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医療の未来はミスという概念がなくなって向こうから来てくれるようになる

  • 8月 12 / 2020
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医療の未来はミスという概念がなくなって向こうから来てくれるようになる

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「医療ミス」っていう言葉がね、とても好きじゃないんですよね。なんかすごい犯罪感が漂いませんか。隠ぺい感というか。「失敗を恐れずチャレンジしろ」って言葉をよく聞くようになりますが、ミスって失敗のことで、医療や交通など、命と直結する現場では、ミスはやっぱり許されないものなんですよね。

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動物病院とか個人病院がほとんどなので、あの先生が微妙みたいなのがネットで言われるようになってしまうと、リスクの高い病気の治療は避けるようになるし、そもそも臨床医をつづけられないということも出てくると思うのです。 命を扱う重大な仕事なのだから、続けられないやつはやめればいいって思う人が多ければ、医療に関わる人はどんんどん少なくなっていくはず。そういう声を発するということは、救急の患者さんの受け入れがなくなる可能性も考えないといけないかなと思います。 絶対にミスが起こらない医療というのが何かを考え始めた結果、私はアートをやっているのですが、医療というものがとても好きなので、社会にとっていい感じでちゃんと発展するといいなとも思っています。

「治療としてのアート」というのを最初のアーティストステートメントとして掲げながら考えてきたこととしては、素敵な絵や音楽によって癒されるというのもあるんですが、自ら創るという行為が、癒しの一つになるということ。創るってすごいクオリティーのものばかりじゃなく、Twitterでちょっとおもしろいことを言うとかも含めてです。
重い病気を家族や自分が抱えている時の問題点の一つに、世界が狭くなるっていうのがあると思うのです。病気のケアや介護に目いっぱいになってると、他の人のことや社会の未来とかたぶん、どうでもいいですよね。 2013年から、私は世界中で絵を集めるプロジェクトをやっているのですが、最初の頃は子ども病院でワークショップをしていたんですね。数か月単位で長期入院する子どもがいる病院でのワークショップです。 すごく興味をもってくれる子どももいれば、すぐに飽きちゃってつまらなくなる子ども、参加しないとやってる私が気の毒みたいに思って参加してくれる子とかがいるのですが、ただ線を引くっていう行為は、家族にとって必要なんじゃないかと感じたのです。
「創造」や「体験」という治療行為です。
プロジェクトは海外にまで持って行ってるので、自分の子どもの絵が海外に運ばれるという喜び、子どもの世話をずっとしてきてたご家族が、絵を描いている間は自分だけの時間が取れることが癒しになるのかなと感じました。

このプロジェクトは、東京都墨田区にある重度障がいのある子どもたちの施設「キッズサポートりま」の子どもたちが協力してくれてるんですが、ビートルズの歌を歌うコンテストに出すとか、大きいプロジェクトに参加できるときに、子どもたちも家族も喜びが大きいようなことをおっしゃってました。 ポジティブで有名な何かに参加するというのは、それだけで誇らしいし、それが癒しになる気がしたんですね。

「参加」という治療行為です。
最初の頃は創ることや味わうことが癒しになるような、アートセラピー的な考えをしていたと思うのですが、徐々に社会全体を生命体とした場合の癒し、というのを考えるようになりました。 というのも、私はもともと医療従事者(専門家)と患者さん、今すぐ医療が必要ない人との間に橋をかけたいという思いがあって、セラピー的なやり方だと患者さんへの癒しにはなっても橋はかからないんですよね。 医療ミスっていう言葉を変えるかなくすかしたいんです。今の「医療ミス」っていう言葉がもってるイメージが、医療全体にとっての幸福につながると思えないので。
同時に、「安楽死」「尊厳死」「自殺ほう助」とかも整理する必要がある言葉だなと思いました。 なんとなく、よく分からないから自分も「安楽死」でまとめて考えちゃってたんですが、外国人の受け入れもしているスイスの自殺ほう助団体のお医者さんは「安楽死」って言われるのを嫌っているようだったんですよね。 安楽死は医者が手を下すけど、自殺ほう助は本人の意志です。

「言葉の選択」という治療行為です。
みんなが食べられるようにお肉を準備する人たちが差別の対象になっていた時代がありますが、「殺す」っていう行為は差別の対象になりやすいと私は思っています。 「安楽死」は医者が最終的な処置をするので、求められていたとしても医者側のメンタルに負担がかかること、また関係ない人から差別的な偏見を受けやすいんじゃないかと考えました。
同時に、この「差別」というのが、社会という生命体がかかりやすい病気の一つだと思っています。性別だったり人種だったり、年齢だったり職業だったり、潜在的にもっている差別はなかなか自分で気づきにくいです。 2019年頃から「社会治療」っていう言葉をつくって、医療の未来について考え始めました。医療従事者と患者さんとどっちにも関わらない人たちに橋をかけること、医療の問題を全員の問題にできないか、みたいな感じのことを考え始めたんです。 社会治療は「すべての人が社会を治療する医者であり、治療された社会が私たち全員を癒してくれる」みたいな感じの概念です。

