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堀江貴文×落合陽一「10年後の仕事図鑑」なくなる仕事の1つが「アート」~アーティストの生き残り戦略を考える

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堀江貴文×落合陽一「10年後の仕事図鑑」なくなる仕事の1つが「アート」~アーティストの生き残り戦略を考える

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BASEショップでオーダーしていただいたOumaが勉強できる権利。選んだ本は堀江貴文氏、落合陽一氏の「10年後の仕事図鑑」
こちらには10年後にはなくなっているだろう仕事と残るだろう仕事の予測リストが出ています。なんと、なくなる仕事の一つに「アート」の文字が。いやー、獣医まで辞めて人生賭けてやってるのに、なくなっちゃ困るよ、アート。そこで本の内容を踏まえながら、どういうアートだったら残るだろうかというのを考えてみました。

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なくなるだろう仕事リストなんて当てにならない

いきなり結論から。「10年後の仕事図鑑」には、なくなるだろう仕事リスト、生まれるだろう仕事リストが載ってるんですが、著者さま方がいうに「こんなの当てにならない」と。なぜなら未来の予測がすでにできなくなっていると。自分より100億倍くらい頭がいいであろう2人が言うのだから、本当に分からないに違いない。本のメッセージとしては、過去に執着せず、未来を恐れず、「今を生きろ」。それだけ。

合わせてチェックしたい  10年後の仕事図鑑(堀江貴文、落合陽一)

アートは「鑑賞」ではなく「体験」として残る

10年後の仕事図鑑では、アートの項目に、クリエイターの価値は「運営」に広がるということが書かれています。お客さんは鑑賞することではなく、関わること、体験することに価値を求めるようになる、と。どんなにネットで美しい画像が見られるようになり、VRでそれっぽい世界が体験できるようになっても、「実際に」旅行に行ってしまうのはもう、人間の本質的な欲求。キングコング西野氏が「えんとつ町のプペル」のクラウドファンディングで「共犯者をつくる」と言ってましたが、運営者として「参加体験」できるということがこれからのアートの価値だと。

参考リンク  大ヒット中の絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開します(キンコン西野)

アートは本当にクリエイティブなのか?

私は「アート」という広いジャンルの中でも、現代アートという狭義のアートの中で研鑽を積んでいる身ですが、ここでは広くアート全般について、もう少し深く考えてみましょう。

自分を差別化するためには、これまでの当たり前を疑い「なぜ」を問いかけ続ける

こちらは書籍の一文から。生きていく中で、私たちは空気のように常識を取り込んで、意識的に考えることもなく暮らしています。絵を描いているとそれだけでアーティスティック、クリエイティブ、的な言い方をされているのをよく聞くのですが、果たして絵を描くことは本当にクリエイティブなのでしょうか?
クリエイティビティを新しいものを発想する力だとするのであれば、絵を描く、という行為自体は全く新しいことではないですよね。紀元前からやられてることですから。アクリル絵の具やケント紙、インクなどよくある画材を使っていれば、画材自体も新しくないです。描いている絵自体が新しい?自分が描いた絵の対象物(鳥、花、海、パターン、カラフル)や技法(抽象、印象派、日本画、油彩)をGoogle検索してみれば、類似の画像はわんさか出てくるはずです。うん、全く新しくないね。
そもそも絵なんて今や写真撮ってアプリ加工したらすげーのが一瞬でできちゃいますから。と、こういうことを書くと「コンピューターが描くものはユニークさがない、オリジナリティがない」などというゴミみたいな意見が出てくるんですが。コンピューターが創るものに限らず、完全オリジナルでまったく類似がないものなんてこの世界にほとんどないです。手書きで描いてるからって似てるのいっぱいあるので。線の癖が微妙にオリジナル、ユニークとか細かいことを言いたいのであれば、アプリで描いた絵にちょっと手書きで色を乗せたらいいんじゃね?
というかね、コンピューターの絵がユニークでないっていう意見がすでに人生で23回くらいは聞いてそうなセリフで、その意見自体がすでに画一化しててユニークじゃない=クリエイティブじゃないですよね。この意見はたぶんね、コンピューターに人間が負けてほしくないという希望からきてるんだと思うんですよね。

