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アールブリュット(アウトサイダーアート)は「アート」なのかを考える

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アールブリュット(アウトサイダーアート)は「アート」なのかを考える

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良著を濃縮還元してお届けするみじんこブックレビュー。今回は「アール・ブリュット アート 日本」から、アールブリュットにまつわる批判的な側面をまとめました。

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生の芸術なのか、外の芸術なのか

アール・ブリュット(生の芸術)と名付けたのはフランスのジャン・デュビュッフェ。これが英語になった時は「アウトサイダーアート」と呼ばれます。アウトサイダー=外側の人という意味。この言葉が付けられている時点で、「美術の流れの外」に位置づけられてしまっているんじゃないか、と本書は指摘します。

アウトサイダーアートは障がい者アートではなく、正規の美術教育を受けていない人たちのアートなので、この定義だと美大出でないOuma作品もアウトサイダーアートの範疇に入ります。ただ、元の出自が障がい者のつくる作品からの展開だったため、アウトサイダーアートと言えば障がい者アート、という一般認識がすでに根付いているはず。そうなると「福祉的」な側面が生まれ、作品自体をアートとして批判すること自体にためらいが生まれる。そうなった時、芸術作品として価値があるものなのか、それともアートセラピーなどによってつくられた作品の一つなのかは分かりません。

アール・ブリュットは作品ではなく、「これがアートなのだ」と定義づけた側に「アート性」があるのだと私は考えます。デュシャンが便器を「選択」したのと同様に。なんとなくアウトサイダーアートっぽい作品、と聞けば、イメージがつく作品群ってありませんか?すでにアウトサイダーアート自体、なんかしらのパターンができてしまってるんですよ。そういうジャンルにすれば、福祉の観点から批判を免れ、作品を残すことができる。もしも作家側が「アール・ブリュット」っぽい見せ方をするのであれば、その時点で本来の「生の芸術」としての純粋性は失われているのです。だって、もともとアール・ブリュットをつくっていた人たちは、それが作品であること、価値があることなどを完全に無視してつくっていたはずだからです。だからこそ、それが「生」であり、その純粋性が芸術として見出された。
現代社会で、まったく何も障がいがない人なんてほとんどいないと思うのです。むしろ完全健康のほうが異常。そこを利用してアウトサイダーアート風の作品をつくるのであれば、それはアール・ブリュットへの冒涜でしかない。真に「生の芸術」としてのアール・ブリュットを目指すのであれば(目指している時点でアール・ブリュットでない気がしますが)、ヘンリー・ダーガーレベルで賭けるものが必要です。そうでないなら、アウトサイダーアートという名に作品を守ってもらうことなく、ふつうに現代アートとしてやっていけばいいですよね。

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