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「安楽死ができるジェットコースター」というアート作品から考える娯楽としての「死」について

  • 9月 20 / 2019
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みじんこアート, みじん講義

「安楽死ができるジェットコースター」というアート作品から考える娯楽としての「死」について

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医師免許を持っている現代アーティストとしては、マシューバーニーが有名ですが、医療アートについて調べていたらこんな作品がありました。その名も「Euthanasia Coaster(安楽死ジェットコースター)」リトアニア人のJulijonas Urbonasさんの作品です。今日はこちらの作品から、アートと医療の関係について考えてみました。

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安楽死ジェットコースターとは

2分間かけて高さ500メートルまで上がった後、搭乗者が「FALL(落ちる)」ボタンを押すと、時速360kmで一気に落下し、搭乗者は低酸素状態に陥って意識を失くし、そのまま逝けるという作品です(説明はWikipediaより)。

参考リンク  作者さんの作品ページ(Julijonas Urbonas) 安楽死ジェットコースター(Wikipedia)

この作品は2003年にベルギーのNew Technological Art Awardという賞を受賞しています。実際に建築されたわけではなく、構想みたいですね。本作は「周囲で関係ない人が安楽死を見ることができる」という点が医療的な安楽死とは大きく異なる点の一つですね。つまりはプライベートなはずの「死」がパブリックなものになっている、という点。

オランダでの実際の安楽死

しかし、私はこの作品に微妙な「違和感」を感じるんですね。それはリアリティの部分で。日本では安楽死は認められていませんが、世界で初めて安楽死が認められたオランダではこのような経緯がありました。

ある女性が病に苦しみ、何度も自殺を図るが失敗して死にきれずにいた。その娘(ポストマ医師)は医師であり、母を楽にさせてあげたいという想いから違法行為と知りつつも自らモルヒネを注射、その後、警察に自首。他の開業医たちも同様の状況で患者を楽にしたことがあると公開し、法務大臣に提出。1973年にポストマ医師は1週間の懲役並びに1年間の執行猶予が課された。その後も安楽死問題に関するさまざまな事例があり、ついに1994年、オランダの最高裁が「自発的安楽死」を認める判決を出した。

参考リンク  オランダで、安楽死の容認はなぜ可能なのか 年間6000人が安楽死を選ぶオランダ人は「幸せな死」をこう考える 「真夜中5分前」の安楽死 認知症にのまれる前に

オランダでの安楽死選択の理由は6割(64.3% / 2017年)が「がん」なんですよね。がんを患って体に痛みや気持ち悪さなどを抱えている人が、果たしてこのジェットコースターに乗って安楽死するか、というと、実際にその状況になった時にこれを選ぶ人ってあんまりいないと思うんですよ。同時に、家族がこの方法を選択するかというと、「みんなに身内の死を見られている」状態のため、ゼロではないにしても、そんなに選ぶ人はいないと思うんですよね。
つまり、「この作品を通じてリアルに安楽死を想像できない」という点が、自分にとっては現代の出来事を科学を使っておもしろげに伝えているように見えてしまってなかなか理解しがたかったのです。しかし、同時に必ずしも「アート」として考えるなら「実用的」である必要はないわけで。もっと実用的(?)な発明としてはこんなのがあるんですよね。

参考リンク  1分で死ねる「ファスト安楽死マシン」開発の博士、まずは“VRで死を体験させる”と発表! 尊厳死めぐる議論紛糾!

VRで好きな景色を見ながらサクっと死に、寝た場所がそのまま棺桶になっているという実用そのもののマシン。実用的だけど、これがこのままMoMAに出てたら現代アートっぽいよね笑。ちなみに、日本人が安楽死する場合、スイスまで行き150~200万円くらいかかるよう。

参考リンク  「海外での安楽死」は200万円で十分可能

WTOの定義では「健康」の定義は病気がないことではありません。

健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである

社会的に不健康だったとしても、その場合は医療的安楽死は認められていません。病院にかかることも、安楽死することもお金がかかるわけなので、お金がなければ選べる「死」の選択肢は多少狭まります。

娯楽としての死の時代

現代のマンガの流行りとかを見ていると、「死ぬ」系のマンガってすごく増えてるんですよね。バトルロワイヤル的なやつとか。手軽に味わえる安全でスリリングな「死」が求められているという意味で、「死」の価値というのがけっこう軽くなっているかもしれません。中世は「拷問」や「処刑」が庶民の娯楽だったこともあり(もちろん、見せしめ的な側面もあった)、リアルな死がもっと日常だった時期がありました。
あるいは死を求めるというのは、それだけ「生きている」実感が薄れているからかもしれない。自分の生命、あるいは自分の死には果たしてどれほどの価値があるのだろう。結論がないですが、今日はこのへんで^^

合わせて読みたい  現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ 死の価値が暴落して軽くなっているという話~物語と死について考える

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