もともと小説家になりたかったけど現在はアーティストをやっている元獣医師のOuma(←人生を迷走してる感がハンパない)。
小説家にはなれてないけれど、文章を書くために勉強したことは、今でもちょっぴりだけ活きています。昔、一度読んだだけなので参考文献がなんだったかは忘れてしまったのですが、現代アーティストの作品プレゼンテーション、創作にも使えることを考慮した「書く」ことについて考えてみました^^
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1)結論・おもしろいことから書く
小説の書き方についてまとめた本に書かれていたことです。が、これはブログの書き方でも言えるんですね。起承転結に沿って書くのではなく、まず結論から書く。ブログだったらタイトルを読むだけで言いたいことが分かるような。アートのプレゼンでも同じで、ほとんどの人が長く話は聞いてくれません。ちゃんと全部聞いてくれるのはコンペの審査員くらいなんですよ。だから一番おいしいところを一番最初に話す。作品+一番おいしいところで興味をもってもらえないなら、縁がなかったと思って諦めて、さらなるクオリティアップを目指して地道にがんばるしかない。
小説の場合、一番おもしろいところを後回しにしてなかなか見せたがらない、出ししぶりのような書き方をする人がいるそうです。というか、私も昔はそうでした。しかし、長い文章を人に読ませるためには、最初からおもしろい部分をバンバン出して、一気に人を引き込む必要があります。村上春樹の小説なんかそうなんですよね。最初のページから謎が出てきて、数ページ後にはその謎が一部解明されてたりする。えっ!?もう?みたいな展開の速さからどんどん話に引き込まれていく。漫画だとDeath Noteが典型かなと。Death Noteは2話目ですでに月(ライト)の居場所が突き止められ、Lとの対決が浮き彫りになってますからね。
ああ、私もおもしろい小説が書けるようになりたい笑。
2)エッセイでも嘘をつける
旅エッセイについて書いた本で紹介されていたのが、「エッセイは時系列に書く必要がない」ということ。ほとんどの人がやってしまうのは、旅の様子を時系列に沿って書くことだそうです。そうじゃなくて、ここでも「おもしろい」ところから書く。あとは、エッセイだからといって本当のことを書かなければいけないわけじゃないというのが、私にとって目からウロコでした。松尾芭蕉の紀行文でも、曇っていたら本当は見えないはずの島が「曇り空の先に島が」みたいに微妙に脚色されているのだとか。この書き方本は、かなり昔に読んだのでタイトルを忘れてしまったのですが、また出会えたら改めてご紹介したいですね。誰かご存知だったら教えてください^^
嘘というとちょっと言葉が悪いのですが、虚構をうまく使って創作するというのは、手塚治虫大先生が非常によくやっています。手塚先生は医師免許を持っていたことで有名ですが、医療漫画のBlack Jackでは、専門家が描いたとは思えない医療的な嘘がふんだんに使われているのです。たとえば、狂犬病を発症した患者が手術で助かっちゃうとかね。狂犬病は2018年現在、発症すればほぼ100%死亡する病気です。これを手塚先生が知らないわけがない。私は元獣医だったこともあり、医療をテーマにした創作物をつくる時には、科学的事実を非常に気にします。ここまで大胆に嘘はつけない。ですがもう、Black Jackはそういうの超えちゃってますよね。圧倒的におもしろい。エッセイで嘘書いちゃいけない、元獣医が医療のことで嘘書いちゃいけない。そういう考えがちっぽけに感じます。
逆に、推理小説の殺人方法などは真似する人がいないように、実際は殺せない方法で被害者を殺害しているケースもあります。東野圭吾さんの小説に動物病院から薬を持ち出された話がありましたが、使われていた薬は、実際に存在するけど、動物病院ではまず置いていないものでした。
初めて「小説」というものが新聞に掲載された際、物語を本当のことを思いこんだ人たちから新聞社に抗議がいきました。最初は「この話の中のひどい男をこらしめてやりたい」話が嘘だと分かると「新聞が嘘を書いていいのか」
