2019年6月現在、世界9か国10か所のアーティスト・イン・レジデンスに参加している私は、割と各国のアーティストさんと直接話すことが多いと思うんですよね。レジデンスによっては、有名ギャラリーに所属しているアーティストさんだったり、自分が過去に落ちた競争率の高いレジデンスプログラムに合格しているアーティストさんなど、割と評価を受けているアーティストさんと同居することもあります。そうして話していて感じたのは「後追いでも意外と戦える」です。もっと言えば、後からでも「全然勝てる」。
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そこそこ売れてる現代アーティストの傾向
歴史的に評価を受けるかどうかはちょっと置いておいて、今現在、そこそこ売れてる、あるいは評価を受けているアーティストさんの傾向って、超ざっくり2パターンに分けられると思うんですね。
1)コンセプトが明確で作品がそれに沿っている
2)高い技術力がある、あるいはモチーフがキャッチー
コンセプトの作り方
アーティスト・ステートメントと言ってもいいかもしれませんが、作品の根幹となるコンセプトはどうやってつくるのか。根本的なことですが、これは「自分が興味をもっていること」が起点です。他の人より詳しいこと、と言い換えてもいいかもしれない。私の場合は「生命」「癒し」「医療」みたいなものがテーマになっています。元が獣医だったし、アーティストになる前から人の心の癒しってなんだろうっていうのを心理学的アプローチからいろいろ調べていたし、脳科学も好きなので、テーマを支える知識はそういったところから来ています。これが自分自身の真実から離れている現代アートは基本的に全部ダメ。どこかでウケたとしても、結局深まらなくてどこかで打ち止まるので、とりま生活費が欲しいとかでない限りは現代アートとしてはやらないほうがいいかなーと思います。
しかしですね、意外とこの「自分の好きなこと」で留まってしまっている作家が多いんですよ。「自分はみじんこが好きだから、みじんこを描きました」それは真実だろうけど、「で?」って感じですよね。そっかよかったね、と。それが現代アートとしてOKなのであれば、子どもが描いたうんこの絵も現代アートとして評価されてしかるべきになるわけで、そこはプロとしての差がないといけない。そこを出すのにまず必要なのは「社会との関連性」です。つまり、みじんこを通じてどう社会を見ていくか。みじんこ(=自分が興味あるもの)と社会との関係性を探るわけです。
我々は常に社会に関わっている
我々は否応なく、社会に関わって生きているわけですよね。現代アーティストとしては、日常的に社会を意識して生きているか、が重要になってきます。たまに日本のアーティストさんで「消費社会の表現」とか言っている人がいますが、私は正直、「昭和」だなぁって感じます。時代はすでにシェアリングエコノミー化しているし、私自身はもともと「モノがもったいない」と考える傾向が強いので、使えるものは手間をかけてゼロ円でも人に譲りたいと考えるほうなんですよね。上海とかに行くとバリバリ消費社会なので、その熱量とか考えると、日本はやっぱりもう消費社会ではないよなっていう感じがします。
社会の傾向って意識的に社会に触れていくことでどこにいても感じ取れるんです。たとえばね、会社に問い合わせをしたときのメールの質が昔とずいぶん変わったなって私は感じています。具体的にいうと2パターンに分かれてきた。たとえば「パソコンが壊れました、どうしたらいいでしょう」とメールした時、1「これこれを試してください、ダメなら修理しかないです」とテンプレを送ってくる場合、2「それは本当に申し訳ないです。今は海外なんですかー、だとすぐに修理は難しいですね、お困りでしょう。海外でもできる方法としてこんなのがありますが、試してみていただけますか」と相手の状況を加味したメールを送ってくる場合。昔は1しかなかったように思うんですね。特に「消費社会」時代は。でも今はメールの向こうに人がいて、その人は「私のことをちゃんと考えている」という感じがするものが現れてきた。同じようなサービスが乱立する中、私はいつも販売員が親身になってくれる池袋のビックカメラでカメラを買うし、「作品制作がんばってくださいね!」と声をかけてくれる池袋のたかむらで和紙を買う。そういうサービスを受けると、デフォルトで無愛想な自分ですら「本当に助かりました、ありがとうございます!」と言いたくなってしまうんですよね。そういうところから「人とつながる」重要性が自分でも分かる。そしてそれは、社会が教えてくれる一つの「真理」なんですよね。消費社会やシェアリングエコノミー、仮想通貨とかはたぶん変わる。でもこの「人がいることによる喜び」っていうのは、人がいる限りなくならない。
