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アート作品を「改善」していくために必要な「基準」について考える

みじんこアート, みじん講義

アート作品を「改善」していくために必要な「基準」について考える

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「チャレンジ」と「改善」というのは、何かを為したい時にはすごく大事なことだなーと感じています。それは、小さい頃から文章を書くのも読むのもすごく好きな自分が、いまだに小説家にはなれてないこと。なのに知識も技術もなく始めたアート業がそこそこうまくいっていることから感じたことです。なんでそんなに差が出てしまったのかを考えてみました。

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中学生の時に編集者になりたく、高校生で獣医を志し、獣医大学に行っている間に童話賞や絵本の公募に出しまくっていた私。長編小説の小説家になりたいと思ってアイデアをいっぱい書きためた時期もあったけど、そもそも長編小説自体、一本もかけていないし、短編でもまともに作品になっているものがない。書き散らかすけど何にもなっていない文筆業。知識・技術なく始めたのに、そこそこの大作も創れるようになってきたアート業。いったい何が違うのか。ぶっちゃけ、人生のうちでどっちに多く時間をかけてるか、という意味では、文章のほうが多いはず。しかし、結果は圧倒的に出ていない。自己分析するなら、その差は「改善」にあるんですよね。アートに関しては、本当にぜんぜん分かんないし、ぜんぜんできなかった。だから、1つずつ改善しながら積み上げていきました。文章のほうは、小学校の頃からコンクールで賞をもらうとか、文集に選ばれるとかが多かったため(※子どもの頃の作文コンクールでは、ぶっちゃけ「世界平和」的なことを書いておけばだいたい褒められます。なので、評価に文章力とか関係ないんですよね。。)、改善をしなかった。そもそも好きな物語を好きなように書いていたので、客観的に見ておもしろいとか考えなかった。だから、いろんな文章をいっぱい書いてても、それはレベル1をまき散らしただけで、良いものへと昇華してなかったんです。同じような内容ばっかりだったし。
アート作品もそうですが、見る側としてはワクワクしたい。次に何をやってくれるんだろうと期待をもって作品や作家を見るので、展開が同じ作家はつまらないなーって思うんですよね。私は自分が目利きでないと自覚している分、作家のコンセプトやストーリー、技術や素材、画面、ポートフォリオ(過去作からのバリエーション)、展示方法などさまざまな要素を全部加味して作品(作家)を見ます。少なくとも、今はどうあれ「改善」が感じられる作家は今後の作品が楽しみだと感じます。

改善の基本は「基準」をもつこと

タグボートの徳光さんが伸びるアーティストを見極める方法として3つの基準をもっていると言っていましたが、こういう明確な基準をもつのは、重要なことです。基準はもちろん変わっていいわけですが、自分の基準を持っている人は、他者からの評価に流されずに、そこも踏まえて作品を見てくれます。ということは、自分が苦境に置かれても味方でいてくれるだろうし、信頼できますよね。受賞や名声、うまいこといってそうな流れに寄ってくる人は、流れに寄って去っていきますからね^^

さて、私にも作品鑑賞には基準があります。それとは別に単純に「好み」で見ている作品もありますが、どんな作品も自分の基準と照らし合わせて見る。それは自作も同じです。私が作家(作品)を見る時の基準は一点だけ、「この作家(作品)に影響される人や世界をどれだけ想像できるか」です。想像が広がるような作家を素晴らしいの側に置きます。だから、今売れているかどうか、有名かどうか、では作品は見てないんですね。(受賞歴や販売価格、POWER100たちの評価などは、世間がこの作家をどう評価しているのかを見るのには使ってます)
作品鑑賞のポイントを補足するなら、作家本人の意見でない作品解説を全面的に信用しないこと。また聞き解説は浅いっていうだけでなく、全面的に解釈が間違っていることがあるので、たとえファンの意見でも参考程度にする。ちょっと前にある作家を「素晴らしい」と絶賛していた人がいて、その人の作品解説を聞いてもあまりピンとこなかったのですが、作家本人のサイトを見たら、ぜんぜん違うことが書いてあったってことがありました。そんなわけで、また聞き解説の鵜呑みはもったいないです笑。

基準があると、そこに達しているかを基準と比べることができる。なので、階段を登るように改善していける。アーティスト・ステートメントも1つの「基準」ですが、これをしっかり持っておくと、自分がブレない。いわゆるFancyなテーマ、ウケを狙ったテーマに寄らなくて済みます。基準がないと、「改善の質」が上がらない。つまり、画材を変えてみよう、モチーフを変えてみようという思い付きの変化に留まってしまうんですね。私の小説と同じく、レベル1を量産する行為になっちゃう。レベル2にするための「基準」です。

私の場合は、自分の作品を通じて「生命の定義」がどれだけ変わるだろうか、というのを考えています。今、「モノ」として扱われているものが「生命」であるなら、キャラクターやロボットに対する扱いが変わる。生き物だと実感している時と、物だと思っている時とでは、自分自身の行動が変わりませんか? 私はモノを生きていると捉える意識が昔から強いので、モノもその生を全うしてほしいと思うのですね。だから、自分にとって不要なモノをもらうのが実はかなりキライです。生を全うできない生命が増えるようでイヤなんですね(めんどくさいですね)。
まあとにかく、「生命」の定義を変えるのに自分の作品は足りているのかと考えたら、やはり全然足りていない。じゃあどうしたらいいのか考え、新しいチャレンジをしていく。それを誰にも評価も強要もされない世界の中で粛々とやっていくのがとりあえず今の私のお仕事です^^。

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