2019年12月20日から韓国釜山のF1963で開催中のグループ展RAINBOW-WIRE。南アフリカのアーティスト、Jurgen Dunhofenさんが参加しててね、いろいろ話をしたのでそのご紹介を。
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外国人は日本人にはなれない
ちょうど私の作品のとなりに展示しているので、カラフルな私の作品との対比がいい感じ―と言ってくれてたJurgenさん。テジョンでも南アフリカのアーティストさんに出会ったけど、これまでなかなか会ったことがないので、なんだか全然、「南アフリカ」という国の想像がつきません。
✓ Ouma作品も出てるよ RAINBOW-WIRE(F1963)
日本や韓国で暮らしたいと言っていたJurgenさんと、人種について話をしました。印象に残ったのが「自分が何十年と韓国や日本に住んでたとしても、自分は韓国人だ、日本人だっていう感覚はもてないと思う。これがアメリカだったら、自分はアメリカ人だって思うと思うんだよね」という言葉。日本人の自分から見て、確かに日本で暮らす外国人は増えているんだけど、彼らを見た時、「日本人」っていうのはなかなか思わない気がしますね。
フランスにも移民が多くて、ベトナム系移民とかは顔立ちもアジア人っぽいのですが、フランスで生まれた彼らは自分のことを「フランス人」と思っているようでした。顔立ちがそっくりだとしても、自分が韓国に20年、あるいは中国に20年住んだとして、自分のことを韓国人、中国人と思うだろうか、と考えるとなかなか疑問。特に中国は中国人のみ住民カードみたいなのをもち、これはたとえ中国人と結婚しても中国人以外の人は持てないようだったから、その「差」から自分のことを中国人と思う意識は生まれなさそうですよね。
どちらがいいとか悪いとかではなく、社会・文化的にそうなんだなっていう感じ。つまり、日本の現時点でのマジョリティーはやっぱり日本人だということ。ある集団の中でマイノリティとして生きるのはそれなりに大変なので、それでもマイノリティとして生きるかどうか、というのを自分に問われるということ。こういうのってよく「日本で暮らしにくいなら来るな」論になりがちなのだけど、急速に高齢化している日本は海外から人がきてくれて税金払ってくれたり、国を発展させてくれたりしないとなかなか立ちいかないので、目先のことだけ考えて出て行け論にはできないんですよね。そもそも、そうしてマイノリティを排斥するような雰囲気があると、自分がなんかの状況でマイノリティ側になったら、いきなり排斥される側になってしまうということ。
なんかね、成田空港に降り立った時に、長距離バス乗り場で働いている人が黒人さんだったんですよね。日本語もペラペラだったんですが、彼が働く姿を見てた日本人の子供が「日本人がいいー(日本人に対応してもらいたい)」って言っていて、なかなかにショックでした。いや、普通に差別発言ですよね、これ。子供はちゃんと理解してないだろうけど、なんか日本社会の外国人排斥意識を子どもがピュアな感度で受け取ってそのままスピーカーしたように感じてしまいました。
海外にいると、「外国人」というレア度のおかげで、いろんな人によくしてもらえることもいっぱいあるんですが、暮らすのと滞在するのってかなり違う話。また時代もどんどん変わっていくし、自分自身の「心地よい」だって毎年、あるいは毎月変わっていくはず。今の自分がどうしたいか、周りの人がどうしたいと思ってるのか、どこかで話せる関係性があるのって大事なことだなと思いました。対話をするって難しいし意外とストレス。私は割と避けてしまいがちですが、暮らしていくことを考えた時、自分が感じる気持ちを周りの人に分かってもらうこと、あるいは分かってもらえなくても自分にとってストレスじゃない環境をつくることって大事だなと。アートがあるというのは、そこが徹底的に守られるように思います。差別というほど強い言葉ではなく指摘しやすい言語が必要なのかもしれない。
差別について考える
「自分自身をなに人だと思っているか」
