ロサンゼルスの美術館LACMAにあるのがマイケル・ハイザーさんのLevitated Massという作品から、恐怖と娯楽について考えましたよ。
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どーん!
1969年に着想を得たが、これまで長年、理想的な岩石が見つからなかったのだという
340トンの重さの岩が通路につっかかってて、その下を通れるという作品なんですね。着想したのは1969年で、これまで「理想的な岩石が見つからなかった」そうです。うーん、「理想的な岩がなくてさ…」とか人生で一回は言ってみたい!
✓ 参考リンク Levitated Mass 落ちてこない?340トンの岩石が頭上を塞ぐ迫力
340トンということでしたが、この重さは、だいたいジェット機1機分(350トン)でした!
✓ 参考リンク ジェット機の重さ
みんなウキウキ通過するんですが、これってやっぱり「恐怖が娯楽」っていうことだよなぁって思います。ホラー映画とかジェットコースターとか、めっちゃコワイじゃないですか。それでも見たい、体験したい、と思ってしまう。コワイ気持ちを味わいたいんですよね。心が動かされることは、よく考えたらすべて「娯楽」です。嬉しさだけでなく苦しさや悲しみでも心は動かされていますから。
最近読んだこちらのマンガに、「人は成功を怖れる」ということが書いてありました。
それは、恐怖が自分で選び取りやすいものだからではないかと考えました。
下から見た図↑(岩)
人には承認欲求があって、喜びってけっこう「他の人からもらう」側面があると思うのです。もちろん、自分でマンガ読んでめっちゃ楽しいっていうのもあると思うのですが、個人的な喜びの多さとしては誰かが認めてくれたり、大きな仕事を任せてもらった時のほうが大きかったです。
文章を書いたり作品・商品をつくったりしてると、つくってるだけでも十分楽しいですが、誰かに読んでもらえたこと、喜んでもらえたことが、続けるための原動力にすごくなります。
そうすると、私の喜びは「他の人が喜んでくれることで起こる=他者依存」なんですね。でも恐怖については、他の人がいなくても自分で夜の墓場に行くだけであっさり得られます。ものすごくざっくりまとめると
ポジティブな感動(喜び、楽しさ、うはー)
他人が与えてくれるもの=他者目線が必要
ネガティブな感動(悲しみ、苦しみ、しょんぼり)
自分で取りに行きやすい=自分目線でいい
なので、もともと娯楽としてネガティブな感動のほうが楽に摂取しやすい状況になってるんじゃないかなと。成功しない状態のほうが簡単に選べて、成功と同じだけのネガティブという感動を得られやすい、みたいな感じです。
自分目線か他者目線か。生きる視点を変えられたら、ポジティブな感動を自然に取りに行けるかもしれない。その上で「理想の岩が見つからない」と自分目線の発言をしてみたいです!
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みじんこは、怖がりだよ!ヽ(=´▽`=)ノ