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モノを供養する日本文化~アートを供養するアート作品をつくれるか考える

  • 3月 31 / 2019
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みじんこアート, みじん講義

モノを供養する日本文化~アートを供養するアート作品をつくれるか考える

「2月8日に日本は針の供養をするんでしょ?」ってイタリア人に聞かれて動揺しているOumaです。調べてみたら針供養って本当にあるみたいですね!

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フライドチキンの鶏さんたちも供養する日本

折れた針や古くなった針を豆腐やこんにゃくなどやわらかいものに刺して供養する針供養。やわらかいものに刺すのは、これまで硬いものを刺して働いてきた針に対して、もう休んでいいんだよという感謝の気持ちがこもっているよう。イタリア人さんにそう説明すると「素敵ね、私もやりたいわ」と言ってました。人形供養は平安時代から、針供養や鏡供養は江戸時代から行われていたようです。2015年からはSONYのわんこロボットAIBOの供養も。さらに、日本ケンタッキー・フライドチキンでは1974年から鶏供養が行われているようです。これ、世界のKFCの中でも日本だけなんですって。

参考リンク  針供養とは?2019年はいつ?豆腐に刺す由来 今、見直される“もの供養”-お焚き上げが身近な存在にー

ほかに生き物だと、鯨の供養をしている神社や碑も多くあります。

参考リンク  鯨とともに生きる

ものを生き物として捉えている感覚

侘び寂びは日本の文化、実践として日本人に馴染んでいるのか、というのを以前、考えたことがあります。文化として「認識」はしているけど、普段から不完全なもの、ちょっとボロッとなったものに対して「いいなぁ」って思えるかといったら、新品ピカピカ不具合ゼロがいいのが日本人ではないかと。しかし、この「ものを生き物として捉える」感覚は、文化として「認識」はしてないけど、それこそ実践として日本人に馴染んでいると言えるのではないでしょうか。

参考リンク  侘び寂びは日本の文化ではなく、洗脳だろってことから考えるアーティストの仕事について 侘び寂びの本質を「慣れ・普通の否定」として再定義する

引用元がはっきりしませんが、ある記事にこんな一文が↓

供養代行サービスを手掛けるクラウドテンが行ったアンケートでは、98%もの人が「供養したいものがある」と回答

統計って取り方によっていくらでも数値が変わってしまうので、どこまで信じられるかは微妙なんですが(供養代行サービスに連絡する人を母数とした場合、供養したいものがある人が多くなるのは予想がつく)、それでも習慣として平安や江戸時代から行われていることだとすると、日本人にニーズがありつづけてきたのは確か。

アート作品の供養は必要か

自分の作品については、自分で「治療」することができるので、種族としての死はありません。しかし、もしも誰かの作品を「買って」いた場合にはどうでしょう。あるアートコレクターは、定期的に整理して一部の作品は美術館などに寄贈しているようでした。ヒトがつくったものだとすると、なかなか捨てるってできないですよね。でも、たとえばコレクターが亡くなり、家族がアートに興味がなく、コレクションした作品自体も美術品として価値を認められないものであったら。つまり「誰からも必要とされてない状態になってるのに、捨てにくい」にあるアート作品はどうなるのか。

私は、もしも自分の作品が違う作家の作品の素材、として使われるのであれば、その行為すら自作として成り立つなと考えています。なので、購入して改変したい人はいくらでもどうぞ。ただ、自分が誰かの作品を改変して自作にするというのは、作家本人の許可が得られない場合には、かなりためらわれます。
ちょっと調べてみたら、アートマテリアルについての供養というのは行われたことがあるみたいですね。

参考リンク  アート供養

アート作品のお炊き上げ、供養という行為自体が一つのパフォーマンスとして成り立ちそうではある、というのを考えていますよ。ちなみに、Ouma作品を「素材」として自作に使いたいという人は、みじんこショップかタグボートからオーダーいただけると嬉しいです^^ 改変された場合には、私もどんな風に変わったかみたいので、ぜひ連絡いただけると嬉しいです!

Ouma作品が買えるサイト  みじんこショップ ギャラリータグボートのOumaページ

合わせて読みたい  現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ


みじんこは、供養されないよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「死なないからだよっ。」
「生きちゃうよー」

mijinconbi