという立場から考えてみると、車のデザインは作品の見映え。コンセプトに当たるのが魂動、アーティスト・ステートメントがCar as Art、でしょうか。この曲線のラインが角度12度だから美しく感じる、みたいな説明は不要ですが、少なくとも「魂動」というコンセプトは言葉になっている。抽象的ですが、これが「魂動」であるのと、「雑草魂」であるのとだったら、やっぱりアウトプットになる作品が違うはずですよね。

経営に必要なのはアート、サイエンス、クラフトのバランスですが、アートが先頭に立ってビジョンを構築し、サイエンスとクラフトで両脇を固めるのがバランスの良い状態。直観でこれだー!って思ったとしても、理論的におかしい、経験的に絶対ダメだった、なことは、やはりうまくいかないのです。理論も組み立てられない、経験したことがないような領域に踏み出す時、「美意識」は自分(会社)を導いてくれるに違いありません。

芸術鑑賞によって観察力・論理力を磨く


アートの学校なんか行ってる暇もお金もないよ!という人にオススメな美術鑑賞法は以前も紹介したVTS(ビジュアル・シンキング・ストラテジーズ)作品を「見て、感じて、言葉にする」ことで、観察力、思考力、論理力を鍛えます。

合わせて読みたい 子どもの学力を伸ばす美術鑑賞法~思考力を鍛えるVTS(ビジュアル・シンキング・ストラテジーズ)

美意識はどうやって鍛えるか?

本書では企業の美意識が反映されたストーリー、世界観はコピーすることができない、としています。美意識は経験的に分かることでも理論的に考えられることでもありません。なんとなく「美しい」感じ。このなんとなく感を鍛えるにはどうしたらいいのでしょう。VTSで鍛えられた観察力、論理力はそのまま美意識なのか?


日常的に良いものに触れること、アートをいっぱい見に行くことというのはよく言われる方法ですね。一流のモノを創りたければ、一流を知らないといけないと。一流に自分を馴染ませる、というのも一つの方法ですが、私自身は単に数多く見に行っている、あるいは買っているイコール美意識が高い、とは思わないんですね。
理由は日本人のほとんどが英語を話せないから。たぶん、ほとんどの日本人は中学・高校で最低6年間は英語を勉強しているはず。それでも英語が話せない。6年も英語の授業があっても、英語に馴染めてないですよね笑。なので、私は単にたくさん見ている、たくさん買っているイコール美意識が高い、とは思わないのです。そもそも買う、見るは時間とお金があれば誰でもできること。それだけでは美意識が高い、美意識が鍛えられていることの理由にはなりません。


さて、では現代アーティストとしての美意識について考えてみます。東京画廊の山本豊津さんの著作「アートは資本主義の行方を予言する」で、山本さんは良い作品には品格がある。品格とは何かにおもねることのない純粋性によってにじみ出る、と語っています。売り上げを上げたい、有名になりたい、うまくいってるものに似たものをつくっちゃお、単に気をてらうなどの気持ちではなく、純粋な行為から生まれる、と。山本さんは古美術の真贋を見極めることを通じて、品格の良い作品を見る目を鍛えたのだとか。
なるほど、非常に納得できる言葉なのですが、自分も古美術の真贋を見比べていれば分かるようになるものなのでしょうか?古美術に全く興味がなかったとしても?それってなんとなく受けてる英語と同じで、漫然と時間だけ過ぎそうですよね。すでに評価の定まった骨董を見て「これは品格が良いね」ということはできるかもしれませんが、それはすでに「評価が定まっちゃった」部分を見てますよね。全く無名の作品を見て、「これは品格がある!」と分かるようになるのでしょうか?うん、なんか自分には無理な気がします。分かった気になって実際はぜんぜん分かってないというなんか見栄っぱりっぽい展開になりそうです。
私は現代アートを「意味わかんないし何がいいのか分からない」というところから始めています。同時に一般的に良いと言われている作品についても「なんで良いって言われてるんだろう?」と未だに分からないことばかりです。だから、そんな状態の自分でもできることは何だろう、という視点で自分のための勉強法をいつも考えています。自分が何かを勉強しようと思う時に最初に考えることは「興味があることのみをやる」。それ以外はいかに誰かが良いといってても、自分には向いてないことなのでやらない。
マインドフルネス瞑想がいいとか書いてあった。瞑想っぽいことを試したこともあったけど、瞑想自体がつまんなすぎて自分にはつづかない爆。

うらやましいと思う気持ちがゼロな人生を送る

そんなわがまま放題の私が考える美意識を鍛える方法は、誰かのことを一秒たりともうらやましいと思う気持ちが生まれない人生を送る、ということ。うらやましいと思う気持ちは、自分がやりたいことだから生まれる。それがないということは、自分が100%満足いく人生を送ってるってことですよね。
美意識、何をもって美しいと思うかは、人によって違います。人によって好きなものが違うのと同じように。つまり、この世界で唯一、完全にユニークでオリジナルなものは自分しかない。それでも、日常の中で、本当は違うことしたいけど時間がない、お金がない、と気にすることはあると思うのです。自分がうらやましいと感じる気持ちに敏感になって、それが叶うように小さくても一歩踏み出す。そうして何に対してもうらやましく感じることがなくなった自分は、何にもおもねることのない純粋な存在だと思うのです。そういう純粋な自分が誰かの作品や何かのアイデアを見たら、それが純粋になり切れているかどうかは判断がつくんじゃないでしょうか。

ソニーのウォークマンは「飛行機内で音楽を聞くための小型・高品質のカセットプレイヤーが欲しい」という井深大氏の純粋性から生まれた。そういう発言を聞いた時、「きっとこの人、本当に機内で音楽聞きたいんだろうな」って分かりますよね。美意識、品格というのは、結局のところそういうことだと思うのです。

参考リンク 理屈をこねる前にやってみよう <ウォークマン>


みじんこは、うらやましいことがいっぱいです!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「うらやましいよっ。」
「いいなー」

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