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作品解説「エストニアのボタン」~物と物がめっちゃケンカしている場合

みじんこアート

作品解説「エストニアのボタン」~物と物がめっちゃケンカしている場合

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エストニアでアートの新作、レジデンスの企画、小説のネタとひたすら考える生活をしています。急速に春になって、空が青い。来たばかりの時はグレーだった世界がなんか色づいていて、あったかさというのはそれだけで人を幸せにする。そんな時に出会ったボタン。

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作品「エストニアのボタン」

「エストニアのボタン」
83×110×5mm
Button from Estonia, aclyric, pen, strings and litography on paper
(エストニアのボタン、アクリル、ペン、糸、リトグラフ、紙)

購入はこちらから  作品「エストニアのボタン」

作品についてくわしく

さて、こちらエストニアのボタンがついた作品について詳しく見ていきましょう。まずボタンですが、こちらはセイヨウネズ(エストニア語でKadakas)という木からできています。木目が美しい。いっぱい売ってたのですが、一番生き物っぽいものを選んでいます。製品を作品にしているところはレディメイドの踏襲ですが、この選択方法は「どれだけその物が生きているかどうか」になっています。
しかしこのボタン、紙に縫い付けられてしまった段階で、ボタンとしての機能は死んでしまっているんですよね。ボタンとして生まれてきた意味、ボタンという人生の意味が生かされていないわけですから。

もし、このボタンが「いや、2つの作品を留めるボタンとしての意味を担っているのだ」と主張したらどうでしょう。ボタンは機能的に生き返ります。
しかし作品部分が言うに違いありません。「いやいや、あなたのせいで作品の一部が見えなくなっちゃってますよ」と。留め具だったら中央じゃなくてもっと地味なところに付いてくれ、と作品側は主張するはず。

このボタン、もとは1ユーロでした。デュシャンの「泉」という便器作品もそうですが、ボタンだと1ユーロなのに、アートになるとその価格は無限大に上昇します。

ボタンは言います。「価値なんて他者が決めたものだ、自分はボタンでいい」と。作品は言い返します。「アートの方が価値があるんだ」と。アートとして生きられるチャンスがあるのに、なぜお前はボタンに戻りたがるのだ、作品はそう言います。

では、ボタンを切り離してはどうでしょう。ボタンはボタンとしてこれまでどおり暮らし、作品は作品としての道をいく。しかし、彼らが離れてしまうと、Ouma作品として成立しなくなります。つまり、ボタンはボタンとして生きられても、作品は作品でなくなってしまうのです。そもそも、作品だけになっては「エストニアのボタン」という作品タイトルが破綻します。

そんなわけで、作品のことを気の毒に感じたボタンは、機能的な死を受け入れ、アート作品になるという状態に甘んじており、作品のほうも自分が作品であるためにボタンに頼らざるを得なくなっています。

と、いう作品でした。

「エストニアのボタン」
100×148×5mm
Button from Estonia, aclyric, pen, strings and litography on paper
(エストニアのボタン、アクリル、ペン、糸、リトグラフ、紙)

購入はこちらから  作品「エストニアのボタン」

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みじんこは、アートだよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「甘んじちゃうよっ」
「頼っちゃうよー」

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