世界有数のアートコレクター、大和プレスの佐藤辰美氏の支援を受けるところからスタートし、現在はユミコチバアソシエイツ所属と、活動の場を拡げている書家・山本尚志氏。好評の連載第2回は再び前後編に渡り、「書家の強みと日ごろ意識すべき具体的なトレーニング」について話を伺った。
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――第1回のインタビューでは、書家は自分のオリジナリティー、書きたいものをすでに持っているという話を伺いました。山本さんは通常の書道ではあまり見かけないような「マシーン」や「はいざら」などの言葉を書いています。
そこでお伺いしたいのですが、自分の思い入れのある言葉であれば選ぶ言葉はなんでもいいのか。たとえば「今日はウナギ食べたいなぁ、よし、ウナギって書こっ」と思って「ウナギ」を書いても作品になるのでしょうか。
(山本)以前、あるギャラリストの方に「山本さんって、作品つくりたい放題じゃないですか!」と驚かれたことがありました。なんでそんなに驚くのかと考えたら、言葉、ぼくの場合は「モノ」の名前を書きますが、その「名詞」って無限に近い形で存在しますよね?
さらに、書が瞬間的に作り出される方法を持っているので、「作品をつくりたい放題」だと、その方はそう思ったんではないかと思うのですね。
――「マシーン」と書くのに、どんなに時間をかけても5分で書きあがるとしたら、本当につくりたい放題。作品の量産が容易ですよね。絵画だとさすがに5分で作品は仕上がらないですから。
(山本)ところがですね。その瞬間に書きたい言葉とは一体何かと考えてみますとね、それが「自分だけが持つ言葉であるべきだ」と考えれば考えるほど、書きにくいものになるのです。それは書く瞬間を特別な瞬間にしようと思えば思うほどです。
――書く瞬間を特別にする?
(山本)もし、書きたい言葉と、書く瞬間の気分が乖離したとしたなら、たとえばその人の中で「愛」と書こうとして、制作に入るとする、そしてその直後に失恋でもしたなら、恐らくその人は「愛」とは書けなくなってしまうのではないかと。
――ウナギを食べたくて「ウナギ」と書いたけど、実際に食べてしまったら「もうウナギはいいや」となる。そして「じゃー、次は寿司にするかな」ということに。
(山本)はい。ですから本来、書家はその時々の心持ちにひどく左右されるべきものなんですね。
――ということは、つくられる作品、出てくる言葉はその時どきで一定しないということですね。
「ウナギ」「寿司」「ラーメン」「チーズケーキ」「うどん」「山菜サラダ」
(山本)実は「ぼくが一番書きたいもの」というのは、元々は「書かざるを得なかったもの」という究極の選択を迫られて始まったものなんです。それは、学生時代に遡りますが、美術をやっていた友人から「書道は芸術ではない」と言われたこと。その直後に自宅に戻り、目の前にあった段ボールに、
(さて、自分ならここに何を表現するのか?)
と、考えた。その時、もしそこに「絵」を描いてしまったら、自分は書を辞めようとまで考えていた。しかし、実際にそこに生まれたのは「これは段ボールだー!」という言葉だったんです。そして、それをさらに裏返して「これはそのウラー!」と書いたのです。
――山本さんの今日までの歩みの中でお話しいただいたエピソードですね。
(山本)その時に書というものが、自分の中にある何かを発散させ、カタルシスを感じさせてくれるものだと発見したんですね。
だから、その人が一体何を書くのか?それによってその人に芸術的な感興が起こるか否か?そこに芸術家にとって大切なモチーフの意味が出てくるのではないかなと。
――なるほど。では、今現在、ほんっとうに「ウナギ」が食べたかったとしても、食べてすぐ「もうウナギはいっか」になってしまうようなモノは、芸術家にとってのモチーフにはなりえないと。
(山本)ぼくのモチーフは、過去を遡れば、小学校5年生の時に新幹線の絵を描いて、その小さく並んだ窓ガラスの部分に「マド・マド・マド・マド」と書きまくったとこらから始まっています。
そうした自分自身の原体験までを俯瞰してみて、自分とはこんなアーティストなんだなと気づかされるわけです。そうした過去の経験全てが作家の大切なモチーフをはらんでいます。
新作とは今から急に思いつくものではないのです。作家の幼少期からつづく経験が全て詰まっているのだと、ぼくは思っています。それが作品に最後の最後で説得力を与えるのではないでしょうか。
――なるほど。制作にあたって、絵画と書との違いというのはありますか?
