いよいよブラジル最後の夜となりました。なんだかんだあっという間でしたね。思い返せばこの1年間で東京→上海→エストニア→韓国→九州→韓国→ブラジルって渡り歩いてきてたんですね。エストニアにいたことがまるで5年くらい前のことのように感じてしまいます。びっくり。今日はふたたび制作ノート。前回記事「社会を生命体とした時、対話してるのはどうやって分かるのか、あるいは細胞との対話」から一歩踏み込んだ内容を考えてみました。
スポンサードリンク
感情はどうしたら揺さぶられる?
前回記事で、社会との対話は自分の感情で、細胞との対話は自分の感覚でできる、ということを書きました。これまで私は触ったり破ったりできる作品をつくることが多かったため、視覚だけではなく触覚で伝えるような作品もつくってきているんですね。作品を感覚で味わうというのは、細胞と対話している状態になります。
ですが、作品によって感情は揺さぶられているのでしょうか。あるいは、自作に限らず、感情を揺さぶられたことがあったかどうかを考えてみます。エルネスト・ネト作品に触れて感動をすることはあっても、大泣きしたり怒りを感じたり、それぞれの感情が強く揺さぶられるっていうことはあまりなかった気がするのですよね。感情はどうやって揺さぶればいいのでしょう。
やっちゃいけないことの許可を出す
禁止事項を加えることで、感情を揺さぶるというのも一つの手です。2017年にフィンランドで発表した作品ですが、こちらは作品の一部である紙を「盗む」ことができました。「持って帰りたい」と聞かれたらNOなんですが、こっそり持ち帰るのはOKだったんですね。
この「こっそり」感がドキドキ=感情の揺さぶりに繋がるかもしれません。
物語が感情を揺さぶる
とはいえ、本当にちょっぴりですよね。大きく心を揺さぶるにはやはり「物語」が必要なのではないでしょうか。小説も映画もマンガも、物語があるものって自分の中に浸透し、感情を揺さぶられますよね。ただ、物語自体は直接的な社会とのつながりがありません。ハリーポッターや村上春樹小説など、世界的に読まれている物語は人の感情を揺さぶりますが、現実世界とどこまで接点があるのかなと。
ハリーポッターだと映画のロケ地などが現実世界と交錯している部分ではありました。もしも、もっと現実とのリンクが強い物語があり、それが感情を揺さぶるとするならば、それは社会との対話を作品として伝えるものになりうるんじゃないかなと。
2019年からはまじめに長編小説を書き綴っていますが、今後はそのあたりも考えつつ、物語の構成を詰めていきたいと思ってますよ。2作目は餓死した女性アーティストの遺作を巡る現代アートミステリー「手と骨」。初稿はエブリスタで全編無料公開済なので、もしよければご覧くださいませ!
今日も読んでいただきありがとうございました!気になった方はぜひ、買ってくれるとうれしいですよ!
✓ 合わせて読みたい みじんこの旅を応援できるショップ OumaのAmazon欲しいものリスト ギャラリータグボートのOumaページ
みじんこは、感情を揺さぶりたいよ!ヽ(=´▽`=)ノ