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書家・山本尚志氏へのインタビュー「第1回/書家が現代アートの舞台に立つ上でやるべきこと(後編)」

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書家・山本尚志氏へのインタビュー「第1回/書家が現代アートの舞台に立つ上でやるべきこと(後編)」

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糸井重里さんと石川九楊さんとの対談が、2017年7月に「ほぼ日イトイ新聞」で公開されました。同時期に上野の森美術館では「書だ!石川九楊展」が開催。
2015年の井上有一取り扱いギャラリーであるウナックトウキョウでの個展ののち、東京・富山・名古屋など各地で個展を開催。さらに作品集「フネ」の発行と今、大きく期待がかかる書家・山本尚志氏に、書と現代アートを取り巻く周辺状況について伺いました。

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制作風景(山本尚志氏のアトリエの様子)

――書家がやってきたことは、先人の書いた物を忠実に書き写すことだという話がありました。では、そういった伝統的な書のコレクターというのは、日本には一定数いるのでしょうか?

(山本)はい。そういったコレクターもいますね。

――もし、これまで古典臨書をつづけてきて技術も高い人が、自作を伝統書のコレクターに売れるのであれば、それでマーケットが成り立っています。それならば、あえて現代アートの世界で書家として出ていかなくてもいいのではないでしょうか。

(山本)そういうマーケットは存在しないんですね。伝統書が好きなコレクターというのは、歴史的な価値を見てコレクションしてるんですよ。たとえば昔の名品、光明皇后の書かれたお経などは、今現在もオークションでは一千万円くらいで取引されている。ですからそういうものを欲しがって買う人はいます。だけどそれを真似したものを買う人はいない。歴史的に見て価値がないからですね。

――どんなにそっくりに書けても光明皇后のお経を「スズキタロウ」さんが書きました、というのは全く売れない?

(山本)はい。現代の書道の大家と呼ばれる人たちの作品がアートマーケットで売れているのかっていえば、そんなことはないんです。お弟子さんたちがそれを購入して、師匠の作家にフィードバックするというグループ内での取引が、何千万単位で行われているというのは聞いたことがあります。

――山本さんの作品を購入しているのは、そういう伝統的な書のコレクターの方たちではないのでしょうか?

(山本)その人たちにぼくの作品が集められるということはないですね。むしろ今は、現代アートに触れてきた人が少しずつ、こいつはおもしろいんじゃないかと思って集められている状況です。


山本尚志個展「flying saucer」Yumiko Chiba Associates viewing room(東京)2016/作品は「みずうみ」

――たとえば古典臨書のスゴ腕になったとして、それをSNS で発表しつづけたとします。あるいは、それをアレンジしたものを書いたら、それが「現代アート」として認められる可能性はあるんでしょうか。

(山本)古典臨書や、その影響を受けて書いた作品は、おそらく現代アートにはならないですよね。現代アートとしての書道というのは当然、オリジナルでなければいけないので。そこに古典臨書の影響が強い作品で出ていこうとしても、伝統的な書道の仕事をしているとしか思われない。そこには無理があるように思います。

――では、井上有一以降に現代アートの世界で認められている書家はいるんでしょうか。

(山本)井上有一以降はいないですね。

――なぜこれまで出てないのでしょう。

(山本)まず、井上有一が没してまだ三十年ですから。井上有一の価値がようやく認められて、広がってきたという状態かなと。井上有一以降に作家が出てこなかった理由としては、まず井上有一のマネができないんです。マネをしたら「有一っぽいね」になるし。完全に有一を再現し、それより重厚なものをつくらないと有一を超えたことにはならないと、ぼくはずっと思っていました。
 もし、有一を超えることができるとすれば、有一のような作品でより迫力があるとか。それで有一に匹敵する作品がつくれたら、その人は有一を継いだことになるんじゃないかと。つまり書道史の、王羲之(おうぎし)の次に顔真卿(がんしんけい)が出てきたような継承と同じような継ぎ方をした人が、有一の次として認知されるんじゃないかと思ってたんです。しかし、それは違っていました。アートの世界に有一は二人いらないのです。

――有一を意識させるものをつくっても新しいと思ってもらえないということですね。


山本尚志個展「バッジとタオルと段ボール」B GALLERY(東京)で行われた冷蔵庫に「れいぞうこ」と書くパフォーマンス

――現在の書道の世界には、前衛書道など新しい書道をやる動きがすでにあったと思うのですが、それらは現代アートとして評価されていないんでしょうか。

(山本)まず前衛書道の中に井上有一もいたんです。だから1956年の週刊朝日という雑誌のグラビアに、井上有一が草ぼうきを束ねて書いた写真が残ってるんです。その時の有一は非文字エナメル作品を書いてました。今の前衛書道の人たちがやってることと同じことを井上有一もやっていたんです。当時から文字を一つの束縛だと考え、それを逸脱して字じゃないものをつくろうとした人がいたんですね。その先駆者と言われてるのが比田井南谷(ひだいなんこく)さんという方で、今、再評価を受けようとしてます。

参考リンク  井上有一略歴(Kami Ya Co., Ltd.) 比田井南谷オフィシャルサイト

――それは現代アートとして?