(山本)絵画と書には大きな違いがありますね。絵画は画面の中にいくつもの物体を配置することができますが、書家がそれをやると画面いっぱいに字面が並ぶだけになるんですよ。
――先ほどの例でいうと、「ウナギ」「寿司」「ラーメン」「チーズケーキ」「うどん」「山菜サラダ」が、お品書きのように並ぶと(笑)
(山本)はい(笑)。つまり、それは「行の支配」を受けることになります。誰が書いても同じようなブロックの塊になるのです。一つ一つの文字は、文字の羅列の中ではクローズアップさせにくくなり、本の1ページを閲覧するような気分になるでしょうね。文字の羅列に過ぎないものに、個性を与えるのはなかなか難しいですから。
――ぎっしり書いた文章は、作品として他の人と差をつけるのが難しいということですね。誰がつくっても同じような作品に見えてしまえば、作品としての個性がなくなる。
(山本)そうした意味では、井上有一が一文字だけを画面いっぱいに大きく書いたことは、意味のあることでした。しかし、それはもう誰もマネできないものになってしまいました。
――マネをしても「ああ、有一ね」と思われてしまうということですね。
(山本)はい。だからぼくは図形を登場させたのです。
図形の中では、行の概念が存在しませんからね。例えば25歳の時に書いた「スピードガン」という作品では、スピードガンの図形のあらゆる側面に文字をバラバラに配置して書きました。もちろんそれは、順番にス、ピ、ー、ド、ガ、ンと書いています。
多文字を書いても文字同士の塊に見えない、そこから逸脱する方法として考え出したのです。こんなふうに「書を新たな芸術作品として成立させるため」という狙いの意味でもモチーフが存在するのですね。
山本尚志「スピードガン」2016 ©Hisashi Yamamoto, Courtesy of Yumiko Chiba Associates
――こうして見てみるとこの作品は、複数の視点を一画面に収めた「キュビスム」を思い起こさせますね。しかし、山本さんの作品にはすべてに「言葉」が入っています。前衛書道の作家の中には、言葉を使わない作品をつくる方も多いです。先日お話に出た比田井南谷(ひだいなんこく)さんもそのおひとりでは。
✓ 参考リンク 比田井南谷オフィシャルサイト
――井上有一ももとは前衛書道の団体にいたというお話がありました。書道作品をつくるのに「言葉」はすでに必須ではないのではないでしょうか。
(山本)これはよくいろんなところでお話しするんですけどね。
もし書家が文字を書かないとしたら、それは書家自身が言葉を持たないということになってしまうのではないか、とぼくは思うんです。先ほどお話ししたように、ぼくは自分が昔段ボールに立ち向かったときに、「もしここで言葉が出なかったら、書道を諦めよう」と思ったわけですよね。そういう人間からすれば書道で言葉を書かないということはありえないんです。
――絵のみであれば、たとえそれが筆で墨と和紙を使って書かれていても「書」ではない?
(山本)書道は「言語芸術」であり、自分が考えたこと、その場で思ったことを、そっくりそのまま取り出して見せるものだというぼくなりの定義は変わりません。
しかし、それはぼく個人の問題であって、書道界全体を見渡せば、そう考えていない人も結構たくさんいることに気づかされます。
例えば先ほどの比田井南谷さんのステートメントを拝見すると、書道の中で書かれる線に着目し、そこだけを取り出すことにより、書のエッセンスを抽出することに成功したのだと読めます。
また、先日、同時期に活躍した前衛書家の表立雲(おもてりつうん)さんとお話しする機会があったのですが、井上有一は文字に回帰したことで、大衆に媚びたのだとおっしゃっていました。もし、あのまま文字を書かないでいたら、もっと大成しただろうとも。
(山本)つまり、文字に戻った書家に対して、表さんをはじめとする当時の前衛書家たち、詳しく言えば「墨象(ぼくしょう)作家」と呼ぶのですが。彼らは頑なにそれを拒んだわけです。それは一体どういう気分だったのか。
それは、井上有一の当時の詩を読めば、その雰囲気が伝わってきます。
「メチャクチャデタラメに書け。
ぐわあーっとブチまけろ。
お書家先生たちの顔へエナメルでもブッかけてやれ。
せまい日本の中にウロウロしている
欺瞞とお体裁をフッとばせ。
お金でオレを縛りあげてもオレハオレノ仕事をするぞ。
ぐわあーっとブッタギッテヤル。
書もへったくれもあるものか。
一切の断絶だ。
創造という意識も絶する。
メチャクチャデタラメにやっつけろ。」
引用:海上雅臣著「ミネルヴァ日本評伝選 井上有一」2005
(山本)このメチャクチャデタラメという感覚が書を逸脱し、書を新たな方向へと導くんだと。1955年当時、有一や他の墨象の作家たちは考えたんでしょう。
しかし、冒頭の一言を見てください。メチャクチャデタラメに「描け」とは、書いていないことに気づきませんか?
