「言葉」と「物体」という一見、無関係に思えるものが関連しているように配置されることによって気づかされたのは、言葉の影響力の大きさです。私たちは言葉で表されているだけで、それがさも真実かのように思ってしまうことを学ばせていただきました。
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ArtStickerより、こちらの作品をコレクションさせていただきました。牛島さんの作品、とても好きですね。作品展あったらほんとに見に行きたいです。
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「ありがちで歴史的な問い」と手書きされた壁の下に釘とボルトとひん曲がった釘がへにょん、とした感じで置かれているのがとても好きです。
「なんだか意味ありげな文字」がそばに添えられているだけで、その物体の中の、「ありがちで歴史的な問い」の部分を探してしまいますよね。真意は分からなくても、「ありがちで歴史的な問い」という言葉の意味は分かる。そしてその言葉の意味を考えるよりも前に、置いてある物体が「どうして歴史的な問いなのか」を考えてしまう。
作品を見た時の行動の流れはこんな感じです。
1)「ありがちで歴史的な問い」という文言を見る
2)矢印が指す先を見る
3)その物体がなぜ「ありがちで歴史的な問い」なのかを考える
自分の思考はだいたいこんな感じだったんですが、この行動を改めて見返すと「言葉を疑っていない」んですね。これが「歴史的な問いです」と言われると、「なんで?」と物体のほうを先に疑っていて、矢印や言葉自体を先に疑うっていうことはしないのです。物体のほうが、そのままだから「真実」の気がするのに、言葉を無条件に信じて、物体のほうに言葉が内在しているように感じてしまいます。
道で拾った「モノ」と「言葉」の出会い 牛島光太郎の個展が3331で開催#牛島光太郎https://t.co/PTNMZZ5NTs pic.twitter.com/mbGWhcnVdj
— CINRA.NET カルチャーメディア (@CINRANET) October 19, 2019
「言葉」を私たちはどこか、無条件に信頼しているのかもしれません。
これが100億円の価値があるアート作品です、と言われた場合、それは自分にとっては「言葉」でしかありません。それでも、そう言われると「なんかすごい」気がしてしまう。有名ギャラリーのギャラリストが言っています、という肩書も「言葉」です。でも私たちは、言葉によって意味づけられたものを自動的に信じてしまっているところはないでしょうか。
牛島さんの作品では、一見関連しなさそうな「言葉」と「物体」がさも関連しているかのように近くに置かれています。
いよいよ明日11:00オープン!
— 3331 Arts Chiyoda (@3331ArtsChiyoda) October 18, 2019
牛島光太郎個展「モノの居場所に言葉をおいたら、知らない場所までとんでいく」
本日朝早くから、アーティストの牛島光太郎さんが作品設営中!!
明日、10月19日(土) 18:00〜20:00 ギャラリートーク&オープニングパーティーも開催。https://t.co/78Fp6ldxzA pic.twitter.com/y2a07Bvid9
「言葉」と「物体」が対比した時、物体の存在自体は不変です。でも、「言葉」は受け取り手によって意味が全く変わります。言葉の影響力の強さを改めて実感させてくれるような作品でした。自分自身で信じるためにも、自分にはたくさんいい言葉をかけてあげたいですね!
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今日も読んでいただきありがとうございました!
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みじんこは、素敵な作品に出会ったよ!ヽ(=´▽`=)ノ