突然変異についてここしばらく考えています。突然変異は環境変化が激しいと頻発するっていうことは変化に対応する反応だと言いかえることができます。もっと言うと突然変異は「動的な型」なんじゃないかなと。今日は「型」について考えてみました。
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変化の激しい時代に対応するには
10年前の職業と現在の職業が大きく変わっているように、変化が激しい時代になってきましたね。変化に対応するために、自分自身も突然変異しやすい体質になるといいかなと思うのです。んでは、突然変異ってなんやの、と。私は突然変異を「動的な型」と考えます。たとえば、細胞は生命の最小単位である、っていうのは、どっかの研究者が考えた「型」なんですが、これは「静的な型」。誰がもってても同じ答えしか出ないものだからですね。現在の私は「生命とは愛着を感じるものである」と定義していますが、これが「動的な型」。なにに愛着を感じるかは人それぞれで、この型を持っていると、全員が違う答えを出せます。
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静的な型と動的な型の役割
「静的な型」をもっていることのメリットは、成長率が早いことですね。なにしろ分かりやすいからです。型を階段状に積み上げて上っていきやすい。なんかに失敗した場合には、失敗したことを「型化」すると次の成功につながりやすくなる。失敗を型にはめて、繰り返さないようにする、ちょっと違うことを試すことができるからですね。型にはめないまま失敗しつづけると、フワフワしてしまうために、足下がおぼつかなくなっちゃう。「静的な型」のデメリットは「思考停止」しやすいこと。極端に専門的なことに限っては脳死しててもよいと思うんですね。たとえば、放射線の許容量とか、ヒトが必要な一日のビタミン量とか。でも、たとえば「日本人はシャイで自分の意見を言えない」みたいなのを持っていて、そこに疑問をもたないと、そういう目で日本人全体を見てしまうし、自分が日本人の場合はそう振る舞ってしまう。先日の「青木ヶ原樹海、こわそー」もそうですね。「青木ヶ原樹海=恐怖スポット」という静的な型があるせいで、自分の人生から「青木ヶ原樹海でうきうきピクニック」という選択肢は除外されてしまうわけです。
動的な型のメリットは人それぞれ見解が違うため、自由に解釈を変えられること。イメージ的には「静的な型」が階段、「動的な型」が靴かなと。上にはあがりにくいけど、横に展開しやすい。あちこち探索しに行けるイメージです。
現代を生きることを考えた時、この「動的な型」と「静的な型」を自分で認識していると、成長と変化への対応を同時に手に入れやすいかなと思っています(まあ自分でそう言ってるけどなかなかできない)。重要なことは「型の把握」で、型を認識できていないと、階段と靴を自分で把握していないということなので、成長も変化への対応もかなり鈍化します。なにかチャレンジして失敗した場合には、それをガチガチの型にはめて階段にして積み上げる。変化に対応するための動的な型はなくてもいいんじゃないかという気がしますが、これはいわば「思考の起点」なんですね。ここからスタートして考えていこ!っていう。これがないと、そもそも考えなくなる。言葉が存在しないと、その概念が存在しないように(シニフィアン・シニフィエの関係)、型を把握していないと、自分の中に積み上がる偏見にも気づかない。偏見は無意識の中に潜みながらも行動に影響を及ぼしてくるからコワイ。静的な型ではなく、多くの人が動的な型を当たり前にもっていれば、思考停止と偏見の蔓延を防げるかなぁと考えています。
動的な型としての生命観をどのように「体感」させるか、というのを現在の私は思考中です。
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みじんこは、成長しちゃうよ!ヽ(=´▽`=)ノ