昨日の記事「投資としてのアートから作品のシェア所有・共同購入について考える」について「共同購入というのは、やはり作品を手元に置いて独り占めしたいという気持ちがあるのでニーズはあまりないのでは。ただし、海外では敏腕ディーラーによるアートファンドに投資する人はあって、アート作品の証券化は進んでます」という意見をいただきました。なるほど、興味深い。しかし、私は「所有」について問いかけしているアーティストであるので、別の案を考えてみました。
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所有の概念が複層化している現代
生命の概念を複層化して考えている私としては、所有の概念は切っても切り離せないところがあります。私は私を所有しているし、私たちの一人として世界を所有している。インターネットによる集合知、シェアリングエコノミーに代表されるように、現代では個人所有という概念だけでなく、集合体による所有の概念が馴染んできていますよね。あらゆる個人所有は、人間の寿命が頑張っても120年くらいなので、一時的なものにすぎません。集合体としての所有であれば、頑張れば人類の歴史の終わりまでは伸ばすことができる。とはいえ、短期間といえど、自分の物にしたい意識もすごく分かる。シェアリングが進んだとしても、部屋のプライバシーは欲しいし、お気に入りの服は自分だけの所有であって欲しい。たとえば細胞膜で包まれた内側の器官を共有しないように。
長谷川裕子さんの「キュレーション 知と感性を揺さぶる力」にアートサイト直島のことが書かれていて、そこにこんな一文がありました。
多くの若者を含む来場者たちを案内するとき、住民の顔ににじみ出る喜びと誇りはキュレーターの眼に痛いほどまぶしい。
アートはきれいで特別なものではなく、日常の中の美しさやたたずまいをハイライトするものとしてある。「住民がアートの風景の一部になる」というのが直島のアートサイトとしての在り方。自分の町はアートの町なんだ!という自負。
東京育ちだとあまり実感がないのですが、特に地方出身者だと「地元愛」っていうのは多かれ少なかれありますよね。私は生まれですぐに住んでいた府中に多少の愛着が。数年しか住んでませんがライターもやって町の人を多く知っている浅草にそれよりも愛着があります。なんていうか、「自分のまち」感。この感覚を生かし、「自分たちの町を自分たちでつくる」イメージで共同所有できないか。
✓ 合わせて読みたい キュレーション 知と感性を揺さぶる力
みんなのものをみんなでつくる
海外を歩いていて感じるのは、町中にあるアート作品の多さ。ニューヨークの地下鉄には小人がいっぱい住んでるし、バルセロナのベンチにはすでに彫像が座っていて席を半分埋めている。体感ですが、日本は町中のアートって少ないんですよね。セントラルパークの椅子には名前が入っていて、それは誰かの寄贈だったり。こんな感じで、自分たちの住む町を自分たちで快適に着飾り、より愛着をもてるようにする。アート作品単体の共同購入ではなく、アートのある町をみんなのものとしてみんなでつくれないか。
大地の芸術祭がある越後妻有はふるさと納税できるんですが、地元のアート団体にふるさと納税ができたとしたら? その資金をもとに、町中にアート設置したり、企業の自社ビルなどにアートを貸し出したりする、とか。地元企業からも節税として資金が集まれば、アートで町を着飾れる。
ランドアートなど家に入れるにはちょっと、、な巨大アートも共同出資者を募って購入・設置できたら、自分が所有しているアートを自分の町で友達に見せて自慢だってできる。空き家が直島の「家プロジェクト」のように改装され、ちょっと憩える場所になってたり、ちょっとしたイベントを行える貸しスペースになっていたり。そもそも「個人所有」することが難しいアートプロジェクトなどもみんなで地元開催させることができる。(台東区なんかは文化助成制度が充実しているのでプロジェクトも盛んなほうだと思うのですが、税金の一部を納めるように自分で支払先を選べれば、もっと自分事になると思うんですね。地元の文化事業としてやっていることで地元の人が知らないっていう事態もけっこうあるわけだから)
ちなみに、ざっと調べた限り、アート関連のふるさと納税はこんなのがありましたね。
- 大地の芸術祭のある越後妻有:ファンクラブや活動サポートなどもあり、まさに「自分たちで自分たちの町をつくる」プロジェクト
- 世田谷美術館年間フリーパス:ほかにもアンリ・ルソーのおみやげセットなどがあり、地元美術館を応援できる。
- 山形県 新庄市:市内の鉄工所がつくる鉄の作品がもらえる、町の産業を応援できる
さらに投資としての共同購入ではなく、文化保存という面での共同購入は実例がありました^^ 良い作品をみんなで購入して後世に残す、という考え方ですね(情報ありがとうございます!)
1985年にロラン・バルトの絵が日本に入った時、この貴重な哲学者の日記の様な水彩画が散逸してしまわないように、46人の有志が集まって明るい部屋の会をつくり、この作品群を共有保存することにした。このような美術作品のコレクションの方法は、世界でも初めてのことである。
✓ 参考リンク 明るい部屋 -絵を描くロラン・バルト展-
作品から「所有」について問いかける
さて、アート作品を共同購入することについて、「独り占め」することよりも「共同でもっている」ことが「作品価値」になっていたらどうなのでしょう。これが私が2017年からやっている「系統樹」という作品です。1点はポストカードサイズなので、非常に小さい。でも隣の作品と繋がって1つの大型作品を構成する一部となっている。
1点を単体で見た場合、非常に凡庸です。つまらない、ふつう、全員素通り。でも合体して大型作品となった時に、強いインパクトを与える。これまでに300点近く売れていますが、買った人は画面よりも「誰かと繋がっている」という共同所有の部分に価値をおいている人が多いです。よく考えたら地球の土地もそうですよね。地球という一個の土地をみんなで小口化して所有している。すべての土地を1人の大金持ちが所有することはできない。すでに多くの人が所有し、今後も制作がつづいていく作品「系統樹」も同じく。多くのアート作品が分割仕様になっていないからアートの共同所有、小口化が難しいだけで、作品の構成によっては「みんなで持ってること」を「独り占め」以上の価値として示せるのでは。
他にアイデアとしては、「作品の所有権を分割」するとか。たとえば、みじこちゃんが作品本体と作品の所有権80%が買う。残りの所有権20%は作品を買った本人(みじこちゃん)は購入できず、他の人(みじんくん)は買える。みじんくんは所有権20%をもっているけど、作品自体は手元にはない、とかね。あるいは、所有権50%は販売せずに「世界」にある、と明記する。販売しても所有権を完全に渡さないことで、持っている側の心にひっかかりができます。特にたとえ少ない割合でも見知らぬ人が所有している場合は。
(作品として売れるか売れないか、はアーティストとして生活するためには必要ですが、アーティストの仕事の根幹は、こうして作品を通じて価値観を揺さぶることにあると私は考えています。なので、私は自分の予想を超えた示唆を与えてくれる作品が好きです)
系統樹ほど巨大・増殖的ではないですが、上海で制作した一部の作品が単体でも作品、集合体でも作品のシリーズとなっています。すでに一部が上海で売れていて、作品の全ピースは手に入らない。でも、欠けたピースは誰かがもっている。こんな感じで「購入者」や「鑑賞者」そのものを作品の「価値」に上乗せていく作品作りを最近の私は考えていますよ!
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みじんこは、みんなのみじんこだよ!ヽ(=´▽`=)ノ