私自身はアジア人で黄色人種だと思っている。彼は自分のことをなに人だと思っているのか。この質問に対し「それはとても難しい質問だ」と言っていました。人種差別政策アパルトヘイトの実行が1950年。廃止が1991年。すべての人種が選挙できるようになったのが1994年。けっこう最近なんですよね。ということは、差別が「常識」だった頃を知る人たちもいっぱいいるってこと。そうして生まれながらに沁みついている「常識」って変えていくのはかなり難しいです。よほど環境が変わらない限り。日本でも「男女論(男はこういうもん、女はこういうもん)」や外国人差別、違うものに対する差別みたいなのって、そこはかとなくあるんですよね。それは私にもあって、自分自身で気づいていないから、なかなか変えられない。また、差別を指摘されるのっていやじゃないですか。誰だって「差別してる人」になりたくないですし。とはいえ、差別されているマイノリティ側から声をあげるっていうのも相当大変なこと。私はマイノリティもマジョリティもなく、すべてが個になってしまうのがいいのかなぁとぼんやり考えています。国や人種というものがそもそもなくなったほうがいいかもしれない。あるいは、形を変えるべき時がきている感はとてもありますね。「日本人」という概念自体がそもそも新しく、せいぜい150年くらいの話ですから。
それと、潜在的な差別を人を責めない形で「治療」するとしたら、言語化することで認識しやすくし、その言語を使わないようにしていく、あるいは別のイメージをもつ言語を生み出すとかなのかなと今は考えています。差別というものの病理的重篤性を知ったので、この辺りはしばらく考えていきたいなと思ってます。
南アフリカの雇用事情
南アフリカでは、かつて白人がいい職につき、一番貧しい層は黒人、みたいな感じだったようですが、現在は「雇用時の優先度」が逆転していて、一番優先して仕事をもらえるのが障害がある人、次が黒人、次がMixed、最後に白人、みたいにこれまで迫害されていた人たちが仕事をもらえやすい優先度になっているようです。(※データを調べたわけではなく、あくまで個人の感想です)
これ、私はやばいな、と思ってしまうんですが。仕事って「適材適所」なんですよね。社会全体の発展性というのを考えた時、一番その仕事に適した人がその仕事を取ったほうがいい。お金を稼げる人が増えれば、お金を使ってくれる量も増え、社会全体が安全になり、みんなが暮らしやすくなる。優秀な人が職につきにくい社会であれば、その人は外国に出て行ってしまう。それは国の発展としては損失なんです。優秀な人は国内を発展させてくれたほうが国としてはいい。その恩恵が社会全体にちゃんとまわりますし、私たち全員が、たくさん稼いでくれている人たちの恩恵を受けていますからね。
ただ、そういう理論的なことより人は感情を優先してしまうものなので、それだけ差別に対する悔しさ、怒りみたいなのがあるんじゃないかっていうのを感じました。
✓ 参考リンク 南アフリカ共和国の歴史
ほかに、日韓関係のこと、安全であることの尊さ、アジア人は完璧を求めるゆえにシャイになりがち、みたいな話をいろいろしました。Wikipediaによると1996年頃の南アフリカの治安は「世界最悪レベル」だったとのこと。ずーっと周囲に気を配りながら暮らすって本当に大変なんだと言っていて、私もタンザニアに5週間滞在してたことがあるので、その気持ちはわかるなぁと思いました。安全であるということは尊い。日本で生まれたというのは、それだけでその財産をみんなが手にしています。
✓ 合わせて読みたい 現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ
ずっと「稼ぐ」にはどうしたらいいかと考えていたのですが、最近は「使う」ようになりたいなぁと思うようになりました。もともとアートやり始めたのってそうだったなって。アートは素材がなんでもいいので、なにもなくてもその場でつくることができるんですよね。被災地でも紛争地でも。まさに錬金術で、人を雇うことができれば仕事にもできる。ちゃんと稼ぐ手段があれば、犯罪をおかさなくてもいい。アート経由で人を集め、仕事をつくり、安全性が高まるような連鎖が起こせるようになったら、最高だなと思っています。そういう連鎖の起点になれるように、またしばらくがんばります。
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みじんこは、お金を使いたいよ!ヽ(=´▽`=)ノ