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現代アーティストが「人狼ジャッジメント」をプレイして暴言に心折れてアンインストールするまでに学んだこと

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現代アーティストが「人狼ジャッジメント」をプレイして暴言に心折れてアンインストールするまでに学んだこと

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ひさびさのブログですねー。今日は最近ハマっていた人狼ゲームから学ぶ現代アートについて考察していきましょう。人狼ジャッジメントやったことない人には、ちょっと分かんない文章出てくると思いますが、基本的にはゲームに夢中になる人は多いのに、現代アートに夢中になる人が少ないのは、なぜだろうということについて考えた駄文です。

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人狼ジャッジメントとは?

「人狼ジャッジメント」は50種類以上の役職があって多彩な人狼プレイができるスマホアプリです。もともと私は制作中に動画を見ていることが多く、中でも心理学系(メンタリストDaigoですが)や人狼ゲームを好んで見ていました。8月末の上海での展覧会の際、フライトが早朝だったので、寝過ごさないために徹夜させてくれるものを探してプレイしたのがきっかけです。
人狼ゲーム自体は上海Swatchのレジデンスに参加してた時に一度アーティスト数人で1回だけ試しプレイしたことがあるくらいで、私自身はそれまで人狼ゲームはやったことがなかったです。

参考リンク  人狼ジャッジメント(App Store)

号泣して不眠するほどハマる事態に

人狼ジャッジメント自体は「観戦」という機能があり、初めての人がそれを見ながら学べるところがあります。とはいえ、実際やってみるのとでは大違い。最初のうちは意味も分からないし、人狼が誰かも分からない。初日吊りされ、SG(スケープゴート)位置にされ、胃痛ポジにされ(自分の判断でゲームの勝敗が決する位置)、戦犯になりまくり、罵声を浴び・・・。あ、これだけ書くとなんでプレイし続けられたのか分からないほどですね。負けてしまった申し訳なさと、初心者をそんなに責め千切らなくてもという思いでリアルに泣くほどボロボロになりました。同時に、あの時こうやって発言しておけばよかったか、と反省が頭を過ぎり、脳が活性化しすぎて不眠がつづくほどに(上海ではぜんぜん眠れなくなってしまいました)。


上海での作品展示風景

ゲームと同じくらい現代アートに夢中になれるだろうか

割と日常を淡々と生きている自分にとっては、良かれ悪しかれ感情を大きく揺さぶられるというのは久々の体験で。傷つくことも含めて、心動かされることはすべて「感動」だよなぁ、としみじみしつつプレイし続けていました。ちなみに、アーティストなんだったら、ゲームなんかやらずに制作を第一にしろよ、と思っちゃう人はアーティスト向いてないです。アーティストを本業にしたいのであれば、呼吸するみたいにふつうにアートについて考えている状態でないといけない。手を動かしている=アーティスト、ではないのです。
私は、今この瞬間にやりたいことがあれば、それをやることにしています。同時に、その経験を自分の制作物に活かせないだろうか、というのを常に考えている。なぜ、自分がこれほどまでに人狼ゲームにハマるのか、を考える。制作のヒントはそういうところにあるからです。自分のリアルを掘り下げていく、それがアーティストとしての姿勢です。なぜなら、オリジナリティは自分の中にしかないから。

先日、韓国で開催されたグワンジュビエンナーレ(Gwangju Biennale)に行ってきたのですが、唯一、興味深かったのが北朝鮮のアーティストが描いた作品の展示ブースでした。他はアーモリーなんかで見たことがある作家や奈良美智さんの作品なんかもありましたが、ほぼスルー。ニューヨーク、ロサンゼルス、バルセロナ、上海などなどあちこちのギャラリーやアートフェアに足を運んでいると、見たことある作家も増えてくるし、正直、目新しさがほとんど感じられなくなってくるんですよ。はいはい、いつものね、みたいな笑。現代アートとしての基本的なルールというか、作法みたいなものはあるんだけど、ちゃんとそれに沿ってるものは結局すぐ消えると思うのです。本当に求められているのは、その作法というか、ルール自体を刷新しちゃうようなものなわけですから。
北朝鮮アーティストの作品は、国外で展示されることはほぼないようで、韓国で展示が決まったのも、北と南の友好のため、という歴史的な側面があったそうなんですね。ちなみにそのブースだけは撮影禁止。非常ににこやかに労働に勤しむ人々の絵が多く展示されていました。興味がある人は、「北朝鮮 アート」で画像検索するとたくさん出てきますのでご参考まで。


