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志が作品に宿る~岡本太郎の名言からアーティストの姿勢を学ぶ

  • 2月 19 / 2019
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みじんこアート, みじんこレビュー

志が作品に宿る~岡本太郎の名言からアーティストの姿勢を学ぶ

良著を濃縮還元してお届けするみじんこブックレビュー。今回は岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか」から、岡本太郎・芸術の三原則をご紹介。

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岡本太郎の著作を読んでみたら、その思想は割と私が持っていた物に近いものでした(私の方は、太郎ほどグローバルな思想は身に着いていません。そうありたいと目指しているレベルです)。太郎は、子どもを持たない代わりに、自分自身が自分の子であり孫であると、さらに世界中の子どもは自分の子どもであり、世界中の親は自分の親だと言っている。世界に苦しんでいる人がいる中で、自分だけが幸福だなんてそれはありえない、想像力が足りてないんだろう、そう太郎は言う。私は、自分が幸せな時も世界の誰かの不幸を想像して不幸でいろという意味ではないと思っている。幸福は伝染するから、自分が幸福でいるだけで周りにだって幸福を分けられるだろう。しかしそんな幸福の中で、想像力を働かせた時に、自分が誰かのためにできることはたくさんある。スリランカでは自分の誕生日に孤児院に食事を贈る習慣がある(ダーネと呼ばれる)。その行動は「自分をいい人に見せる」ためにやっていることなのか、正直な心からなのか。誰かにとって、「いい人ぶってる」と見えたとしても、私自身は正直だとまっすぐ言えることを選んで、行動していきたい

そんな岡本太郎が掲げた芸術の三原則は次のようなものだった。

芸術はきれいであってはいけない。
うまくあってはいけない。
心地よくあってはいけない。

「岡本藝術: 岡本太郎の仕事 1911~1996」に詳細が書かれている。『すぐれた芸術には、飛躍的な創造があります。時代の常識にさからって、まったく独自のものを、そこに生み出しているわけです。そういうものは、かならず見るひとに一種の緊張を強要します』→だから心地よくは感じない。
太郎は「きれい」と「美しい」を分けて考えている。きれい、というのは見映えのいいこと。『きれいさは芸術の本質とは無関係。「ああ、きれいね」と言われるような絵が、絵そのものの価値ではなく、たいてい、中のモデルによって関心を引いていること、あるいは単に心持のよいモダニズムにすぎません』『絵というものはやはり、うまいからいいというわけのものではないのですが、それを変に見当ちがいして、いわゆる職人的巧みさとか器用さなどというものが絵の価値、芸術の精神的内容みたいに、ごっちゃにされ、すりかえられている面が多いのです』

Chim↑Pomの「芸術実行犯」にこんな記載があった。

アーティストが見せているのは単なる物質ではない。絵なら絵を、コンセプトならコンセプトを通して僕らは「心」や「志」を見せている。

そう、だからね。作品に心打たれるのは、そこにアーティストの志があるからなんだ。そしてその志は、作品からのみ現れるものではないと思う。ふだんから志をもって生きているからこそ、それが作品に宿るということ。だから私は、画面そのものの「心地よさ」「うまさ」「きれいさ」よりも、作家のリアルがこもった志を知りたいし、作品づくり自体が、その「志」を刻む作業だと思っている。

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みじんこは、志を集めてるよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

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「集まっちゃうよー」

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