今は「小説」というものが理解されているので、私たちは虚構を楽しむことができる。小説が生まれたというのは、文化のイノベーションであり、現代アートで求められているのも本当のところはこういうことです。概念を創り変えてしまう、まったく新しい世界の構築ですよね。日本には源氏物語という世界最古の長編小説があったわけですが、現実に起こりそうなことを題材にした物語というのは、事実と並んだ場合に区別が簡単にはつきません。小説が生まれたおかげで、私たちは誰もがリアリティをもった架空の物語を創れるようになった。ちなみに、私が長いことLife Clipsで連載していた「旅の言葉の物語」も、行った場所は事実ですが、すべて虚構です。物語に出てきた人はこの世界には誰も存在していない。最近、noteに一部の物語を転載しましたが、これまで読んでくれた人の中には、この物語が完全に事実だと信じている人がいます。というか、ネタばらしした周りの人以外はだいたい信じます笑。
リアルとフェイクの境界はどこにあるのか。新聞に載ってる誰かの話も、小説に書かれている誰かの話も、自分が本当だと信じたら、それは事実と同様なのでは。コンピューターがリアルの世界を劇的に変えていくのであれば、人間の創造物はイマジネーションの中にしかなくなるのではないか。これは現代アーティストとして今、私が考えているテーマでもあります。
✓ 合わせて読みたい OumaのLifeClips「旅の言葉の物語」
3)未完成でいい
IT企業経営をしている兄が以前言っていたのですが、インターネット上のサービスは100%完成してから出すのではなく、6割くらいでリリースするのだとか。出してから修正を繰り返していいものにしていく、あるいはユーザーの使い方を参考に別の方向に舵を切るという考え方なんですね。リリースしないと気づかないバグもいっぱいあるし、ゲームの場合、発見されたバグを使ってうまいこと遊ぶ人とかも出てくる。ホリエモンさんなんかも言ってますが、とりあえずやってしまう、というのは「アップデート」が頻繁に起きるようになった現代ならではの考え方ですね。
ウェブからスタートしたことで有名なワンパンマンは、ストーリーが抜群におもしろいけど、絵は非常にへたくそです。でも、絵は上手い人に補われて漫画化、アニメ化され、今や世界中で人気です。フィンランドの図書館にもありましたからね笑。ケータイ小説という割とライトな小説のジャンルも生まれ始めて、エンターテイメントとしての文章も多様化してきたなと感じています。ある種、ものすごく雑なアイデアノートみたいなのだけを公開して、その先の肉付けを他者に依存しちゃうようなつくり方をしてもいいのかもしれないし。
アイデアはたくさんあったはずのに、1本も長編小説を書くことなく現在に至っている自分としては、このままどこにも出せずに死ぬよりは、アイデアを他者に託して書いてもらったほうが少しでも報われるかもしれない。
✓ 参考リンク ワンパンマン(原作)
現代アーティストとしての私の作品には、見る人が改変できるような拡張性をもつものもあります。インスタレーションの多くはそうですね。そこをさらにオープンにし、「アップデート」に委ねて創作を手離れさせていくというのも、現代の創作の在り方の一つなのだろうと思います。キンコン西野さんの「えんとつ町のプペル」も著者に断りなくガンガン使っていいですから。ただ、あのお話はかなり世界観が確定しているので、もっとあいまいで余白の多い創作物の提供ができないかと私は考えています。
そんなわけで、手始めに私もこちらの細胞パターンのaiファイルを商用利用可能で使えるように公開しました。改変も可能です。思いついたことなんにでも使ってください^^
✓ 参考リンク Oumaの細胞パターン / Free Download
✓ 合わせて読みたい 現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ
みじんこは、人類の共有財産です!ヽ(=´▽`=)ノ