Gwangju Biennaleより

ビエンナーレのブースをまわりながら、ゲームや漫画、音楽は何度もやりたい、聞きたいみたいな中毒性があるのに、現代アートについてはなぜそれがないのだろう、と考えました。これは「一般の人にとって」という意味です。手塚治虫のBLACK JACKをむさぼり読みまくってしまうような、お気に入りの音楽を1曲だけ無限リピートしてしまうような中毒性がそれらにはある。たとえばチームラボの作品が好きな人がいたとして、毎日見に行きたい!っていう人はどれほどいるのだろうと。この作品が人生を変えた、みたいな人もいると思うのですが、現代アートに「中毒」になる人は、かなりマイノリティだと思うのですね。漫画、アニメ、ゲーム、音楽、占い、アイドル、ファッション、スイーツ、スポーツと並べてみると、1制作者、1コンテンツに対して、それを享受する側の人数はだいぶ少ないのでは。(これは、インターネット上に展開されるアートが増えてくれば、今後は変わってくると予測)さらに「私、現代アートに最高にハマってるんだよね!毎日見に行ってる!」ってレベルの人となるともっと少ないはず。
なぜ、現代アートは多くの人を中毒的に巻き込んでいけないのか、あるいは、いく必要はあるのか。

コミュニケーションがアートそのものなのではないか

「会話」というのは脳の活動の中でも非常に高度なものです。会話が脳を活性化する、認知症予防に良い、みたいな話もありますね。昔のパッケージ化されたゲームは、ゲーム自体の世界観やストーリーを楽しむものでしたが、オンラインゲームのおもしろさは他の人とのコミュニケーションにあります。協力し合って目的を果たし、達成する喜び。私の作品も含め、体験できるアートは多いのですが、体験する人同士のコミュニケーション密度としてはオンラインゲーム自体には敵わないでしょう。嫌な職場でも親しい人が職場にいるだけで仕事の満足度が上がるという結果もあるほどですし、マズローの欲求5段階説でも人に認められたいという承認欲求について言及されています。

参考リンク  これが世界最先端!“認知症”予防SP(ためしてガッテン/NHK) マズローの欲求5段階説をこの上なく丁寧に解説する。あなたの欲求はどのレベル?

マズロー的に言えば、生命の危険がない安全な場所(安全欲求)で、チームに所属し(所属欲求)、他の人から賞賛される(承認欲求)がゲーム内だと容易く満たされます。ただこれは全部、自分の中の「欠乏感」を埋めるための欲求にすぎません。あるいは、自分の中に欠乏感が強くあるほどハマりやすいのかもしれない。
でも、ゲームに限らずネットを通じて出会った人とリアルな友だちになり、刺激を受けたり、一緒に何かすることになったりすることもあるはず。コツをまとめたり、Youtubeでゲーム実況するようになれば、マズローでいう自己実現欲求(自分で何かを創作して発信したい)の段階に至っています。(うまくなくても、がんばってるのに考察がまったく的外れみたいなのも笑いに変えて発信できれば、戦犯になりがちな初心者の希望になるかもw)
私は体験型作品をメインに制作している現代アーティストです。だからこそ、人と人が出会うほどの濃密なコミュニケーションを心臓をわしづかみにして揺さぶるほど突きつけることはできるのだろうか、ということを考えるのです。私はもともと、作品アイデアを出す時に現代アートというもののボーダーを明確に決めて思考しているわけではありません。なので、インスタグラムに匹敵するほどごく普通の人たちの創作意欲を刺激することができるのか、オンラインゲームに匹敵するほどのコミュニケーションを生み出すことができるのか、を制作の際に考えます。時代を超えていった場合の人数ではなく、同時代を生きる多くの人に、という点では、ネット上に作品がない限りどちらにも敵わないでしょう。でも別の方向からなら、凌駕できる方法は必ずある。