そんなわけで今、なんとなーく全世界的に言われている「アート」ってもともとそんなにクリエイティブじゃないです。アートっていう言葉自体にクリエイティブ感が漂っているにすぎないんですよね。
と、こんな風に疑問を投げかけていく。よく言われてそうなことに「なぜ」を問いかける。少なくとも「アートはクリエイティブ」「コンピューターが創るアートはユニークじゃない」と3万人くらいが言いそうなありがちな意見を言う人よりかはちょっと差別化できたんじゃないでしょうか?笑

仕入れた情報をもとに自分で思考する癖をつける

じゃあアートは全て「体験」に置き換わるのかを考えてみます。私はもともと、自分の制作物のどこまでが機械によって置き換えられるのか、というのを考えています。だから簡単に置き換えられそうなことはやらない。たとえば切り絵なんかがそうですね。単に切り絵では、レーザーカットであっという間に量産できちゃいますから。

そこでこのインスタレーション@バルセロナで制作。こちらは鑑賞者がこぶし大に「作品をカットしていい」という体験が加わっていました。鑑賞者の自由意志にゆだねられているので、どう切られるか分からない。見に来た人の中には「こんなにきれいな作品を切りたくないわ」と言ってた人もいたのです。つまり、切る時のドキドキ、切りたくないという気持ちなど、作品(体験)を通じて感情が生まれている。これはコンピューター単体ではなかなか提供できない価値です。ゲームとかでもそうですが、ストーリーは人間がつくっているわけで、人はそこに感動する。あるいは苦労してプレイした時間を価値に感じる。たとえこの作品がレーザーカットで創られてたとしても、作品を切り崩していいものと許可するのは作家であり、切るという体験に心が動かされるのは鑑賞者ですから。私は初期の頃から「体験」を重視した制作をしているので、アートは体験としての価値を持つようになるという言は非常に納得です。

え、じゃあ単に絵を描いてるだけでは「体験」の提供はできないから今後は滅びの道?ということはなく。
コンピューターが一瞬でつくった美麗な水彩画よりも、友だちの○○ちゃんが描いてくれた遠近感とかめちゃめちゃな下手な絵のほうがいいって人だっているわけです。絵はさほどユニークでなくても、描いてる人間は確実にユニークだから。コンピューターはどんなに優秀なものであっても、全く同じ物がつくれる。人間の場合は完全に同じ人間はつくれない。
その人の絵がいいって言う人は多かれ少なかれ、絵そのものだけではなく、描いた人を見てるんですよね。

自分がどうしたいのかを考える

何人か私の絵が好きって言ってくれる人はいるけど、生活できるほど売れないんだけど、っていうのは出てきそうな意見。
しかし待て。そこまでガチガチに絵に人生捧げたいのか?自分の絵が100万とかでバンバン売れ、世界中で展覧会のオファーが来るほうがいいのか。その場合、本当にずーっと絵を描いてないといけないし、常に新作アイデアが求められるし、売れなければその後相手にしてもらえないし、そこそこ大変ですよ?(私はそうなることを目指してるけど)本当にそれが望み?
好きな絵を好きな時間を使ってプレッシャーなく丁寧に描いて、友だちがたまに買ってくれて、その輪が広がってく、くらいがいいな、とか。海外で展示したいとか思うかもしれませんが、お金さえ出せば海外のギャラリーでも展示はすぐに可能なんですよ、マジ誰でも。場所にこだわらずに見せたい、というのであれば、海外旅行行ってる友だちに頼んで、カフェで絵を展示してくれそうなところがないか探してもらえばいい。かなりの確率ですぐ見つかるはず。(現地在住の友だちがいたら余裕)
ちなみに国によってはアートの扱いが非常にテキトーなところもあるからね。あっ、落としちゃったくらいの感じで笑。それでもOKな感じ?

