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日野公彦作品を読み解く~みじんこへの手紙から考える「手紙は現代アートになりうるのか」

みじんこアート, みじんこレビュー

日野公彦作品を読み解く~みじんこへの手紙から考える「手紙は現代アートになりうるのか」

現在、女子中高生の間で人気沸騰中の「みじんこ」ですが、なんとついに、みじんこへ手紙を書く人が現れました。しかも現代アートとしてです。みじんこへの手紙は現代アートなのか、そもそも手紙は現代アートになりえるのか、を考えてみました。

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手紙を書きたい人リストにみじんこ

日野公彦さんのこちらの作品は「手紙を書きたい人のリスト」→「その人への手紙」という連作形態を取っています。

Chart – List -Letters to my favorites like Girl from the North Country – Allen Ginsberg – etc, DERMATOGRAPH on paper, 147 x 91.5, 2019

Letter to Mijinco

日野公彦さんのFacebookアルバム  Works in 2019 – Letter to Mijinco

手紙は現代アートになるのか

本作への考察は少し横に置いて、そもそも「手紙」というものを題材に現代アートはつくれるのか、を考えてみます。あ、いや「現代アートになるかならないか」で言えば、作者が「現代アート」って言えばそうなるので、なるにはなるんですが、大事なのはそれが「現代アートとして残り続けるほど価値があるのかどうか」です。未来まで残すほどの意義があるのかどうか。日野さんは「書家」というバックグラウンドがあるので、作品の中に「書」に関することが入ると思うのですが、私自身にその辺の知識がないので、今回は「書」についての観点はなしで考えていきます。

「手紙」ということを思い出させる過去作品としては河原温の「I GOT UP」が有名ですね。こちらは河原温の起床した時間を刻印した絵葉書を世界中から送るという作品。私は洗練されて作品に力強い芯がある河原温の作品がすごく好きなので、世界の美術館やギャラリーで見かけるたびにおおっとなります。オマージュをつくる作家の作品を上海で見かけたこともありましたしね。晩年はツイッターを使っていたっていう記事があって、ちょっとびっくりしました。

参考リンク  膨大な時間の記録 河原温の個展、NYグッゲンハイム美術館で開催 河原温(memento)

Twitterで手紙に関するアートプロジェクトについて教えてくださった方がいたので追記です!こういう情報ありがたい!(*´▽`*)

参考リンク  漂流郵便局

手紙の本質ってなんなんだろうな、と考えた時、私は「恋文」じゃないかと思うのです。今は電子メールやメッセなんかもありますが、「連絡事項」のやり取りと、手で書いたものを送るっていうのは、なんか感覚的に違いがある。手で書いた文字には、その人の人生が乗ります。毎日書き続けて自分の形になった形状は、自分の人生と同義じゃないですか。それはアート作品すべてに言えることですが、特に文字は「作品をつくる」という意識なく幼い頃から鍛練を積んでいるものです。そこに純粋な人生が乗る。平安貴族たちが歌を送りあったように、文字に込めて送るのは「想い」。恋文っていっても愛するばかりでなく、感謝や友情やあるいは「助けて~」かもしれない。つまりなんらかの「想いがのったもの」であるわけですね。じゃあそれを送るってどういうことかっていうと、これを私は「人生を切り取って与える」行為と考えています。この観点で参考になる過去作品はオノヨーコさんのカットピース。自分の服を好きなだけ鑑賞者に切り取らせていくやつですね。アブラモヴィッチの「リズム0」も自分を差し出していますが、どちらも「自分から」差し出しているわけではないところは大きな違いです。

参考リンク  パフォーマンス・アートの母 マリーナ・アブラモヴィッチ / Marina Abramović

カットピースを「釈迦が肉を与えるようだ」と解釈していた記事を読んだことがあるのですが、自分が人生をかけて育ててきた文字を、自分の人生の時間を切り取って誰かに送るということは、自分の寿命を送る行為に等しいと考えます。ただ、相手は「読む」時間が奪われる。相手の人生の時間は増えないわけですね。こういったことを踏まえて自分が「手紙」をテーマに現代アートをつくるとしたら「TODOリスト形式」+「送らない手紙」にするかな。

まるで仕事であるかのようにTODOリストとしてまとめて、完了時間を記載、書いた手紙は送らずに積み上げるだけ。送らないのは相手を思うけど相手の寿命を奪わないという「想い」の表し。同時に送らないことで手紙は単なる自己救済の道具になります(出さない前提であれば相手が気味悪いと感じることすら書けてしまうため)。またリストには「好きな映画」「昔飼ってた犬」「うちのトイレ」「散歩」など人でないものや概念なども乗せて、それらにも手紙を書く。もちろん手紙を書きたいものだけ。仕事のように手紙を書き「こなし」ていくことで送らない手紙が積み上がっていく。積み上がったものは好きなものによって奪われた自分の寿命。
そんな感じですね。あ、私は手紙とか仕事とかをテーマにした作家なわけじゃないので、これをまじめに作品にしたりはしません。笑。

みじんこからお手紙はこちらから届きます→  みじんこショップ(みじんこからの手紙が届くサービス)

日野作品はもちろん、全然違う解釈が可能なのですが、私にはまだ読み切れていません。リストの書き方がふつうのTODOリスト風ではないんですよね。画面構成が考えられた画面になっている。ので、単なる「リスト」としての意味合いでないものが乗っているはずなのです。
私が考えた上記のコンセプトでいくなら、完全に機械的なリストにしないと作品の強さが出ないですから。作品制作の際に考えることはコンセプト→それを完全に乗せた作品本体、です。コンセプトなしにつくればどこか「素敵につくっちゃいました」感が出ちゃいますからね^^ そういうのが透けると「寒っ」て思われます。誰だってナルシスト入ってる作品なんて楽しめないでしょ。やるならバレないようにやりましょw


みじんこさんて誰wwwwww草

また、手紙本体も画面の途中から書かれていたり、斜めになっていたり、色が混ざっていたりさまざま。これは相手の存在を意識して書いたものでは絶対にないですよね。相手のことが意識されているなら「読める」「読みやすい」ように書かれているはずなのです。ということはこれは「手紙」というタイトルでありながら、手紙ではない。日野さんの「想い」だけを画面に散りばめたものなんですね。独白、自分のための時間に近いかもしれない。それがどこまで現代性をもつのか、この作品の本質はなんなのか、まだ私には読み切れていないので、この辺りは日野作品の今後の変化を見つつ、私自身も考えていきます^^

合わせて読みたい  現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ


みじんこは、送られたいよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「手紙にされたいよっ。」
「届きたいよー」

mijinconbi