あくまで、井上有一の非文字エナメル作品は「書く」行為の延長だった。比田井南谷や表立雲とは、元々意識の上で異なっていたのです。
そして翌年にあの歴史的な作品「愚徹(ぐてつ)」が生まれる。
――1957年のサンパウロ・ビエンナーレに出品され、イギリスの美術批評家ハーバート・リードに注目された作品ですね。「愚徹」はその後、1959年にハーバート・リードの「近代絵画史」という本にも掲載されています。
✓ 参考リンク 「愚徹」国立国際美術館蔵
(山本)文字を書くことを拒み、当時はやりの抽象表現主義の絵画にも似た作品を作っていた墨象作家たちが選ばれず、井上有一の書「愚徹」が選ばれた。そのことにぼくは注目します。
文字を逸脱せずに当時最新の画家たちに交じり、決して負けなかった日本発の芸術作品を思う時、ぼくは感動を禁じ得ないのです。ぼくはそのことを感じてから、文字を書くことに疑いを持った事は一度もありません。
――そうなってくると、現代アート「書道」の定義とはなんなのでしょう?
(山本)そうは言ってもぼく個人の感覚ばかりが先走ってもいけませんので。前回お話ししたミライショドウの8人の書家の中には、墨象の作家もいます。つまり、現代アートの定義と同様に、何をしても自由なのが現代アート書道だと思うのです。
文字を書くのか、書かないのかという問題は、正直なところ、ぼくの中だけでは片付けることができません。
書がその作家にとって「線を表現する芸術」なのか、「字形を表現する芸術」なのか、それとも「言葉を表現する芸術」なのか。それによって、現代アート書道の定義も変わってくると考えるのが自然なのではないでしょうか。
✓ 参考リンク 「ミライショドウ」作品集(疾駆)
――なるほど。では、書家が現代アートの分野に分け入ろうとする際に、考えなければならないことはありますか?誤解していることが多い部分とかがあればお願いします。
(山本)いろいろありますねそれは(笑)
まず彼らは、近代絵画の歴史を知りませんから、そこからスタートするべきだと思っています。もちろん知らないでも突破は可能でしょうが、ぼくにはできません。
なぜなら、芸術交流を目的とした場合に、これは対話の際の1つの常識的なところだからです。
――対話、ですか?
(山本)ぼくが現代アートの世界において、写真家の方々とお話をするときに感じたことがあって。我々の共通の話題として近代絵画の歴史であるとか、例えばピカソの絵画であるとかについて語り合う題材を持たなければ、話しづらいですよね。単純に芸術論を戦わせる時の素養として、知っておいてもいいだろうというレベルですが。
――そうですね、先ほどピカソのキュビスムを思わせると言いましたが、そこで「えっ、キュビスム?」と言われてしまうと、会話としては成り立たない。
(山本)あとは、現代アートの作家にどんな方々が実際にいるのか?ということでしょうが、これはぼくもまだまだ追い切れていませんから、何とも言えません。
――私は以前、美術関係者の方に「ヨーゼフ・ボイスみたいなことやりたいの?」と聞かれて、「えっ、誰ですか?」と聞き返したら、ものすごく怒られたことがありました。社会彫刻という言葉を生んだドイツのアーティストなのですが、そんな著名アーティストのことも知らずに現代アートをやろうとするなと。
現代アートの世界に入ってから、どこに行っても言われるのが「死ぬほど作品を見ろ」でした。
✓ 参考リンク ヨーゼフ・ボイス/拡張された芸術概念「社会彫刻」
(山本)そうですね、ある程度は知っておきたい、と考えるべきでしょう。これは友人や恋人関係と同じで、相手を理解したいと思う気持ちがあるのとないのとで、繋がりの度合いが変わってくるようなものです。
ただし、全く上記のような素養すらなくたって、基本、心をオープンにして学べば、その人は作家として向上するのではないかなと思います。
――たとえばどんなことでしょう?
