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未来に届く普遍性のあるアートについて考える~拡張しやすい概念について

みじんこアート, みじん講義

未来に届く普遍性のあるアートについて考える~拡張しやすい概念について

未来に残るアートってどんなものなんだろう。それを愛する人がいて残る場合と、便利だから残る場合といろいろあると思うのですが、「拡張させやすい」アイデアはすごく自然な感じで私は好きです^^

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時代のしおりという一過性

岡田斗司夫さんが現代アーティストがやっていることは「時代のしおり」になること、と言っていて、それは非常に言い得て妙だなと思っていたのですが、最近はちょっと考え方が変わってきています。
唐突ですが、アンディ・ウォーホルってもう古いなって思いませんか?笑。私はウォーホルは好きだけど、正直もう古いかなっていう気がしてしまう。だって、消費社会がつづいてるのってもう中国くらいだし、時代的にはすでにシェアリングエコノミーのほうが一般化しちゃってますよね。ファクトリーみたいなつくり方はアートとしては画期的だったけど、もうファクトリー構造の生産って流行らないし。今はもう、渡り鳥的なつくり方のほうがあってますよね。簡単にいうと、Youtubeというプラットフォームにたくさんの動画がアップされるけど、そのプラットフォームに合わない人たちがTikTokとかVineみたいなプラットフォーム間を渡ってつくりたいものをつくっていくような。個々がつくる動画もファクトリーのように制御されてなく、もっと発展性がある。たとえばYoutubeにテキストだけの動画とか上がってることあるじゃないですか。ゴシップっぽいニュースが多いのでスパムで視聴数稼ごうとしてるやつなんですが、「動画なのにテキストが流れてる」ってところはおもしろくて、こういうところから小説の新しい読み方に発展していくかもしれない(具体的にはTELLERとか)とこはいいなーと思ってます。
最近よく言われる「コミュニティ」みたいなのは、現代アートではすでにあって、たとえば「印象派」「もの派」みたいな派閥構成がそれですよね。グループを形成することで集団としてのインパクトが出せるので、歴史の流れに残りやすくなります(位置づけする人が分類しやすくなる)。ただ、ぶっちゃけ今、印象派っぽい絵を出されても「古いなー」って思っちゃいますよね笑。

私はヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」という概念に希望をもらいました。この概念は古びてはいないけど一般化しています。Twitterとか見てると「今日は社会になんか提供できただろうか」みたいなこと言ってるクリエイターさんのふとした発言に出会うんですよね。それを見て「うわおっ、社会彫刻ゥ!」って思うわけですが笑。もうインターネットネイティブの世代にとって、社会に何か残すっていうのが当たり前になってる。Twitterで不特定多数につぶやいているその「行為」自体がすでに社会彫刻になってるんですよね。社会彫刻とはつまり、社会に対して何か提供する(=利他)が社会の一員である自分の利益にも戻ってくる(=利己)ということ。ミレニアル世代という言葉がありますが、この世代の特徴として言われているのが、収入が下がっているのに社会貢献にお金や時間を使いたがる、というのがあります。社会貢献が自分の幸福と直結してるってこと。
これはインターネットをよく使っているとすごくよく分かる。というのも、無料で楽しめる・無料で勉強できる・無料で勇気がもらえるものがネット上にすごく多いからです。また、Twitterですれ違った人が「おもしろかった」って言ってくれて、すごく励みになっちゃうとかもそう。そういう恩恵を日々受けていると、自分も返そうと自然に思う。インターネットのおかげで、社会が身近になった、自分事になったってこと。

拡張性のある概念とは何か

どんなに新しいスタイルを考えたところで、必ずそれは古びます。しかし、拡張しやすいものであれば次世代が発展させてくれるように思うんですね。たとえば着物。着物の基本が同じまま、英語の柄があったり、丈が短くなってスカートと合わせてあったり。変わっていても「着物」だということは分かる。アートだとレディメイドは拡張しやすい概念なので、発展しながら残っていきそうです。実際、いろんなアーティストが既製品を使いながら発展させてますしね。(こう考えるとやっぱりデュシャンは恐ろしい)

「平面に絵を描く」みたいなことも、壁画からスタートしたのかもしれませんが、現在も残ってる拡張性のある概念です。我々は結局、平面の中で画面をこねくり回しているし、「平面に描く」ってこと自体は半立体にされたり切られたりといろんな展開をされる分、古びない。
このように馴染んで当たり前になっていく概念は、しおりになっていく概念とはちょっと違います。スタート地点としての「しおり」ではあるけど、古い感じはしない。それは時代に合わせて解釈を変えられるとか、次世代が発展形を作りやすいとか拡張性があるからですね。つまり、現代アートには「しおり」としての一過性(=歴史上の点)のものと、お金という概念が生まれたみたいに世界に「概念」を増やすものがあるんじゃないかなと。

普遍性を2つに分けてみる

普遍性という視点からアートを考えてみると、ざっくり2分類できるかなと思っていて

1)概念が発展し続ける場合

レディメイドなど。こちらはもしかすると、既製品を使ったより著名な作品が出てくることで、大元よりも知られるっていうケースはある気がしますね。ミクストメディアという手法はタピエスの功績のようですが、ぶっちゃけタピエスの名前よりも「いろんな素材を使う(ミクストメディア)」ってことのほうが有名になってません?そんな感じです。

2)そのものが残り続ける場合

これは1と違って大元がインパクトを与え続けるケース。ダヴィンチのモナリザなんかがそれです。びっくり顔のモナリザとか、国旗でモナリザを描くとか、モナリザ自体の改変は行われるけど、モナリザは忘れられてません。ギリシャ神話や竹取物語みたいな昔話もしかりですね。映画になったり、漫画になったり、内容が少し変わったりはするけど、大元は忘れられない

A)一瞬バズる場合

普遍と言えるかは微妙ですが、ネット上に情報を残しておけば、ウォーホルのいう「誰でも15分だけ有名になれる」事態が起こる可能性はいつでもあるなと思っています。実際、今でもちょいちょい起こってますよね。昔のテレビ番組がアップロードされて、そこからいきなりバズるみたいな。ただ、バズったものは消えていっちゃう。流行るものって、少し時間が経つとどうしても「昔そんなことあったね」感が生まれません? つまり、古びた感じがしちゃう。しかし、画像検索の精度がどんどん上がっている今、こういう定期的・限局的な赤潮っぽい現象は、これからもっと増えていく気がしますね。

自分がつくってるものはどうなるのか

自分がつくりたいものを生涯つくりつづけられ、それが人に喜んでもらえれば私は幸せなのですが、それがどこまで未来に届くのかをちょっと想像してみます。2)のように作品自体が異常に有名になれば残るかもしれないけど、たぶんそれは生きている間に確信するのは難しい。芸術の世界で100年くらいの長さって短い方なんですって。つまり、100年生き残っていてもその後も生きるか分からない。200年くらい生き残れるとその後も残るんじゃないかなーと予測が経つと、ある批評家さんから伺ったことがあります。ただ、1)のように拡張性があれば、発展させてる次世代の作品に未来を垣間見れるかもしれない。

次は自分の作品が未来に残るとしたら、どうなるかを考えてみようと思います^^

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みじんこは、残り続けるよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「普遍だよっ」
「愛されつづけちゃうよー」

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