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家入一真「なめらかなお金がめぐる社会」幸せから逆算する人生と所有者のいないお金について考える

みじんこレビュー

家入一真「なめらかなお金がめぐる社会」幸せから逆算する人生と所有者のいないお金について考える

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本のオーダー、いっぱいありがとうございます。読書は割と好きなほうなんですが、いつもは単に読むだけで「いいこと知った」気になって終わっていました。でも、こうして改めて文章にすることで、自分の中に知識が蓄積するようでいいですね。よく自分でお金をかけたほうがちゃんと勉強するなんて言いますが、それも人それぞれ。私は誰かに出してもらったほうが責任を感じて勉強するほうです。あなたはどうですか?
さて、今日は社会をめぐる「なめらかなお金」について考えてみました。

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自分の幸せから逆算する人生

優しい革命を起こす、そんな思いを掲げる連続起業家、家入一真さんの著書「なめらかなお金がめぐる社会」。クラウドファンディングCAMPFIRE、フレンドファンディングpolca。どちらも私はプロジェクト起案したことがありますが、それは、これまでの自分にはなかった「お金についての感覚」を教えてくれた体験でした。

セントラルパークで制作(Ouma)

合わせて読みたい なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。

初めてのクラウドファンディングで実感したことは、「顔の見えるお金」のありがたみ。私のプロジェクトはニューヨークで初個展をするための費用が欲しい!だったのですが、単に個展をするだけでなく、なるべく次のチャンスにつながるよう、自分でもできる限り動くことができました。それは、支援してくれた人にがんばった成果を少しでも見せたかったから。こういう個人的なプロジェクトの場合、支援してくれる人はほとんどが直接の友人・知り合いです。だから、リターンが欲しいとかではなく、純粋に応援してくれる気持ちからきてるのだと分かる。返せるのは、自分がどれだけやれることをやったか、という過程を示すことだと思い、プレスへの連絡や個展の案内カードをニューヨーク中に置きまくってくるなど、思いつく限りのことをやりました。
意外な発見があったのはpolca。クラウドファンディングでは500円を見知らぬ人に払うのはちょっと高いかな、という気がしてしまう。クラウドファンディングの500円のリターンって、だいたいお礼メールのみ、なんですよね。だから投げ銭とほぼ同様なんですが、知らない人の個展に500円を支援するのはちょっと高く感じちゃう。
でもね、恐ろしいかな300円。300円だとポイポイ投げられちゃう。そしてポイポイ自分にも返ってくる。結局もらったのと同じ額がいろんなところにまわっていくという。しかし、お金がまわったのと同じ分の交流が生まれている。最近はpolcaもほとんど覗いてないのですが、でも、自分が送った何人かのことは覚えていて、どうしたかなと心に留まっている。5年後くらいに大物になってたりしたら嬉しいだろうね。自分は300円しか応援してなくても。そうじゃなくても、あなたが今日を生きる小さな力になってたら嬉しい。少なくとも、私の力にはなってるよ。

一時しのぎができることでチャレンジのハードルが下がった

同じく家入さんがらみのサービス、BASE。こちらはなんでも売ることができるので、2016年のバルセロナで、私は自分がレストランで美味しくごはんを食べられる権利を売ったんですね。払ってくれる人にはメリットがないので、応援のためだけのサービスです。バルセロナからポストカード発送や子どもたちの施設にプレゼントを贈る、みたいなのも同時にやってましたが、1か月の合計で7万円くらいになった。
この時は初めての長期(3か月)アートプログラム滞在で、日本でやってた仕事もいったんストップしないといけなかった。仕事はなくても出ていくお金はあるので、チャレンジ自体が自分にとってなかなかの賭けでした。滞在費は共益費のみでほぼ無料だったけど、渡航費や生活費、画材代はかかるのに、3か月まったく無職になっちゃうわけですし。だから、海外で少しでも稼ぐ「手段がある」というのは、一時的でもしのげるのでありがたいことだったのです。

参考リンク Oumaのみじんこショップ

支援してもらっている身でできる贅沢はどこまでか

こうしたサービスの台頭はありがたいのだけど、負の側面として感じられることも時にあります。自分の場合は「贅沢ができなくなる」というプレッシャー
明らかな商品がリターンとして戻ってくる予約販売的なクラウドファンディングならともかく、バルセロナで美味しいパエリアを食べたい、勉強するためのKindle本を買ってほしい、は起案者(私)へのメリットが強い企画です。
こういった企画を立てた時、自分の貯金からパエリアを食べてよいのか、Kindle本を買ってよいのか。あるいは、Kindle本より高い高級スイーツを食べに行っていいのかと悩む心が生まれる。
現在の私はアーティストが本業なので、いくら高くてもサグラダファミリア入館料20ユーロとかは「勉強のために」という理由があれば許されそうですよね。じゃあ「水族館行きたい!」は?「スキューバダイビングしたい!」は?
2016年に初めてバルセロナにきた時は、実際にかなり切り詰めていたし、「オーダーが入らないことはしない」と決めて、オーダー以外でレストランに行くことはしなかったんですよね。なんとなく、クラウドファンディングやBASEでこのようなお金の集め方をした場合、それは「他人様のお金」であり、自分に余裕がある時はいただいてはいけない、他人様のお金を使っている身で贅沢してはいけない、と考えてしまう。
私は超無名人なのでどこからも批判喰らったり炎上したりしたことがないのですが(たまには炎上してほしいくらいですよ!)、クラウドファンディングでの炎上案件の多くが「そのくらい自分で出せ」ですよね。遊ぶ金くらい自分で出せ。贅沢する金があるなら他人様から本代なんて集めるな、と。

