良著を濃縮還元してお届けするみじんこブックレビュー。「アーティスト症候群」から、自称アーティストが増えまくった社会情勢をご紹介。
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自称アーティストの増加
本書の作者・大野左紀子さんが「元現代美術家」だったことは非常に興味深い。一般人でもなく、プロのアーティストでもなくなった立場から、急速に「アーティスト」が増え始めた現代について語っています。本書から、アーティストが増え始めた時代の流れなどを抜き出してみました。
80年代前半はアーティストではなく美術家と名乗っている人が多かったが、一方で、美術ジャーナリズムが率先して使いだした「アーティスト」は、80年代を通じてゆっくり広がっていった。
80年代の美術業界周辺で、アーティストといえばそれはたいてい、現代美術の作家のことを指していた。仮にアーティスト本人が頑なに美術家を名乗っていようが、画家と名乗っていようが、作品が現代美術の文脈、範疇ならアーティストである。日展などの団体展に出品しているオーソドックスな絵や彫刻をつくる作家、花鳥風月を描く日本画家がアーティストに含まれることはなかった。アーティストと呼ばれる者は、金ぴかの額縁に入れて応接間に飾るような絵を描く者ではないという暗黙の了解があった。それが80年代頃の話。
また、日本のミュージシャンをアーティストと呼ぶようになったのもこの頃。これについて、欧米のミュージシャンがアーティストと呼ばれて紹介されたことが大きいのでは、と筆者は推察する。
なぜアーティストと名乗るのか
高名な批評家に認められなくても、見に来てくれた人が楽しんでくれればそれでいい。作品が売れればいい。前者は娯楽提供、後者は商売としてアートを考えている。しかし、本当にそうならば、アーティストと名乗る必要はないのではないか。作ったモノをアート作品として提示しなくてもいいのではないか、と作者は問いかける。そう、それなら自分が作ったものを「作品」と呼ばなくてもいいはず。「商品」ではダメなのか。あるいは「雑貨」あるいは単に「絵」で良いのでは。売り物である以上、すべての作品は商品であるはず。それでも商品とは呼びたくない。人が触れるのを拒否し、安く買われるのを拒否し、雑に扱われるのを拒否し、これには価値があるのだと声高に叫んだところで、歴史に残らない作品は最終的にどこかで全部捨てられるのに。
名前が重要なのか作品が重要なのか
作家のネームバリューが大きくなってしまえば、もはや作品そのものなど意味がない。2003年、日本のあるオークションで地味な人物画の小品が競売にかけられたことがあった。作者不詳で落札予定価格は1、2万程度。これが本物のゴッホの作品だったことが分かり、6600万円まで価格が高騰した。筆者は「絵画は美術市場において、ゴッホのサイン入り色紙になったといってもいい」と言及する。
✓ 参考リンク ゴッホの初期作、日本で発見 8日に競売
アーティストと職人とクリエイターとデザイナー
アーティストというワードが飽和してきたと思ったら、今度は「クリエイター」という言葉が出てきた。これはIT系の仕事が増えてきた関係があるはず。アプリ開発や動画作成などをする人たちの呼称として「アーティスト」はなんかしっくりこない。あえていうならメディアアーティスト・メディアアートか。そうではない類についてクリエイターと呼ばれるようになったんじゃないだろうか。
各カテゴリのイメージは、本文にみじんこの解釈を追記・再構成したものです。
かつてのアーティストは政治的なメッセージを絵画に込めることもしていた。今は絵さえ描いていればアーティストと言えるし、周りもそう考える。
なぜアーティストと自称するのか。
ドラッガーがいうように「何によって知られたいか」を端的に示すものが自分の呼称だと思う。それが獣医師でもいいし、アーティストでもいい。もし、アーティストとして知られたいのであれば、なぜそう思われたいのか、自分に問いかけてもよいだろう。「かっこいいから?」「何もしてない自分をなんかやってるっぽくごまかせるから?」「美術の世界にイノベーションを起こしたいから?」
特に明確な理由がないのであれば、とっくに価値の暴落した「アーティスト」なんて呼称をわざわざ使う必要は果たしてあるのだろうか。
職人やクリエイターは「応える人」だが、アーティストはいつも「問う人」として受け手の前に現れるのである。
最後に本文より。『作品とは、私はモノをこう見る、それを通じて私はアート(絵画、彫刻、写真など)をこう捉えるという考えの提示』
もっと刺さるような問いを作品に乗せなければいかんな。と反省を込めて。
✓ 合わせて読みたい みじんこ漫画で分かりそうになる現代アート1 現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ
みじんこは、問いっぱなしだよ!ヽ(=´▽`=)ノ