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最適な画材を選び出すように制作者のステータスを作品に混ぜ合わせることを考える

みじんこアート

最適な画材を選び出すように制作者のステータスを作品に混ぜ合わせることを考える

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ロサンゼルスのチャイナタウンに、Good Luckギャラリーというギャラリーがあります。すごくおもしろい作品が多くていいなと思っていたら、取り扱いアーティストはadults with disabilities、障がいをもつアーティストなんですね。

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ただ、言われなければ作者のステータスは作品からそこまで感じ取れないと思うのです。

参考リンク  The Good Luck Gallery

なんだろう、なんだかとても気になる。

病気や障がいといっても、その中身は本当に千差万別で、ここからが「障がい」みたいな感じで線を引くことってできない気がするんですね。 あえて線を引くのであれば、赤い絵の具を赤だと思って使うように、そのステータスが作品に不可欠な要素であるといいなと思ったのです。

私の作品は鑑賞者が関われるものが多いのですが「鑑賞者」に対して、なんらかの分類を行うことはこれまでありませんでした。

好きな薬をつくれる作品はやったことがあるんですが、これは鑑賞者がもっているステータスを使うというより、鑑賞者に「医者」というステータスを付加した行為になります。 鑑賞者は作品に関わることで、創作者というステータスを自ら手にするわけなんですが、鑑賞者のステータス(職業や病歴、趣味、食生活などなんでも)を作品制作に必要な要素として取り入れることで、ステータスを画材化する(画材の拡張)ことはできそうだなと考えていますよ。

『ブルーピリオド』という藝大受験マンガに、大学の教授が「このテーマを油絵で平面で手仕事でやる意味があるか」と聞くシーンがあります。

ステータスを画材だと考えるのであれば、その作品がステータスによって強化されていないといけないし、そのステータスを作品が生きるために必要なものとして欲さないといけないです。

もっと言えば、アートは作者が常に作品に反映されるので、私自身がつくる意味があること、私によって作品テーマが強化されること、作品が私を欲していることがとても重要なんですよね。

だいたいのことは、私じゃなくてもつくれるし、そのほうがクオリティも高いです。誰かのステータスが作品に混ざる、私が作品をつくるということは、ステータスや私が画材として作品を構築することなんだよなぁと改めて思ったのでした。

『ブルーピリオド』がどんな物語かちらっと見たい人はこちらからどうぞ!

今日も読んでいただきありがとうございました!

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みじんこは、画材だよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「すごい画材だよっ。」
「いいやつだよー」

mijinconbi

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