侘び寂びって日本の文化だなぁって脳死で思っていたのですが、そうでもなさそうだと気づき始めて。今日は侘び寂びについて考えてみました。
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侘び寂びってなんなん?
ものすごく安易に侘び寂びを定義するなら、「朽ちていくことに見出す美」といった感じでしょうか。日本庭園で苔むした岩や腐って苗床になりそうな倒木なんかを見ると、「あー、侘び寂びやなぁ」となんとなく思います。なんとなく笑。こちらの記事では「不可避の受容」とか「精神の豊かさ」とかいってますね。完璧を求めない世界観、なんて紹介されていることもありました。
✓ 参考リンク 【わび・さび】の意味を説明できる?理解しておきたい日本独特の美意識
うーん、素晴らしい侘び寂び。どんな状態からも豊かさを見出せる美。・・・いやでもこれ、冷静に考えて、日本人にホントに馴染んでますかね? なんとなくそういう文化があるって習ってるからそうなんだって思ってますけど、日本人ってそもそも超完璧主義ですよ。アメリカのスーパーとか勝手にポテチの袋開いてたり(誰かが開けて試食用みたくなってる)、そもそもパッケージがすでに汚いとか超あるのに、それと比べて日本のスーパーとかピカピカでは。(ヨーロッパ、北欧もきれいだけど)
あとは建物についても。ヨーロッパらへんだと、古い建物に価値があるというような考え方がある。ニューヨーク在住の方に話を聞いたら、ニューヨークで賃貸物件を調べる時には「Pre War(戦前)」という項目があるんだそうです。古いところに住みたい人専用ですよね。日本だと中古物件だから安くなるだろう(=中古の方が価値が低い)って考えがありませんか?
旅行に行ってお寺や古山道など「侘び寂び感じられるスポット」にいる時だけ「うーん、侘び寂び」って感じるけど、日常的に牛乳パックがちょっと汚れてることに侘び寂びは感じない。おしゃれカフェでカップがちょっと欠けてたらたぶん若干イラッとする笑。果たしてそれは文化なのか。
こちらの記事では文化のことを「人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している(いた)認識と実 践のゆるや かな体系」として定義しています。集団が継承しているけど、「実践」という意味ではどうでしょう。侘び寂びを感じる瞬間はあるけど、それが日常的か
✓ 参考リンク 【文化の定義】について
また、こちらの記事では、このような紹介文が。
わびさびの美的感覚によって私たちの目は日常に向かって開いた。普通のものを普通ではなく美しいものとして扱う方法を、わびさびによって日本人は得たのだと、小田部教授は言う。
この感覚、日常的に持ってる人、たぶんほとんどいなくない? 日本のダイソーは確かに世界で流行ってるけど、美しいものとしては見てないよね? 安いわりに良くできてるって思ってるのがホントじゃない?
✓ 参考リンク 「わびさび」、日本独自の世界観 完璧を求めず
もともと、侘び寂び的な概念は千利休によって、日本に親しんできたんですよね。その頃は戦国時代で、戦で貢献した武将に領地を与えるのがふつうだった。とはいえ、領地には制限があるので、そのうちあげるものがなくなってしまう。そこで、領地の代わりになる「価値」づけされたものをつくったんですよね。それが茶器。大きく価値づけされた茶器を領土よりも欲しがった武将がいたようです。実用性、みたいな視点で考えたら、土地の方が良さそうなのに。この思い込み、すごい。
✓ 参考リンク ZOZO前澤氏を退場させたことで、日本が失った「大きな可能性」
こういったことから考えると、この「侘び寂び」という概念自体、日本人が総じてかけられている洗脳なんじゃないかと。そしてこれほど壮大な洗脳、価値構築を起こした千利休を、アーティストとして素晴らしく、恐ろしいなと思うのです。文化的実践としては馴染んでいない。でも我々はみな、侘び寂びが文化だと信じているし、侘び寂びっぽい器をそれだけで「価値」だと感じてしまう。これはまさに現代アート。無意識の中に潜んでいた概念をひっくり返す魔法。
ならば私はどんな魔法をかけたいのか。私は生命という概念を治療する医師であると考えています。この世から死をなくす。それだけ。
✓ 合わせて読みたい 現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ
みじんこは、完璧だよ!ヽ(=´▽`=)ノ