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みじんこ作のアート作品「600億円」のウラ話~リアルと虚構の分類は必要か

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みじんこ作のアート作品「600億円」のウラ話~リアルと虚構の分類は必要か

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現代アーティスト「みじんこ」がついにリアルに作品を発表!みじんこの流れに乗り遅れるな!

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楽な制作方法を思いつくピカソ先生

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リアルと虚構の境界はどこか

現代ではリアルと虚構の差があいまいになり、それを見分けるコストが上がっているという話を聞いた。インターネット上では、個人情報も含め、さまざまな情報が「部分的」に公開されている。なんの裏付けもない自称の肩書きや収入を信じ、騙される人もいる。科学的な証明も数年経たずに真逆の事実を示すことがあり、専門家の意見すら分かれるのであれば、我々は何を真実として世界を見ればよいのだろう。
Oumaという作家が世界を旅する中で出会った人たちのことを綴った物語がある。ネット上で発表された物語を読んだ人からは「素敵な出会いでしたね」「こんな人に自分も会ってみたい!」などのコメントが寄せられた。しかし、なぜ彼らは、何も表記がないにもかかわらず、その物語を真実だと信じたのだろう。その物語が本当は全て虚構で、Oumaはどこにも行っていないのかもしれない。結局、どこからがリアルでどこからが虚構なのかは、本人にしか分からないのだ。しかし、虚構だったからといってそれがなんだというのだろう。時が経って本人がいなくなれば、物語は結局、「リアル」として残り続ける。そもそも素晴らしい物語はいつの時代もリアル以上に人の心を打つし、時に人生まで変える。虚構が「悪」になるのは、それがTakeを目的としたものになる時だ。目的がGiveであれば、虚構は私たちの味方として存在するのみ。ならばリアルと虚構を分けることにあらゆるコストをかける必要はないのではないか。そうではなく、自分がリアルとしたいものを、ただリアルとして認識すればよいのではないか。
「みじんこ」はリアルに今を生きるアーティストであり、その名は広く開放される。誰もが「みじんこ」を名乗り、「みじんこ」作品を自由に販売することができる。アーティスト「みじんこ」はリアリティをもった集合体そのものなのである。
「みじんこ」が確かに実在することは、新時代のリアリティそのものである。

参考リンク  旅の言葉の物語(Oumaのnote)

アーティスト「みじんこ」の作品募集


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