私たちは何をどこまで許せるのか

・たとえば寄付金で運営している途上国支援NPOの代表が寄付金とは別のところで稼いだお金でポルシェを買う。
・たとえば生活保護をもらっている人が生活保護費を切り詰めたお金で高級寿司を食べに行く。
・たとえば壊れたiPhoneの代わりに新しいiPhoneを買うお金をクラウドファンディングで集める。
・たとえば世界一周旅行をしたいニートがクラウドファンディングでお金を集めて旅行する。
・たとえばホームレスの妻が単に焼肉を食べたいだけのクラウドファンディングでお金を集め、焼肉以外に高級ブランドを買う。
・たとえば有名芸能人が新ブランドを立ち上げ、商品をクラウドファンディングで販売する。
・たとえば国家公務員が昼の休憩時間にコンビニで漫画を買う。
・たとえば有名芸人が都内から自宅に帰るまでの電車代をpolcaで集める。

いくつかは実例をもとに例えを考えたので、元ネタがなんだか気づかれた方もいるかもしれません笑。ちなみに公務員の例も実話で、公務員やってる友人が昼休憩の時にコンビニにジュース買いに行ったら苦情の電話が会社にかかってきたことがあるそうです。「公務員がコンビニでサボってる」と。
クラウドファンディングで小さくお金を稼いだ場合、他の贅沢ができなくなるプレッシャーってありませんか?クラウドファンディングで個展費用10万を稼いだとする。他でバイトして3万円稼いだとする。そのバイト代で高い焼肉を食べに行けないプレッシャー。全額、アートのために使わないといけないプレッシャー。焼肉行っても黙ってればいい、勉強してることだけ表に出しておこう、ってしたとしても、どっかで誰かが見てて、ひょんなことから「あいつ、クラウドファンディングでお金集めてたくせに、叙々苑行ってやがる」って晒されて炎上しないですかね?

自分の幸せから逆算した選択

「焼肉行きたい」という個人的プロジェクトへの支援が嫌なら支援しなきゃいいっていう意見はまことにごもっともで。しかし、今回考えたいのは起案者側の気持ち、起案者側の「罪悪感」。私みたいに生まれながらに清らかに育っちゃってる人だとね、他人様からお金をもらってる身なのだから貧乏に生活しないといけないというプレッシャーを抱えちゃうんですよ笑。誰にも言われてなくても。そうして「なるべく安い」ことを優先するようになる。昔はやってましたよ。賞味期限が1年前のレトルトをもらって食べてたこともあった(ぞわぞわした味がする)し、くれる食べ物はなんでももらおうとしてたことがあった。
今はね、好きじゃないものは断るし、もらわない。パクチーは好きじゃないのでくれる人がいてももらわないし、パンはあまり食べないので、タダでも持ち帰らない。贅沢するってわけじゃないですよ。どんなに高級でもブルーチーズはいらないし、私はアルコールを一切飲まないので100万円のワインだとしてもいりません(舐めてはみたいが笑)。自分の幸せから逆算した選択をするということ。自分はこれが好きです、という選択・行動をしていかないと、自分の幸福は遠ざかる一方。だって、自分の幸せが最優先になってないんだから。

人には応援する喜びがある

被災地に寄付する。教育支援に寄付する。それは素晴らしいことだと思うけど、誰かが焼肉食べに行くのに支援するのも同じくらい素敵なことだと思う。
支援したお金が、次のリーダーとなる若者を育てる教育のために使われなくても、地雷を取り除くのに使われなくても、誰かがわーい(*´▽`*)って喜べることになったなら、それで十分、世界平和への貢献じゃないでしょうか。
自分たちが出し合った300円で誰かが美味しいごはんを食べられた。
自分たちが出し合った300円で誰かがパソコン買い替えられた。
自分たちが出し合った300円で誰かが海外旅行に行けた。

美味しいごはんを作ったレストランも喜んだだろう。
パソコンを作った会社も喜んだだろう。
海外旅行で泊まった場所や食べたごはんや交通手段に関わる人たちも喜んだだろう。

そのお金に関わる幸せの連鎖を考えたら、お金を使うことで生まれる幸せの連鎖は莫大だ。そして好きなものを応援するというのは、応援する本人にとっても喜びになること。野田洋次郎が「鶏のから揚げをたらふく食べたい」というpolcaを始めたら私は払っちゃうね笑。本人にお金があろうと関係ない。好きなものに関われる喜びがそこにはある
自分の幸せから逆算した時に、なんらかのプロジェクトを立ち上げることで自分の行動に制限がかかると思うのであれば、最初からプロジェクトはやらなければいい。あるいは、そもそものページに「いただいたお金は高級寿司屋に行くために使われることがございます」って注意書きをしておくとか笑。

