なんかのアンケートで見たのですが、新人漫画賞みたいなのの出だしのほとんどが「主人公が死ぬ」から始まるんだそうです(元ネタ出せなくてすみません、見つからなかった)。最近、極端に増えているサイコパス系バトルロワイヤル系の漫画を見ていると、「死」の価値が下がっているんじゃないかと感じます。今日はそんなおはなし。
スポンサードリンク
物語の中で暴落している「死の価値」
昔、北野武監督がハリウッド映画の暴力シーンはコミックだと言っていたことがありました。北野映画って見てると「めっちゃ痛そう」ですよね。胸が痛くなるくらいの暴力。比べてハリウッド映画の多くはポイポイ人が死ぬし、車から人が投げ捨てられててもあんまり痛そうじゃないし、あんまりかわいそうでもないですよね。物語ならなんでもありなんですが、最近、親が子を殺す、子が親を殺す、友達を殺す、食人、残酷な殺し方、みたいな話、めっちゃ多くないですか?簡単に言うと「なんて残酷な」っていう部分だけを引きにして読者を引っ張ろうとする物語が多いというか。いや、自分も最近書いている物語の中で「殺した理由」を引きにしているので、やってることは同じなんですけどね。ただ、「多い」ということは、読者はとっくに慣れているはずで、現代アーティストとしても「オリジナリティ」を考えていかないといけません。
参考になりそうな「殺し」が引きになっている物語としては「怒り」があります。3つの平行した暮らしが一つの殺人によって繋がっていて、登場人物たちの間にも、読者の間にも「おいおい誰が犯人だよ」という疑念が生まれ、ただ純粋なだけな人たちを疑い始めてしまう。その段階で物語に惹きつけられてしまってるんですよね。
かつて死刑が公衆の場で行われていましたが、「拷問」や「死刑」って見せしめ以外にも「娯楽」としての効果があったんですよね。現代においてこれだけ物語の中に「死」が溢れていることを考えても、残酷な死が今も娯楽であることは想像がつきます。ただ「軽い死」って結局、娯楽としても引きがないんです。よくあるモブキャラが主人公にぽいぽい殺されてくやつですね。物語の中の「死」の価値が暴落している今、いくら人を殺すシーン、残酷なシーンが出てきても、読者の心はそれでは揺さぶられない。しかしね、本当に残酷なシーンを見たい人ってほとんどいないと思うんですよね。今の時代、マジでヤバイ映像・画像を見たければ、ネットに転がってると思うのです。そうではなく、「小説」「漫画」というフィクションの中でそれを求めるのは、残酷なシーンを求めているわけではなく「手っ取り早い感動」が求められているということ。それを満たすのに「死」が便利だったというだけなんですよね。「死」というのは「ひどいこと」としての共通概念がほとんどの人にあるから、事前に「死がひどいんです」っていう説明を入れなくていいわけですから。とはいえ、「手っ取り早い死」はそこまで大きく心を揺さぶらないので、あっさり消費されていってしまう。そうならないように、死を扱う物語の作り手はまず「死の価値」をあげなければいけない。
死の価値はどうしたら上がるのか
「死」の価値を上げるには、「死んでほしくない」と思わせること。愛着のあるキャラクターが死ぬとフィクションなのに泣けてしまうように、そのキャラクターと一緒にいる時間が長いとそのキャラクターの死の価値が上がります(物語に出てくるすべての死の価値が上がるわけではありません)。また、作者がどれだけ物語の登場人物を愛し、死んでほしくないと思っているかというのは、行間に表れます。(デスノートのLの死ってかなり衝撃だったと思うんですが、原作者さん自身もショックで3日ごはん食べられなかったとか言ってたインタビューを読んだことがありました)
死の価値の上げ方をまとめると、
・登場人物と長い時間を過ごさせる(時間)
・死ぬとは思ってなかったキャラクターの死(意外性)
・死んだキャラクターが本当は死にたくなかったことが分かる描写(背景)
・共感できる登場人物(性格)
・作者の登場人物への愛情(想い)
手っ取り早く使い捨ての「感動」が求められている現代で、それでも結局長く残る、多くの人に愛されるのは、いつまでも何度でも心を揺さぶってくれる物語なわけで。手軽に無料で手に入る娯楽のバリエーションが昔よりぜんぜん増えてきたし、娯楽はこれからもずっと求められ続ける。愛される作品はやっぱり、作家の人生に近いと思うのでした。
✓ 初長編小説はこちらから無料で読めます→ 「夜の案内者」(エブリスタ)
みじんこは、お手軽に楽しめるよ!ヽ(=´▽`=)ノ