結局、暴言に心折れてアンインストール

そんなこんなで1か月くらい、細々とプレイしていた「人狼ジャッジメント」ですが、最近はゲーム内での暴言や利敵行為をするプレイヤーに当たることが多く。発言がおかしい人にそれを指摘したら、ログを読めだの理解足りてないだの考察でない暴言を浴びせられ(あえて書かないけど、もっとひどいことを言われた)、結局その人が狼で負けるという試合があって、悲しみのあまりそのままアンインストール。(試合後に村目線の発言としてはおかしいことを改めて説明したけど全く理解されず、ログ読めよの連呼。狼側で村が誰だか分かってる人じゃないと言えない発言だったことが誰にも理解されなかった)。考察による騙し合いを楽しみたかったので、暴言でメンタルプレッシャーをかけてくるプレイヤーが本当に好きではないです。特に初心者部屋で。
私は考察(人狼の当て方や発言)を勉強したかったこともあり、「初心者部屋」のいいね数がなるべく高い人の部屋でプレイ、たーまに「誰でも部屋」のいいね数低い人の部屋でプレイ、どちらも市民希望でやってることが多かったです(うまい人の迷惑にならないように市民、笑)。勝率は60~63%くらいで推移(初心者部屋で市民ばっかりやってたので高めに出てる)。
もちろん、ひどいプレイヤーばかりでなく、本当にはじめたばかりの時に丁寧に教えてくれたサンドラさんや、かばってくれた人、お互い苦手な人狼で出てしまったけど頑張って勝てた試合とか、楽しかったこともいっぱいありました。ちょっと慣れてきた時には、はじめて数回みたいなプレイヤーにイライラしちゃったこともあるし。割とまじめっこな自分は普通に上手になりたかったので、考察のし方や戦術を一緒に研究するようなゲーム友だちができればよかったのかもしれません。でも暴言浴びて落ち込んでる時間がもったいないので、もうYoutubeでおもしろいプレイを見るだけにしようかなと笑。

制作物に中毒させるのではなく、本人のモチベーションを刺激するものをつくりたい

吉本ばななの小説を読み終えた後の世界が私は好きで、高校生の頃の私は、読み終わるといつまでもその世界観の中で静かに息をしていました。そういう時に「ごはんよー」とか呼ばれるとイラっとしちゃうっていうね、お母さんごめんなさい。ジャズサックスプレイヤーを描いた漫画BLUE GIANTを読むと、何もない自分の中から、何かを絞り出したいという衝動に駆られます。千と千尋の神隠しを初めて見た時には、世界の美しさにブルブルと全身が震えました。どれも大好きだけど、ほとんど読み返さない。それでも自分の中には何かが残っている。
制作物それ自体に中毒になって何度も読み返して手放せないようなもの、マイナス(欠乏)をゼロにするためのものではなく、栄養素のように自分の中に取り入れてもらって、自分の中にプラス(成長)を積み上げる手伝いをしてくれるもの。名作というのは麻薬ではなく、漢方薬みたいなものかもしれません。
歴史に残る現代アートというのは、人を単体として見るというよりも、社会全体を一つの生命体とした時の社会全体の成長欲求を満たすものです。でもそうしてまとめられた「世界」や「社会」という言葉の中に、多くの人が存在していることをリアルに感じられた、いい経験ができました。GG。

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みじんこは、うまい人のゲームプレイを見るのが大好きです!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「うまくなりかたったよっ。」
「心折れたよー」

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