(山本)はい。本人は亡くなってるし、作品も 1950 年代のものを扱っている。井上有一 の次を狙っているというのはそういうことなんですよ。

――では現在の前衛書道も現代アートになりうるということですね。

(山本)それが、そうではないんです。そもそも言葉ではないものを書き始めたところに前衛書道があったわけですね。従来の書道へ反抗、対抗する形で。しかし、今の前衛書道は書壇の中に組み込まれているんですよ。それで師匠のマネをしているから、師匠のコピーが出てくるということに。

――前編でお話しいただいた書壇に所属して師匠のマネをする、という展開と同じことになってしまっていると。

(山本)はい。それでは自分の作品になっていないですよね。
 それに対して書芸というのを打ち出して運動なさっている平野壮弦(そうげん)さんは「文字を否定する、飛び越えるにしてもそこに確固たる意志がなければいけない」という話をされてますよね。なぜ自分はこういう表現をしたのかという部分。それをその人のコンセプトとして口に出して言えなければ、作品にはなりえないと。

参考リンク  書芸家 平野壮弦オフィシャルサイト


山本尚志「マシーン」

――では現代アートの世界で、今、まさに同時進行的に井上有一以降の書をなんとかしようという動きは、山本さん以外には出てきていないのでしょうか?

(山本)学芸大でぼくの一年後輩にあたる柿沼康二さんが現代アートの作家であると自ら認め、活動していますよね。金沢21世紀美術館でも、大きな個展を開催しています。彼は、伝統を非常に重んじているので、そこを含んだ上で現代アートに斬り込んでいるわけです。古典的な書の世界のその上に自分の書を乗せるスタイルを若い時分から貫いているんですよ。ぼくなんかからしたら、そのあたりの評価を、一般の美術関係者がするのは難しいなと考えているんです。伝統的な書が美術の世界ではほとんど論じられてこなかったから。そこに敢えてチャレンジしているわけですね。彼は。

――現代アートの世界では、かつての作家の手法を踏まえた上で作品をつくる、というのが一般的です。村上隆さんはそれを「文法」という言葉で表現していましたが。そういう意味で、書の世界では井上有一が一つの「文法」であると思います。
その有一の文法を経由せずに、今から現代アートとしての書というのを確立することはできるんでしょうか。また、そういう試みをされてる方はいますか?

(山本)まず、それをやろうとしているのが柿沼さんじゃないかとぼくは考えています。それは古典を吸収した人が、現代においてモノ申すという二段階的なことだと思うのです。また、石川九楊(きゅうよう)さんも同じです。彼も伝統書に詳しく、実際に研究者として伝統書についての発表もすごくされている。
 二人とも古典から現代の表現、という形で独自性を出そうとしているところが、私とは違いますね。つまり、井上有一の影響がありません。井上有一が西洋近代絵画の流れの上にあった「抽象表現主義」を経由しているのに対して、彼らにはその影響を感じない。また、柿沼さんの場合は、1957年のサンパウロビエンナーレに有一とともに出品した、手島右卿(てしまゆうけい)の最後の弟子にあたります。この時の日本代表の書家二人、井上有一と手島右卿は、当時の流行であった西洋の抽象表現主義に対抗する目的で選ばれたのですね。現代アートの「文法」を考慮するなら、彼のダイナミックな表現の根底には西洋近代絵画と対峙した手島右卿の影響も残っているのかなと思っています。

参考リンク  柿沼康二公式サイト 手島右卿(Wikipedia)

(山本)石川九楊さんについては、先日「書だ!」という石川さんの個展に伺いましたが、独自性という点では間違いなくこの時代を代表する作家だなと思いました。石川九楊さんは、神田にギャラリー「白い点」という自前のギャラリーをお持ちで自作を直接販売しています。このあたりの動きは、規模は違いこそすれ、ダミアン・ハーストを彷彿とさせますよね。先に申し上げた、書の作品にはマーケットが基本存在しない、というところにチャレンジされていると思います。

――石川九楊さんについては、2017年7月に糸井重里さんとの対談が「ほぼ日イトイ新聞」に掲載されています。形の芸術と思われがちな書は実は演劇や音楽を見るような「時間の芸術」であると評した糸井さん。糸井さんは1989年に京都国立近代美術館で開催された「大きな井上有一展」のコピーを考案した方でもあります。
お二人の対談内容もぜひ、ご一読ください!

参考リンク  書家・石川九楊、糸井重里対談 「書とは何か」を問いつづけた 石川九楊の仕事の全貌


山本尚志個展「Speech balloon」ギャラリーNOW(富山)2017

――ありがとうございました。 今回は現代アートとしての書を取り巻く周辺状況についてお話しいただきました。次回、インタビュー第二回は「書家の強みや制作にあたり日ごろから意識すべき具体的なトレーニング」をテーマにお話しいただきます。
現代アートをやる上で書家がもつ強み、また師匠のコピーに陥らずに、後進を育てていくことが可能なのか、その辺りも伺っていきますので、お楽しみに!

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山本 尚志(Hisashi YAMAMOTO)プロフィール/書家

1969年広島市生まれ。幼い頃に左利きを右利きに直すために習字塾に通ったことをきっかけに書道の世界へ。
東京学芸大学の書道科在籍中に井上有一の作品に出会い、20歳の時に自室で自身は「書家」であると宣言。また同年、ウナックトウキョウで井上有一の「夢」を80万円で購入。同ギャラリーで有一のカタログレゾネ制作に携わる。
2015年にウナックサロンで初個展「マシーン」を開催、2016年にユミコチバアソシエイツ(東京)で個展「flying saucer」、2017年に個展「Speech balloon」をギャラリーNOW(富山)、個展「バッジとタオルと段ボール」をビームスのBギャラリー(東京)で開催。 米国のアート雑誌「Art News」でも世界のトップコレクター200として何度も紹介されている現代美術コレクター、佐藤辰美氏。氏が社長を務める大和プレス編集により、2016年には作品集「フネ」(YKGパブリッシング)を発表。

参考リンク  KEGON GALLERY 山本 尚志(Yumiko Chiba Associates)


山本尚志個展「バッジとタオルと段ボール」B GALLERY(東京)2017

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