岡田斗司夫さんのいう「時代のしおり」としてアートをつくる場合には、「消費社会」「シェア経済」「仮想通貨」みたいなものを取り入れるのももちろんありです。ただ私はそれらがそこまで「長持ち」するものだとは思えないので、やらない。これだけ変化が早くなっている時代なので、3年後には別の経済概念が生まれて浸透しているかもしれないし、そういうのを自分で読んで次々作品に入れていけるとも思えないですからね。これについては、そういうのが得意な人は全然やってください。
2秒で説得できるバックグラウンドをもつか
自分が決めたコンセプトについて、他者を2秒で説得できるバックグラウンドをもっているかどうか。コンセプトをつくる上でこれも重要なポイントです。たとえば私が「生命」をテーマにした場合、元臨床獣医師である、というのは非常に分かりやすいバックグラウンドです。実のところ、獣医だから生命について分かっているという証明でないんですが、「元獣医師で生命をテーマにしている」と「自動車整備の仕事をしていて生命をテーマにしている」が並んだ場合、前者のほうがそれっぽいですよね。たとえば同じく生命をテーマにするなら「子どもを産んだお母さん」も説得力がありますよね。産むのが大変だった経験があれば、より説得力があります。2秒で説得できるバックグラウンドがないコンセプトであれば、自分の全人生に沿ってないかもしれないので、改めて自分の経験をもとに考え直してもいいかもしれないです。
さらに説得性を突き詰めていくとすると、獣医師っていうのは世の中にたくさんいます。お母さんっていうのも世の中にたくさんいます。そこに自分のほかの要素を掛け算して、コンセプトをよりオリジナルにしていく。私の場合、それは「物語」「キャラクター」「物に対する異常な愛着」だと思っていて、そのあたりを含めて作品構築していこうと考えています。
「系統樹:販売しながら増殖もつづけるオープンエンドプロジェクト」
同じものがあったら全部ダメ
私の作品で「系統樹」という作品があるのですが、こちらは一つ一つの作品が巨大な作品を構成する1パーツとして組み上がる集合的作品となっています。小さいパーツが組み上がって大きな作品になる、みたいなことをやっているアーティストさんは他にもいらっしゃいました。1人でも同じことをやっている作家がいるということは、「1の集合体で全体が構成される作品」は自分が知らないところでいっぱいあるはずで、こういう時に私は「やばいな、そことの違いは何かな」と考えるわけです。そうした時、他の「生命」テーマ作品との違いとして説得力を出していくのは、これまでそれをテーマに取り組んできた継続性、一貫性なんですね。コンセプトは一朝一夕に深まらない。そのテーマに対していろんな方角から玉を投げまくっている態度が、説得力として作品ポートフォリオ全体に宿るわけです。だからこそ、ギャラリストは作家のポートフォリオを見たがるし、作家の解説を聞きたがる。そうして解説を求められたとき、「みじんこがテーマ」「おいしいプランクトンがテーマ」「池の水の美しさを画面で表現」と毎回やることが変わっていると、作品の説得力が薄くなってしまいますよね。いかに真剣に考えていたとしても、「なんとなく思いついた」ように思われてしまいやすい。だったら、それらを結ぶ上位概念として「生命の体感がテーマ」として、「みじんこという架空の存在からのアプローチ」「私たちが生命をそれほど感じない生命を食べるという行為から、生命を考える」「生命それ自体にフォーカスせず、生命を取り巻く環境の描写から生命の存在感を浮き彫りにした」などとしたほうが一貫性が感じられますよね。いろいろやりたい場合には、こうして上位概念で結び付けて一貫性を持たせる。結び付ける上位概念があると、制作のアプローチ自体もだいぶ変わるはずですからね。というわけで、公式をつくるなら、
コンセプトの強度=コンセプト(自分の人生×社会性)×説得力(バックグラウンド×一貫性)
以上、みじんこがお伝えしました!
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みじんこは、みじんこが好きだよ!ヽ(=´▽`=)ノ