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社会を生命体とした時、対話してるのはどうやって分かるのか、あるいは細胞との対話

  • 2月 17 / 2020
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みじんこアート, みじんこの活動

社会を生命体とした時、対話してるのはどうやって分かるのか、あるいは細胞との対話

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いろいろあって作品についての考えを深める作業をしています。自分は割と考えが散らかっちゃうほうなので、定期的にこういうのじっくりやらないと、いろんなことやりすぎになっちゃうんですよね。なんでアートをやっているか、をシンプルに考えると「生命の集合体としての社会を癒す(健康を保つ)」と今は思っています。

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集合生命としての社会

細胞という生命が集まってできた自分、人が集まってできる社会。医療が診てたのは割と個人なのですが、これからは個人を取り巻く環境も合わせて治療する必要があるかなーと思っています。環境っていうのの影響力があって、環境が変わると実際、人そのものも変わると思うんですよね。
でも、社会が一つの生命体だとすると、自分という個人は何をもって社会と対話したらいいのか。また、自分が生命の集合体だとして、自分の細胞と対話するのはどうしたらいいのか。そのへんを考えてみました。

社会との対話は「感情」

自分を取り巻く環境との対話は自分の「感情」でなされるというのが一つの考えです。心地よくない=社会の健康状態がよくない、ということ。この定義だと社会の状態は人の数だけあることになります。

細胞との対話は「感覚」

では自分自身を構成する細胞たちとの対話はどうしたらいいか。これは自分の感覚ではないかと考えました。感覚って全身で全部を感じるよりも、指先に集中したり、足に集中したり、集中する身体の部位を特定するほうがより鮮明な気がするんですよね。それこそ、その部位の細胞たちが伝えているメッセージなのではないかと。

治療法の可能性は

では、そもそも社会が治療されてるってなんでわかるのか。これは社会との対話の定義から考えて、感情で分かることになります。「快適でよかったー」みたいに心地よい気持ちの時は健康ということ。逆に辛かったり、差別されてる気がしたり、みたいな時は「その人にとって」社会が健康でない状態ということになります。
じゃあ治療っていうのはどうするかというと、「配置」なんじゃないかと思っています。
たとえば、日韓関係が悪化した時期に韓国にいるのはちょっときついなと感じたんですよね。同時に、「あー、こういうのを自分はこれまで気づいてなかったけど、偏見をもたれやすい立場の人たちはいつも感じていたことなんだろうな」というのを実感として理解しました。
また、アートを始めてから割と海外に行ってるんですが、日本にいながら独学でアートを始めたとしたらけっこうきつかったと思うのです。日本ってやっぱり、「ちゃんとしてないと許されない」ぽいところがあるんですよね。だいぶ変わってきてるとは思いますが、自分で勝手にプレッシャーを感じてしまうところはある気がするんですよ。また、そういうのってエリアにもよると思いますし。

一つ一つの細胞にフォーカスしてそのエリア全体の構造を変えるというのではなく、肝臓の細胞が肝臓で働けるように、腎臓の細胞が腎臓で働けるように、細胞が自分で動きやすくすること。自分でどこがいいか決めて動く。細胞の声を感覚的に聞いて適した位置に配置、社会全体の声を感情的に聞いて適していることを確認する。今はそんな感じで社会の治療について考えていますよ!

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