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世界遺産の石の町、タンザニア・ザンジバル島のストーンタウンと奴隷市場

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世界遺産の石の町、タンザニア・ザンジバル島のストーンタウンと奴隷市場

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物語の元ネタになっている町をご紹介するシリーズ、今日はタンザニアの世界遺産の町、ストーンタウンをご紹介。

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長編小説「夜の案内者」の第一章、猫の町のモデルになっているのがタンザニアのザンジバル島にある石の町、ストーンタウン。石造りの入り組んだ街並みが魅力であるとともに、町全体が迷路みたいに小さな路地がいっぱいあります。

もともとは独立国だったザンジバル島は、タンザニアなのですが入るのにイミグレーションカードの提出が必要になります。島のあちこちに奴隷を閉じ込めていた豪などが残っていて、奴隷たちが運ばれていった港などを見学することもできます。

参考リンク  【ザンジバル】世界遺産「ストーンタウン」と負の遺産「旧奴隷市場」

私がタンザニアを訪れた2011年。ザンジバル沖でフェリーの転覆事故が起き、多くの人が亡くなりました。私が本土からザンジバル島に着いたのはその数日後だったのですが、島全体が「喪中」になっていて、夜のバーなどは閉店していました。

参考リンク  ザンジバル諸島沖でフェリー転覆、193人死亡 タンザニア

島の東側の市内を歩き回っている時、子供たちに囲まれました。近寄ってくる子供たちの写真を撮らせてもらってたら(※タンザニアでは写真撮影を嫌がる人が多いので、撮る時には本人に聞いたほうがいいです)、近くにいた大人が「写真を撮るなら子供になんかあげて」って言ったんですね。お菓子とかもっていればよかったんですが、何ももってなかったのでどうしようと思ってウェストポーチを探り、一本のペンを手に取りました。これならあげてもいいかなとポーチからちょっと出した段階で、目の前にいた子がバッてペンを取ってもってっちゃったんですね。まだ「どーぞ」ってする前にです。そしたら、他の子供たちも揃って「ハロー、ペン!」の大合唱。全員にあげられるほどペンの持ち合わせがないので、ごめんねって言ってそそくさしてきたんですが、これはあんまりいいことじゃなかったなぁって思ったんですね。それは、この行為一つが「言えばくれる」みたいな教育になってしまったからです。撮影させてくれたらお菓子あげるよ、みたいな交換になっていればよかったけど、ペンを奪っても怒られない、なんかくれって言ったらくれる、っていうのを体験として学んでしまったよね、たぶん。

当時はガイドブックの取材でタンザニアに滞在していたのですが、5週間の滞在期間のうち、4週間が一人旅。私はおなかを壊しやすいので、長距離バスでおなかを壊さないように、言ってる間は食事量を減らし、バナナとかジュースばかりを口にし、現地の食事をあんまりしなかったんです。帰ってきた時には体重が7キロ減、最終的に体調も崩して帰国してから1週間寝込みました。そもそも行ってる間はマラリア予防薬を週イチで飲み続けなければならず、市内を歩いている時はバックパックを身体の前に背負い、常に周囲を警戒して歩いている状態で、精神的にもへとへとになりました。タンザニアは窃盗系の犯罪は多いけど、殺人などの凶悪犯罪はそこまで多くはないんですね(当時、今はわかりません)。あと、自分が取材初心者なこともあり、割と安全なエリアを担当させてもらっていましたし(ザンジバルは観光客が多く、レストラン内でiPadを出して使っている人がいるほどでした。普通は盗まれることを懸念して人前で高価なものを見せません)。でも、普通の旅行者と違い、取材で言っているので、持ち歩く紙物の資料はどんどん重くなっていくし、それを抱えて旅を続けるのはなかなかしんどかった。いつも、16-17時くらいには宿に戻り、資料の整理をして20時には疲れ切って寝ていました。
日本に帰ってきて、すごく感動したことは、23時におなかがへって「ちょっとコンビニ行こう」って外に出れること。タンザニアにいた時は、本当にしょっちゅう停電するし、ホテルの部屋にいても侵入されるかもしれないし、誰を信用すればいいのかわからないし、なんかもう、いろんなことを疑って本当に疲れ切りました。「安全」って宝なんだなぁって心から実感した。深夜に安心して外に出られるってすごいことなんだなぁって。

当時、タンザニアに滞在していた自分(まだアーティストではない)に、素晴らしいアートを見せて「どうよ、これ」って言ったところで、たぶん、「ふつうにウザイ」だけなんですよね。美味しいごはんとかが出されたほうが普通にうれしいし、力になる。でも、地球上の多くの場所ではそうなんですよね。アートがもっと能動的に、現実に働きかけられないだろうか、というのを私はこの経験からすごく考えています。具体的には、現地の人たちと一緒につくれるようになりたい。私がつくるアート作品は技術が不要で単純作業だけが連なるものって多いんですよね。そういうものなら、すぐにでも誰かに手伝ってもらえる。宗教画は描かれる「対象物」の力で人々の救済になっていますよね。では、そうではないアート作品はどこまで人々に影響できるのか。自分にもっとアーティストとしての力があれば、現地の人と一緒に作品をつくり、それを地元の観光資源の一つにすることができるかもしれない。そうして一緒につくったものが、現地の人にとっても誇らしく思えるような。

参考リンク  Oumaのホームページ

物語についてもまた。織田信長とか歴史上の有名な人物は、今はマンガになったり映画になったり、いろんな物語に変わって現実の人々の影響を与えている。ルーマニアの町、シギショアラを統治していたドラクル公は、「ドラキュラ」という物語に変わることで、現地に観光客を呼び、死後600年近く経った今でも、町の発展を支えているんですよね。

合わせて読みたい  ドラキュラ伯爵に会える!世界遺産の町ルーマニア、シギショアラのお勧めレストラン&カフェ7選+1

アートでも物語でも、もっと現実と密接にリンクして、現実に能動的に働きかけられるものがつくれるようになりたい。そんなわけでできることからちょっとずつ。引き続き、物語の舞台になった場所をあちこち紹介していきますので、お楽しみに!^^

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「変えまくるよー」

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