合わせて読みたい  社会を治療して社会に治療される医療について考える

もともと、医療技術は発展しても自殺者が多い現状があるということは、社会(自分の周りの環境)と合わないことは命を脅かすんじゃないかという考えはあったんですね。医療は個人の健康ではなく、その個人が置かれている環境を整備することや、合う環境に移動させることも合わせて考えないといけないんじゃないかなという感じで考えていました。 最初に私に個展の機会を与えてくれて育ててくれた美術批評家の海上雅臣さんが、現代アートは200年先の未来の概念を見せてくれるものだというようなことを教えてくれたことがありました。 アートを通じて、未来には常識となっている概念を先行体験させられたら、あるいは既存の概念を変えられたらと思っていたのですが、最近は「常識として誰もがもってるほど概念を変えるのは難しい」と思っています。 それができるのは科学技術だろうなと。パソコンやスマホができて働き方が変わるように、みんなの常識を変えるのは技術しかないと思うのです。
アートがやれるのは、既存の常識や倫理観でストップがかかりそうな詰まりを押し流す手伝いをすることと、一般に浸透するほどの技術をつくる人たちを鼓舞すること、あるいは日常を生きる人たちに自分の人生を創作するための示唆を与えることくらいなんじゃないかと。 それでも、私自身はヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻(誰もが社会という作品を彫刻するアーティストなのだ)」という考え方にとても希望をもらったし、希望になる概念を提示できるようになりたいなと思っています。

未来の医療は技術によってどう変わってくるかというのを考えると、
1)プラセボ(自己治癒力を高める)
2)病気になったパーツの取り換え
3)病気になる前に癒しが来てくれる
になるかなと考えています。

1)のプラセボはアートセラピーに近いですが、「創造」「体験」「参加」「言葉の選択」などによって自分で自分の治癒力を高めることです。 2)は先端医療で、たとえばiPS細胞研究の発展によって、病気になった臓器だけ自分の細胞から予備をつくって入れ替えるみたいな感じです。うまく取り替えられなければ、また入れ替えればいい、という状態になったら、「医療ミス」があっても「まぁ、取り換えればいいし、騒ぐほどでもないかな」っていうことになり、医療ミスっていう言葉自体の概念が変わるかなと考えました。 3)社会治療の効果としてなんですが、自分が弱る前に社会が自分を助けにきてくれるイメージです。自分が社会を治療しつづけておくと、自分自身が弱った時の癒しが向こうからきてくれるイメージです。 基本的に、病院って「病気になった人が自分で気づいて自ら行く」ものなんですが、弱る前くらいに向こうからきてくれたらとても助かりませんか。ネットショップで買い物してると「これもおすすめ」みたいにサジェストされますが、あんな感じで癒しをサジェストされ、向こうからきてくれる感じです。 社会が健康であればあるほど、社会全体の癒し効果が高まるので、みんなその意識でふだんから社会治療に取り組み、具合悪くなる前に社会が気づいて癒してくれるような暮らしです。

NLPという心理学では、「安心安全の場」というのをとても大事にするのですが、私はこの考え方がとても好きです。 おかしな行動や発言をしても阻害されない、誰かに合わせなくていい、尊重してもらえる、そんな空間なんですね。 ちなみに自分がアートをやっているのも「現代アート」という場がまさにこんな感じの空間だからです。
あるアートプログラムでADHD(注意欠陥・多動性障害)のアーティストにあったのですが、身体がふだんからめっちゃ動く人だったんですね。音楽が大好きでいつも乗ってる感じでした。その子が「会社員だとおかしいと思われるけど、今はアーティストだから、そのくらいのほうがかっこいいと思われる」と言っていました。 現代アートがもっと日常に浸透した社会は、個々のクレイジーさを尊重してもらえる社会です。それが心地よい人もいれば、そうではない人もいると思うのですが、人も病気も同じものはないというのが私の考え方なので、全員が現代アーティストであるというくらいの許容のしかたのほうが社会は癒されるかなと思っています。 これからの医療と自分がアートとしてやりたいことについて書いてみました。

月額3265(みじんこ)円支援してるよ!

物語(フィクション)から現実(リアル)につながってる試みとして、せりか基金がとても好きです。現在、月額で3265(みじんこ)円を支援しているのですが、無言で支援するのではなく、毎月2点、3265円の作品をつくって販売し、そのたびに告知もして、作品もせりか基金も知ってもらうというのをつづけています。もっと大きくアートを通じて医療支援したいなと思っているので、こちらはその最初の一歩です。

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今日も読んでいただきありがとうございました!みじんこは引き続き、応援をお待ちしておりますです^^

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みじんこは、癒しちゃうよ!ヽ(=´▽`=)ノ

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