(山本)良い手がありますよ。それは仲良くなりたいアーティストやギャラリーの作品を買うことです。一気に距離が近くなります。アーティストとは、対話から創作のヒントが得られますし、ギャラリーには「見てるだけ」より小さな作品でも買った方が、お互いがある作家を取り巻く仲間なんだという共通認識を得ることができます。
そうした、現代アートが分からない、知らない、という態度を改めるだけでも、かなり障壁はなくなるのではないかと思いますね。
――なるほど。山本さんは20歳の時に80万円の井上有一「夢」を購入してますしね。
(山本)ぼくは気に入った作家の作品があれば、有名、無名問わず買うようにしています。もちろん、サイフと相談しながらですけれども。それは良いなと思う作品を、自室の壁にかけて眺めることで、さらに理解を深めることになると信じているからです。
――その見方は井上有一を見出した日本の美術批評家、海上雅臣さんの見方と同じですね。海上さんは「力のない作品はずっと掛けておくと自分から『片づけてくれ』って言い出す」とおっしゃってました。
山本さんの作品もアートコレクターの佐藤辰美さんにコレクションされていますね。いつ頃からそのコレクションは始まったのでしょう?
(山本)実は佐藤氏にお会いしたのは、ぼくが23歳の頃で。初期作品数十点を既にコレクションしてもらってました。ぼくの作品を最初に見出した井上有一のコレクター、徳田泰清氏のコレクター仲間だったのが佐藤氏なのです。
――徳田さんは「これは段ボールだー」と書いた作品を陶芸誌「かたち」に紹介してくださった方ですね。
(山本)はい。2015年のウナックトウキョウでの個展をきっかけに、佐藤氏とは20年ぶりに再会しました。ぼくの成長を褒めてくださり、ユミコチバアソシエイツへの推薦もしてくださった。もちろん、ユミコチバアソシエイツのギャラリーオーナー、千葉由美子氏の面接試験も受けました。その上で、晴れて現代アートギャラリーの専属作家の一員となれたのです。
――20年前に得られた佐藤氏とのコネクションが活きた、ということですか?
(山本)いいえ、それはコネクションと呼べるほどのものではありませんでした。プロのアーティストになれるかどうかの厳しいチェックが入りましたので。
――佐藤氏のチェックですか?ギャラリーに推薦する前にアーティストとして耐え切るかをテストされた感じでしょうか?
(山本)はい。その時にぼくが一つ一つ確かめられた試験内容が次に挙げるものです。一昨年当時、少しずつメモをしていました。これを全てクリアできなければ、佐藤氏の試験をパスしたことにはなりません。
山本氏のまとめた佐藤辰美氏の試験内容
- いつごろから作品を作り始めたか
- 何種類、合計何点の作品点数があるか
- 20種×5点以上のバリエーションがあるか
- それはキチンとした時系列データとしてまとめられるか
- 大作、中品、小品と書き分けられるか
- 納期までに求めに応じて、作品点数をまとめられるか
- 人を感動させるヒストリーはあるか
- 作品は誰にも似てないか
- サボってないか
――私も1年前くらいに教わってから、定期的に見返してますね。特に種類のバリエーションと、作品点数について。
(山本)これは、ユミコチバアソシエイツに入った後も、大いに役立ちました。
――それは、他のユミコチバアソシエイツ以外の会場で個展をされた際に役に立ったということですか?
(山本)そうですね。まず、ぼくは最初に「あなたは既にキャリアがある作家だ」と言われました。それは、大和プレスから出ている作品集のおかげです。時系列に何百点かの作品の存在が、その裏付けだと思われたのでしょう。
それから、納期の問題。ぼくは2016年からここ1年半の間に、6回の企画展示に参加しましたが、その度毎にぼくの作品がスムーズに仕上がるので、毎回驚かれました。
――2017年に入ってからすでに5回ですか。自分の制作ペースを考えるとかなりキツイですね(笑)
(山本)まあ、それは書道の作品がすぐに書けるからというのもありますが、それを一定期間中に、何十何百と書いて選別作業を行います。タイトなスケジュールでは、直前に書き直してセーフ、ということもある。それも、ある一定のクオリティーがあるものをぼくが毎回出したので、そこを評価していただいたのでしょう。
――なるほど、ほかに評価されたポイントはありますか?
(山本)あとは作品の在庫ですね。同一モチーフで何十点も制作している意味というのは、たとえば作品集を見て作品購入をお考えのコレクターの方々が、「このモチーフの作品はまだ残ってないか?」と言ってくることがある。そのお客さんへの対応のためなのです。それについては、現在ぼくはスムーズにできています。十数年間で何百も書いてきてますから。つくりためた過去の作品も購入できるのです。
――いつでも求めに応じるための即応力があると思われているんですね。
(山本)こうした厳しい試験を経ていることを、ぼくが関与しているギャラリストの方は皆さんご存知です。ですから、ぼくの次に大和プレスが本気でプッシュしてくる作家が誕生すれば、またぼくと同じような現象が起こると思います。
山本尚志個展「flying saucer」Yumiko Chiba Associates viewing room(東京)2016
(山本)そのための努力は、これはもう作家一人一人がしなくてはならない。
佐藤氏がいつもおっしゃる「わからないものが好き。僕がわからないというのは、作家が二歩三歩先に進んでいるから」という、その姿勢に現れているように、これはあくまで作家の先進性が問題なのです。
そうでなければ、誰も何もしてくれません。やはり、現実は厳しいです。
――一朝一夕で先進性を身に着けるのはまず難しいと思いますが、コレクターを唸らせるほどの作品をつくるために、日々できること、やるべきトレーニングみたいなものはありますか?