真似できる企画をばらまきたい

私はKickstarterでやられていたポテトサラダ企画が本当に好きで。料理ベタなおじさんがポテトサラダを初めてつくると。1ドル払ってくれたら、その時にあなたの名前を叫びますよ、というもの。たったそれだけなのに、600万円近く集まって、いろんなメディアで取り上げられた。
あとからパクリ企画がいっぱい出てきて、それらは全然成功してないんだけど、でもこれってすごいなと。だって、この企画がきっかけで、行動を起こす人が増えたってことだから。高性能の○○を販売、みたいな企画は普通の人ではとても真似できない。でも、これならほとんどの人が真似できる。ちょっと変えてゴボウサラダをつくる、にしてもいいかもしれない。プロジェクトが成功するしないの問題じゃなくて、「自分もやってみよう」が増えたところが素敵だと思うのです。
「自分が食事する権利」は誰でも思いつくし、実際いろんなところでやられている。最近、私がやってるKindleで本買いたいもそうですね。真似できる。バンバン売れてなくても、「これで買う人いるんだ!」っていうのが分かれば、試そうという人がいるかもしれない。ネットで3000円稼げたところで、それで生活がすっごく楽になるわけでもないし、大きく変わるわけでもない。でもその「自分でもできた」という小さな成功体験は、自分の世界を変えてくれるはずだ。それに売れなかったって何一つ損はない。
なんかちょっと前にネットで楽して月100万円、みたいな文言が流行ってたけど、ぶっちゃけ、月100万円も稼がなくてよくない?そんな稼いでも使いますかね?それよりも私は、笑って500円払いたくなる企画をつくりたい。誰でも真似できるやつ。それから、こうして旅をしている間に、現地の人と一緒になんか企画できたらいい。

参考リンク Oumaのみじんこショップ(アイデア枯れ気味)

所有者のない資産

ここで改めて「なめらかなお金」について考えてみる。それは所有者のないお金(資産)が増えることではないかと。
ちょっと前までフランスの教会に滞在していましたが、パリから友人たちが泊まりに来てくれました。超広い教会でしたが、滞在してるアーティストは私だけで。スタッフさんに聞いたら、空いてる部屋に友達が泊まってもOKとのこと。庭の野菜も好きに食べていいとのことだったので、夕ごはんのサラダに出してみんなで食べてました。
もしもこれが自分ちだったら、「水道代がー、洗濯や掃除が面倒ー、野菜はたくさんはあげられないー」とか考えちゃったかもしれません。でも、この場所は誰のものでもありません。運営はどっかの団体から費用が出てるんだけど、個人所有ではない。
自分のものじゃないけど、自分が使用許可を出せるものってすごいなと。誰かが喜ぶために、「いいよいいよ使って」と言えてしまう。好きなだけ野菜採っていいんだよと言えてしまう。自分の物だったら「やってあげた」に対して代償を求める気持ちが生まれそうです。

バナナーの神、赤帽ロイカーゴ


最後に、全世界のごく一部で話題の赤帽ロイカーゴのご紹介を。現在、私がこうしてのうのうと世界中を旅しながらアート制作できているのも、この方のおかげで。たまーにバナナ―広告の形でいただいた分の支払いをしているのですが、それでもバナナ―でいうとあと500本くらいの支援金が返しきれていません。
そんな最強のアートパトロン氏なのですが、すごいのはいただいたお金の用途は問わないということ。貯金してもいいし、映画見に行ったり美味しいものを食べたりしてもいい。アートの勉強のために使わなくてもいいのです。(そもそもアートの勉強ってアートを見るだけではないですが)何より、もともとアート活動のため、ということで出してもらってるのに、アーティストをやめてしまっても構わないのです。活動報告の義務も全くないので、プレッシャーもゼロです。
そうはいっても渡航費がけっこうかかる旅なので、支援金が余ることはなかったのですが、上海でのレジデンス以降、渡航費助成が出るプログラムに受かり始めてきたので、余裕が出てきました。その分、制作にお金をかけられるようになったし、現地でいいものが食べられるようになった。日本に遊びに来てくれたアーティスト友達にごはんをご馳走できるようになった笑。もともと自分の物じゃないお金。貯めないで使う。安いものではなく、ちゃんと欲しいものを買う。
ちょっととめどない感じの文章になってしまいましたが、所有者のない資産(お金)が社会に増えること、それがなめらかなお金なんじゃないかと思います^^。・・・まあ良く考えるとそれは税金なんだけど、ふるさと納税しかり、自分の税金をもっと自分の好きなように使えたら、なめらかなお金が増える気がしています。そんなわけで、強制的にもっていくんじゃなくて、収入のX%を自分の好きな納税プロジェクトに支援して、報告しなきゃいけない風にしたらどうよ?


みじんこは、幸せを第一選択します!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「幸せが一番だよっ。」
「幸せがいいよー」

mijinconbi

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