生命とは何か、から生物とは何かについて考え中のみじんこ。今日はオランダ人アーティスト、テオ・ヤンセンの生物のように自立して歩くアートを見ながら、生物について考えてみました。
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驚くほど生命を感じさせるアート
すごいですね、このなめらかな動き。パッと見て本当に「生物」であると感じてしまう。少なくとも、生物自称している私の作品より「生物」と意識しやすいはずです。
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テオとOumaの違い
テオの生物は自立行動し、複数の足によって動いていますね。海中の生物かムシみたい。私の生物は趣味や好物、家族構成など内面のストーリー性が多少ありますが、見た目は平面画に見えます。
たとえば自立して動くことを「生物」の定義とするのであれば、「動けない人間」は生物なのか、という疑問が生まれますよね。たとえばホーキング博士は生物なの、と。思考することが生物の定義だとしたら、他者を生物として定義することはかなり難しいはず。だって、物言わぬ物体が本当に思考してないなんて、断言することはできないだろうから。
物が生物と定義される作品
以前、藝大の文化祭か卒展かなんかで、ジャイロと旅するビデオグラフィーの作品がありました。また、友人から家具をパートナーとして一緒に旅をしているアーティストがいるという話を聞いたことがあります。どちらもその作家が誰だかは忘れてしまったのだけど、こんな感じで物を生物として定義している作品はすでにあるので、「物=生物」の定義は実のところ新しいわけではないです。
生物の5つの定義
ここで生物の定義を丁寧に考えてみる。この記事によるとこんな感じ。
✓ 参考リンク 生物の八つの定義とは何か?生物を特徴づける具体的な五つの要素とさらに加えられるべき三つの要素
生命は感覚の中に宿る
なぜ生物の定義を考えるかというと、生物の定義は生命の定義と直結するからだ。生命はすべて生物に入るだろう。ただ、ロボットなど生命の定義に入らないはずのものも、感覚的には生物に入る(人によるでしょうが)。感覚的なことを言うと、人は二次元にも恋をする。漫画家さんがよく「キャラクターが自分で動き出す」という表現をすることがあります。それが本当なら、漫画家さんはキャラクターが自立して生きるのを補助する存在にすぎないのかもしれない。
私がアートで探求していることは人の心の癒しなんですね。生命にフォーカスするのは、死が人の心にとって最も苦痛を与えることだからです。生命がなければ死はなくなる。あるいは個がなければ死はなくなるんじゃないか。テーマについていろんな方向からアプローチしてるんですが、ゾウリムシさんのシリーズは生命とは何かについて考えているシリーズです^^
倒立顔は物体として認識される
2015年の研究ですが、倒立顔は物体として認識されるという研究がありました。
✓ 参考リンク 正常な顔認識に必要な脳内ネットワークを解明
ヒトは物の認識が非常に得意であり、明るさなどの見え方が変わっても、それがそれであると簡単に分かります。しかし、それは逆向きの顔には通用しません。
点が2個、口っぽいカーブの線が1つ書いてあるだけで、やたらと「顔だ」「キャラクターっぽい」と言われるんですが、同じラインが逆さまだったらたぶん気づかれない。「顔」だと認識すると、感覚的には生物な「感じ」がする。ちょっとこの辺を考えながら模索してみようかと思っています^^
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みじんこは、生きてるよ!ヽ(=´▽`=)ノ