今この瞬間、どんな生き方ができたら最高か。

誰かがやってるのを見ると、すごくうらやましくなることもある。でも、本当にそれは「自分にとっての」理想なのか。もし、本当になりたいものがあるなら、言い訳せずにガチでやれ。
大事なのは「自分が何をやりたいか、自分で分かっていることだよ(byスナフキン)」

コンピューターに足りないのは「モチベーション」

人間には「これをやりたい」という欲求がある。コンピューターは早く正確に休まずにやってくれるけど、モチベーションがない。「描きたい」という衝動がない。
本では、自分のモチベーションを価値に落とし込むのに必要なのは「言語化する能力」「論理力」「思考体力」「世界70億人を相手にすること」「世界は人間が回しているという意識」「専門性」と言及している。

世界を市場とした場合、どれだけニッチなことでも必ずどこかに需要がある。

フランス北部のだいぶ田舎のほうに行った時、こんな経験がありました。友だちのおじいちゃんが入院しているということで、お見舞いに行ったんだけど、そのおじいちゃんが私を見てすごく感動したようで。日本からはかなり遠いところで、日本人はほとんどおらず、アジアに行ったことがある人も非常に少ないエリアでした。おじいちゃんはたぶん、黒髪の人なんてほぼ見たことがない。おじいちゃんがあまりに停止しちゃってるんで、どうしたんだと思ったら、驚きすぎて涙目になってたそうです笑。存在してるだけで価値があるってこういうことかあ、と笑。

ちなみに、こういう絵を現地の人のおうちで描いたら大喜び。日本だとキャラ絵が描ける人は割と多いけど、キャラクターっぽい絵を描く習慣がここではあまりないのかもしれない。さらに折り鶴に漢字。日本人ならほとんどの人が苦労なくできることが、ものすごーーーく喜ばれる。入院中の誰かに向けて、手書きのイラストと日本語のみの励ましのメッセージとか送るサービスを始めてもいいかもしれない。文字は読めなくてもいいんだ。友だちの友だちの友だちとかにきっと意味を聞く。読める読めないよりも、日本語で書かれていることのほうが響く。
英語ができないから無理って?
そしたら日本人がちょっぴりいるところを探してもいいし、日本語が喋れる人がいるところを探してもいい。スリランカには日本語学校がいっぱいだった。そういうところの学生さんと、日本語を覚えるイラストサービスを始めてもいいかもしれない。
何が言いたいかというと、大事なのは、自分がこれをやりたいという情熱。そして、心を世界に向けて広く開放しておくこと。今すぐにできなくても、テレビを見ながら「あ、こんな場所があるなら、私の絵でこういうことができるかも」と思いつくかもしれない。あるいは、もっと単純に「こんなことやりたいけど、できるところ誰か知りませんか?」とSNSで聞いちゃうのもいいかもしれない。幸い、日本人はけっこう多い。そして世界から見たらリッチな国に入る。だからどこにでも少しは日本人がいる。
「言語化する能力」「論理力」「思考体力」「世界70億人を相手にすること」「世界は人間が回しているという意識」「専門性」と言われるとちょっと難しいけど、要は「自分が一番興味を持てることを口にし、行動を起こし、世界中の人と一緒にハッピーを実現していくために、どうやったらできるか考えていく」ということ。

遊ぶ、働く、学ぶの三位一体人生を送れ

好きなことが仕事になって、楽しいからもっとできるようになりたくて自主的に学ぶ。そんな「遊ぶ」「働く」「学ぶ」が三位一体になり、それぞれの境界がなくなった人生を送ろう。頑張って創ったものは、しょーもなくて誰からも見向きもされないかもしれない。それでもちゃんと、また新しいものを創り出せる。だって、やりたいことだから。科学者もクリエイターもアーティストも、アウトプットしたものの価値は、出す前には分からない。失敗した数が多いほど、挑戦する人を心から応援できるようになるはずだ。

で、あなたは今、何がしたい?

自分にとっての理想は必ず実現できる。無理だと決めつけて自分で可能性を閉じない限りは。自分の気持ちを知り、そして自分のために行動すること。アーティストの生き残り戦略なんて実はない。だって、未来がどうなるかなんて天才たちでも分からないんだから。自分が嬉しいことを夢中になってやり続ける。ただそれだけ。

今、何がしたい?

知識提供、お待ちしてます!  Kindleでほしい本を買ってその本から考えたことをレポートします


みじんこは、やりたいことを先延ばしにしがちです!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「うまくできないと落ち込んじゃうからだよっ。」
「やらなければ失敗しなくて済むよー」

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