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現代アート作家の自己批評術3~新人作家として気をつけること

  • 8月 23 / 2018
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みじんこアート, みじん講義

現代アート作家の自己批評術3~新人作家として気をつけること

現代アート作家の自己批評術2~初心者を抜け出すために典型的ダメパターンを自覚するにつづく第3弾。新人アーティストとして気をつけておきたいポイントをまとめました^^

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1)自分の作業スピードを把握する

どのくらいの時間をかけてどのくらいの作品ができるか、を自分で把握しておくこと。これは、展覧会を複数かけもったり、突然、発表の機会をもらえた時に必要なことです。新人の場合、この作品を出してほしいとオファーを受けている時以外は、すべて新作で出す。そのつもりで作品点数を増やしておくんですね。
いつも同じ画材、同じモチーフの場合には把握ができているでしょうが、私は同じことがほとんどないんですね。同じように画材もサイズも毎回大きく違う人にとっては、作業量の把握は非常に大事です。「できます」って言ったのに間に合わなかったということがないように。乾かす時間や新しいモチーフに迷ってる時間も含めての作業量を把握する。作品はちょっと多めに持っていくくらいがちょうどいいです。いざという時に軽く修正できるような画材も持っていっておくと安心。

2)仲間をつくる

仲間というのは「現代アート好き、現代アートを見に行っている」というアートファン的な仲間ではなく、現代アートを「研究」できる仲間ですね。現代の魔法使い・落合陽一さんが「これからの世界をつくる仲間たちへ」の中で、こんなことを言っています。

新しい問題を発見して解決するのは、「勉強」ではなく「研究」です。(中略)研究者は誰もやっていないことを探し続けるのが仕事です。

現代アーティストがやっていることも「まだ誰も見たことのない作品」の探求、なんですね。そういう意味で現代アーティストも研究者です。ただ、これには「アートの世界で」という注釈がつく。現在、現代アートと名乗っていない「美のイノベーション」はそこかしこで起きています。代表例がインスタグラムです。誰もが簡単にそれっぽく美しい画面がつくれるインスタグラム。井上有一は「書は万人の芸術である」という言葉を残していますが、まさに万人の芸術としての新しいツールをインスタグラムは提供してしまった。気軽な創作を多くの人が楽しめるようになった。プラットフォームにのっかって画像をあげるユーザーではなく、もしもインスタグラム自体が「これはアートの概念を変える革新的な行為なのだ」と言い出したら、ほとんどの現代アーティストは瞬殺されるはず。
落合陽一さんが「エジソンはメディアアーティストだった」と言っているように、本人が名乗っていないだけの「革新的なアート」は世界に多くあります。そういったことも踏まえ、じゃあ、今、現代アーティストとしてやるべきことは何か、これはアートの世界のイノベーションなのか、話し合いができる仲間がいること。いろんな考え、情報を持ち寄って議論し合える仲間をもつこと、ですね。
私にとって仲間(正確には師匠)といえるのは、書家であり、現代アートの作家である山本尚志さんです。私は山本さんから現代アートとは何か、なぜ山本作品が現代アートといえるのか、そういうところから教わってきました。しかし、私は「書家」ではないので、当然ながら同じ道筋で思考していくわけにはいかない。それに、言われたことをそのまま真に受けているだけでも、山本氏を超えられません。徐々に自分でも考えられるようになってきて、山本さんとは違うアイデアが出せるようになってきた。ですが、最初期に「現代アートについて真剣に聞ける・話せる相手が身近にいた」というのは、私のアーティストとしての発展にとって非常に重要なことでした。山本さんの周りには現代アートとしての書を探求する書家さんも増えてきていて、そういう人たちの活動を見ていると、自分もぬるま湯に浸かっている場合じゃないなと反省させられます。

