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文化の最小単位としての文字と国境としての言語を考える

  • 6月 06 / 2020
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みじんこアート

文化の最小単位としての文字と国境としての言語を考える

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文字を「文化の最小単位」と定義して、文字について考え続けています。

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日本語って、ひらがな、カタカナ、漢字と使う文字が多く、日本語が母国語だとそれぞれのキャラクターがもつ「ニュアンス」も分かりますよね。
「ひ」「ヒ」は同じ読み方でもニュアンスがちょっと違う、みたいな感じです。

合わせて読みたい  オノマトペを創作してもなんとなく伝わる~文字に対する解像度の話

海外いろんなところに行ってると、「日本人」というカテゴリに入っていることで助かることもあるし、困ることもあります。国籍って選べないので、国籍のカテゴリによって自分の性格をそこそこイメージづけられてしまうのは、所見の人がだいたいどんな人かを想像する上で正しくはあるけど、偏見を押しつけたり押しつけられたりすることもあると思うのです。
「国」という概念自体がもうちょっと古くて、時代と合ってないんじゃないかなぁと思っているんですが、国を分けるもの、国境は何かと考えた時、それは土地ではなくて「言語」だなぁと思ったのです。

英語が通じる国であるならいいんですが、全く英語が通じないエリアだと「仲間に入れない」感が強いんですね。英語が分かる者同士であっても、言葉の解像度ってネイティブとあとから学んだ人ではぜんぜん違います。ネイティブ英語って学習した人の英語よりも難しくて、その理由は丁寧語とスラングかなと思っています。

英語が得意じゃない身としては、すごく簡単な英語で分かるように話してほしいと思ってしまいますが、分かりやすい直接的な英語は、ネイティブやかなり話せる人からしてみると、「言葉がキツイ」「失礼」みたいに感じてしまうことがあるようで、海外でよく言われます。
この辺りからも「共通の言語」によって、国境ができ、それによって内部の人の利益や安全性が守られるということが想像できます。
分かる者同士の集まりの中には、他の人が入っていきにくい。だからコミュニティの安全や利益が守られる、みたいな。

とはいえ、逆にそのコミュニティに合わない場合には、勝手にイメージづけられても困るなぁということが出てきます。
気になるのは、国境は変えられないのか、ということ。
国境の定義が「土地」で、生まれた場所によって規定される場合には、簡単に変えることができません。でも、「言語」であるなら、ほかの言語をもつことでかなり越境できる部分は出てきます。
言語といっても日本語・英語とかだけではなく、趣味やくわしいこと、職業なども言語になりえますよね。

マンガが好きな人とはマンガでつながれる。
映画が好きな人とは映画でつながれる。
細胞が好きな人とは細胞でつながれる。

こうしてさまざまな国に属し、それらの影響を強めることで、「国」や「肌の色」「性別」など、先天的に決定されてしまう国境(分類)の影響力を薄められたら、それは社会に対する治療(社会治療)になるかもしれない、と考えました。

まとめると、
・国(コミュニティ)は同じ言語をもつものたちによって括られたエリア
・言語の機能は相互理解のスピードをあげること
・相互理解ができる言語を多数もつことで、特定のコミュニティの影響力を弱められないか
という感じでした。

ここまで読んでいただきありがとうございました!
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「どこにも所属しないよっ。」
「くくられないよー」

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