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美術批評家・海上雅臣さんのこと

  • 11月 02 / 2019
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みじんこアート

美術批評家・海上雅臣さんのこと

希望というか、未来みたいなものを失ってふわふわしまくってた自分に、「アート」というもののおもしろさと大事な一歩となる個展の機会を与えてくれた恩師が亡くなったと聞きました。お会いした時も80歳くらいだったんですが、すごくお元気だったので、なんだかあと30年くらいはご活躍されるような気がしていました。今日は大事な恩師に向けての感謝の言葉を。

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UNAC TOKYOでの初個展

初めてお会いしたのは2011年のことで。特に何かすることもなく、ふらふらしてた時に、たまたま出会った方が紹介してくださり、ギャラリーに伺ったのがきっかけです。その頃なんの気なしに描いていた線画を見せたら面白いって言ってくれて、自宅に遊びにおいでって誘ってくれたので、暇だった私はその2日後にご自宅まで遊びに行きました。海上さんのご自宅、作品だらけなんですね。家がアート作品みたいになってるんです。んでも、あまりにも普通にごろごろしているので、アート作品がなんか「暮らしてる」みたいなんです。そんな感じがとても好きなご自宅でした。

仕事を辞めたばかりで、震災も起こってしまって、なんだか未来が全部閉ざされたような鬱屈した日々の中で、海上さんがたまに電話で呼び出してくださったので、そのたびに絵をもっていくようになりました。呼び出しに向かうと、必ずめっちゃ美味しいごはんをご馳走してくれるので、それもありがたかった。(当時、レトルトを食べない友達が消費期限が1年すぎたレトルトとかを大量にくれたので、ビクビクしながらそれを食べたりしてました)

1年くらいそんな感じで通い詰めていたところ、「個展やってみる?」って唐突に言ってもらえたのが2012年。できたのがこの記事に貼ってる写真の作品なんですが、この個展の企画自体は海上さんが考えたものなんですね。当時の自分には個展を企画するような能力はまだなかったので、言われるままにやったというのが本当のところです。ギャラリー全部を覆う和紙は、紙守さんというところに依頼し、ギャラリーの壁を測ってつくってもらいました。ギャラリーに届いた大量の紙が、棺みたいな厚紙の箱に入っていて、開けると森みたいな匂いがしました。でも、自分にはこれだけ大きな作品をつくる場所がありません。そしたら、制作期間中だけギャラリーをアトリエとして貸してくれるというのです。土日やGW、お盆休みなどギャラリーがお休みの日にギャラリーを使っていいと。これが本当にありがたかった。そして、この時に「墨」と「筆」について知ってる専門家として海上さんから紹介してもらったのが、書家・山本尚志さんでした。なにしろ、これまでA4くらいの小さい紙にペンで線画を描いてただけだったので、この個展は自分にとってかなり大ごとで。紙については紙守さんがいろいろ教えてくださり。筆や墨については山本さんから教わった。さらに、現代アートの基本的なことをこの時、山本さんからお寿司屋さんで教わりました。ただまぁ、当時は山本さんが何を言ってるかサパーリ分からず、私の脳内には「?」だけが溢れかえっておりました。

参考リンク  書家・山本尚志氏へのインタビュー「第1回/書家が現代アートの舞台に立つ上でやるべきこと(前編)」 アートは人の人生を変えるのか~20歳で井上有一作品(80万)を購入した書家・山本尚志氏の歩み

最初のこの出会いが、自分にとっては本当に幸福だったと思うのです。現代アートに対して真摯でかつ知識があり、大変さが分かっていてもネガティブすぎない人から話を伺えたこと(アートなんて無理だよ、お金稼げない、大変、っていう話はその後、世界中で聞くことになりますが、最初に聞いてたらチャレンジすらしなかったと思うのです)。これが真っ暗な海に飛び出すときの灯台みたいな役割になってくれました。

もともと描くのが早かった自分は、準備も2週間くらいで終わりますーなんて言ってたんですが、実際に大きな絵を描くのが初めてだったので、どのくらいで仕上げられるか分かってなかったんですね。4月に和紙を受け取って4月末頃から制作を始め、びくびくしながら線を描き、「こんないっぱい用意してもらったのに、しょぼかったらどうしよう!」という焦りを抱え、結局8か月かかってでき上った時には、いろんなことを乗り越えてました。なにより、この空間は楽しかった!
友達がたくさん来てくれましたが、絵の描かれた床でごろごろしたりのんびり話したりできたこと。なにより空間をつくる楽しさを知ったこと。自分はずっと(今でも)絵がへただなぁって思ってるのですが、「体験」や「空間」にしてしまえば、そこに上手下手の価値観がなくなるっていうのが、自分にとってはとても楽だったんです。

細かいいろいろはこちら  31歳で獣医をやめなんとなく絵を描き始めてから家賃0円のクリエイターズシェアハウスに受かるまでの話

アートをやっていくなんて自分では全然思ってなかったし(そんな危険な賭けに出ないタイプ)、アートのおもしろさ、空間をつくる楽しさを知るきっかけがなければ、ちゃんとやってみたいなんて考えもしなかったです。この個展がなければ、自分がアーティストになることは絶対になかった。自分にとって、人生の転機となる展覧会でした。最初に大きな機会をいただいた分、それなりに活躍して恩返ししたいなと思い、「可能な限り最速で世界に近づく」ことを目標にいろいろ動いてきましたが、まだまだぜんぜん微妙なところでお別れが来てしまった。
いやぁ、本当に、とても悲しいです。お世話になった日々を思い返すと涙があふれます。もうちょっといい成果が出せていればよかったですが、ふがいない感じです。訃報を聞いて、ギャラリーに韓国から現在開催中の個展のハガキを送りました。もうちょっとちゃんと活躍して、どこかでインタビューを受けられるようなことがあれば、自分がここまでやれたのは海上雅臣さんのおかげですって言いたい。それまでまだしばらく、がんばります。

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みじんこは、悲しいよ!

みじんくん と みじこちゃん

「お世話になったよっ。」
「感謝でいっぱいだよー」

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