参考リンク  書家・山本尚志氏へのインタビュー「第1回/書家が現代アートの舞台に立つ上でやるべきこと(前編)」

3)ウケ狙いの作品をつくらない

実のところ、現代アートの名のもとに「ワケわからないけどそれっぽい」作品は、創ることができます。たとえば椅子の上にキュウリを三本置いて、まんなかのキュウリに鉛筆を突き刺すとか。ワケわかんないですよね、でも「キュウリと鉛筆は性の象徴であり、不自由さの中に潜む凶暴な本性を表出させた」とかテキトーなことを言ったらそれっぽく見えてきませんか?実のところ、見映えだけそれっぽい作品はけっこうあります。だから私は現代アート作品を話を聞くことなしに評価するのは難しいと思っています。
写真を水彩画風、油絵風、漫画風などに変えることができるアプリが出てきて、誰でも簡単にそれっぽい画面がつくれるようになってきました。今後はもっと高度化したアプリも出るでしょう。そんな中、画面が美しい作品にどこまで価値があるのか。こんな研究がありました。

一方のグループには、ある抽象画を「コンピューターで描いた」と言って見せ、もう一方のグループには同じ絵を「ギャラリーに飾られている」と伝えて見せたときの反応を調査。つまり、「モノ」は全く同じで「背景」だけ変えたわけですが、脳の反応を調べた結果、「ギャラリーに飾られていた」と聞いて絵を見せられた人々は、脳のうち人が喜びを感じた時に活発化する部分が反応していたそうです。

参考リンク  科学は私たちに「美」とは何かを説明できるのか?

「喜びを感じた人がいる」のが何人なのかがはっきりしていませんが、この研究から分かる通り、人は作品の裏にある「ストーリー」を想像し、それを喜びとすることができるんですね。私は小さい頃、美術館で絵を見る時、何が描かれているかよりも「描かれた年代」を見るのが好きでした。絵の良さは分からないけど、この絵が200年間、誰かに見られ続けているという事実。200年間、こうしていろんな人が見てきたんだろうなぁというところに魅力を感じていました。
現在はその人の発信がネット上になんらかの形で残る時代です。これまでメールもSNSも使ったことがないという人はほとんどいないでしょう。有名人のちょっとした発言が簡単に炎上する時代でもありますが、もっと長期的に考えた場合、本人が心を込めて継続してきたことのみがその人の「コア」として残り続け、あとは情報の海の中に散り散りになっていくだけなのです。私たちは豊臣秀吉が天下統一したことを知っているけど、秀吉が「ああもう、戦とか超めんどくさいし、信長様ってわがままだよ!」とか陰で言ってたことは知りません(うんざりしたり、怖がったりしてる瞬間は絶対あるはずですよね笑)。つまり本人が人生を賭けて行っていたことしか、後には残らない。いや、どこかには残ってるけど注目が集まらない。ウケを狙った作品は本人のコア、熱量がないので、消えやすいのです。
私たちは作品を通じて、作家のことを想像できる。あらゆるものが無料提供され、シェアされ、コピーされていく中、人間の娯楽は「知」と「想像力」と「体験」に集約されていく。
使うツールに関係なく、本人の真実が乗っている作品だけが残るのは、人のストーリーにこそ魅力があるから。コーヒー好きが撮り続けたインスタグラムの写真が誰かの心を打つ。彼は大自然の中でクマと対峙しながらリラックマのカップでコーヒーを飲んでるかもしれない。「ああ、この人本当にコーヒーが好きなんだろう」そういうのが分かる(ちょっと変態なことも分かる)。
だからね、現代アーティストとして一番やらないといけないのは、自分そのものみたいな作品を創ること。アーティストぶってかっこつけたいなら、かっこつけたい気持ちが出た作品を創らないといけない。かっこのついた作品を創るんじゃなくてね。ウケを狙わないというのはそういうこと。

合わせて読みたい  現代アーティストになりたい人のための~初心者の第一歩から海外展開まで役立ち記事まとめ


みじんこは、ウケ狙いです!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「ウケたいよっ。」
「狙ってるよー」

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