(山本)やはり作品の数を増やすことでしょうね。佐藤氏のいう「数のない質はない」を体現するために。
彼のようなコレクターは、いわゆる「目利き」ですから、どんなものが素晴らしくて、どんなものがダメなのかというのは、知り尽くしています。
世界的な現代アートの作品、日本の美術では、仏教美術から始まり、陶芸、そして我々の現代アートとしての書道作品まで、見ていらっしゃる。その彼がまだ見ていないものを作るべく、ぼくも日々アトリエに入っています。
――なるほど。では、書に限ってのトレーニングはありますか?
(山本)基礎のトレーニングとしては、古典の臨書(模写)もぼくはオススメします。それも原寸がベストですね。なぜかと言えば、それは目を鍛えること、そしてイメージしたものを再現する能力を手に入れることになるからです。
――目を鍛えるということについては、私は今も苦労していますね。作品の良し悪しを見極められるというのは、自分の作品が良いのか悪いのかを判断できるということ。それは自作の質に関わってきます。
(山本)頭の中ではうまくいっているのに、作品として成功していない、というのは良い状態です。まだ改良する余地があります。継続してアトリエに入れば解決しますからね。
逆に、今回の作品は面白いのができたけど、頭の中で次回作のアイデアが浮かばない、というのは悪い状態です。それは作家としての素質に欠けます。
(山本)「作家とは、涌き出でる泉のように、常に自分の作品に囲まれて暮らすべきだ」と言ったのは、ぼくの恩師、海上雅臣氏でしたが、若い頃に聞いたその言葉の重みを、今ヒシヒシと感じています。
ですから、そういう人はたくさんの芸術作品に触れることです。それも自分がまだ触れたことのない分野のものを。自分の知っていることだけが全てなのではありません。
――私も別の作品が制作のヒントになることはよくありますね。それはアイデアをマネするわけではなく、作品に触れたことをきっかけに、別の方向からアイデアが降ってくるような。
(山本)あとは謙虚な姿勢で自分自身を見直すことです。そうでなければきっと自信過剰に陥り、自分の作品はすごいのだと思い込む。そう思い込んだところから「なぜか作品がつくれない」というアーティストとしてのどん底にまで突き落とされます。それは残念ながらアイデアが不足しているのです。
そのためには、やはり時間が必要です。頭の中を一度リセットして、過去の自分を見直すのです。
――今日は長い時間、ありがとうございました!
「書家の強みと日ごろ意識すべき具体的なトレーニング」をテーマにしたインタビュー第2回、現代アートと書についてアツく語っていただいた第2回は3部構成に。中編は「現代アートをやる上で、そもそも書家である必要があるのか」「先生のコピーにならずに現代アートの作家を「育てる」ことができるのか」など、踏み込んだテーマをお伺いしました。インタビュー中編はこちらからどうぞ。
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山本 尚志(Hisashi YAMAMOTO)プロフィール/書家
1969年広島市生まれ。幼い頃に左利きを右利きに直すために習字塾に通ったことをきっかけに書道の世界へ。
東京学芸大学の書道科在籍中に井上有一の作品に出会い、20歳の時に自室で自身は「書家」であると宣言。また同年、ウナックトウキョウで井上有一の「夢」を80万円で購入。同ギャラリーで有一のカタログレゾネ制作に携わる。
2015年にウナックサロンで初個展「マシーン」を開催、2016年にユミコチバアソシエイツ(東京)で個展「flying saucer」、2017年に個展「Speech balloon」をギャラリーNOW(富山)、個展「バッジとタオルと段ボール」をビームスのBギャラリー(東京)で開催。
米国のアート雑誌「Art News」でも世界のトップコレクター200として何度も紹介されている現代美術コレクター、佐藤辰美氏。氏が社長を務める大和プレス編集により、2016年には作品集「フネ」(YKGパブリッシング)を発表。
✓ 参考リンク KEGON GALLERY 山本 尚志(Yumiko Chiba Associates)
みじんこは、書の未来に注目しています!ヽ(=´▽`=)ノ
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