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忘れられることを望んだ芸術家~岡本太郎から作品の拡張性について考える

  • 2月 19 / 2019
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忘れられることを望んだ芸術家~岡本太郎から作品の拡張性について考える

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良著を濃縮還元してお届けするみじんこブックレビュー。今回は岡本太郎さんの「美しく怒れ」から、「分からない」のは型があるからではないか、という言葉をご紹介。それと作品の拡張性について考えてみました。

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最近、岡本太郎さんの著作を読み漁ってるんですが、非常におもしろいです。特にこの「美しく怒れ」は気づかされるところが多かった。たとえば、現代アートが「分からない」という部分について言及しているこちら。

「私には絵がわからないけれど」というのは、実は「絵」がわかっていると思っているからなのだ。
絵とはこういうものだ、という常識、固定観念があって、その型にはまらないと「わからない」、つまり「絵ではない」と片づけてしまう。だから「わからない」という言葉は謙虚なつもりで言っているのかもしれないが、実はたいへん不遜なのである。
芸術がほんものだったら、---そうであればあるほど、既成の枠から外れている。ことに現代芸術はそうだ。とすれば、もっとわからないということに真面目に、真剣に取り組まなければならない。
いいかえれば分からないということにこそ、責任を持つべきなのだ。

「分からない」と言えるということは、「これなら分かる」という自分の型を持っているということ。そこから離れていることを「分からない」とし、「型にハマってないから関係ない」ものとして追いやってしまってないか、ということ。

海外ふらついているとですね、草間彌生とキースへリングの人気がすごいんですよね。一般の人に広く愛されている感じ。デュシャンとか20世紀に最も影響を与えたアーティストかもしれないけど、デュシャンが大好きなんです!という声は大衆からは聞こえてこないですよね。私はいわゆる古典絵画の肖像画みたいなやつより、浮世絵のほうが素敵だなって思うほうなんですが、キースも草間さんも、長く一般に愛されるような気がしています。理由は、どちらも拡張性があるから。つまり、グッズになったり、パターンを布地にしたり、など二次創作がしやすく、二次創作で「部分」になったりしても十分におもしろいってこと。
あっと、ちょっと話がそれてしまいましたが、岡本太郎の名前って海外でなかなか出会うことがないんです。日本人だとほとんどの人が知ってますよね。太郎は世界的には知られてないのかな、と思ってたら、こんな記事がありました。→岡本太郎は、忘れてけっこう。
この記事や、これまで読んだ岡本太郎関連本を踏まえて考えると、岡本太郎は「歴史に残る」ことを目的にはしてなかったんだなと。自分なんか忘れてしまって構わない。だからフランスにも残らなかった(パリに残ればコネもあり、有名になれた)。その上で、日本の人たちに芸術とは何か、アーティストとはどうあるべきか、みたいなことを伝え続けてきた人なんじゃないかと、私は理解しました。
現代アーティストって「どうやったら自作が歴史に残るか」を考えていることが多いし、私自身も残る作品を作って作品によって貢献し続けたいと思っているほうです。でも太郎は違う。自作が残るかどうかよりも、今、伝えたいことを伝えつづけていた。それはアーティストの姿勢として美しいし、すごく尊敬できるなと思いました。とはいえ、私は私で、自作を残し続けることで伝えていくことを考えていますよ、もちろん。

太郎作品は残るのか

作品が歴史に残るっていうのは、自動的に自然発生的になるわけではなくて、誰かが残してくれるからですよね。文脈づけする批評家の影響が大きかったりするけど、その役割を大衆も担えるようになってきていると思います。ネットは変なものがバズることも多いけど、漫画や小説などの「いいね」数が多いものは、やっぱりおもしろいですもん。現代アートの場合は「現時点の娯楽」として寄らない部分も大きい(=大衆にすぐに理解されない)ので、批評家の存在は必要だろうけど、草間やキース的な大衆にも受け入れられやすい作風の場合には、大衆側から見つかって広がるケースはぜんぜんあるはずです(ただし、こちら側の場合には、一時的な娯楽として消費されて消える可能性も高いので、裏側をちゃんとつくり込むべきですね)。
たとえばそうなった時、岡本太郎作品も割と二次創作しやすいと思うんです。制作当時はきついと言われていた原色も、現代ならポップで楽しい感じ。太陽の塔に代表されるような造形も、かわいらしくて親しみがあります。なにしろ、まだ獣医だったころの私が太陽の塔キーホルダーをおみやげに買ったくらいですから。
私は勉強不足でしたが、日本人(アーティストに限らず)で岡本太郎のことを引用する人って意外といるんですよね。「忘れられて構わない」という姿勢だった太郎に惹かれ、むしろ忘れずに支えにしている人もいる。そうすると太郎作品は、もっと違う形で日常に現れ、芸術について伝えつづけるかもしれない。太郎のゆるぎない思想と拡張しやすい作風が、次世代へのバトンとして受け継がれるかも、と感じました^^

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みじんこも、残るよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「残りっぱなしだよっ!」
「残りものだよー」

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