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アーティスト・ステートメントとしての長編小説(物語)について考える

  • 3月 02 / 2020
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みじんこアート

アーティスト・ステートメントとしての長編小説(物語)について考える

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こないだまで行ってたブラジルで、セスックというアートプログラムに受かって助成金でリサーチしに来てるというポルトガル人アーティストさんに会いました。セスック…、聞いたことあったような、、と思ってましたが、どうやらCEAACと勘違いしていた模様。うーん、なんだろう、セスック。
しかし、彼女の話を聞いていて、自分のアート作品について改めて考えてみたのでした。

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戦ってはいけない分野

(セスックはともかく)彼女のプロジェクトを聞いて思ったのですが、私と同時に同じアートプログラムに応募してたとしたら、私のほうが負けちゃうだろうなぁと思ったんですね。理由は
1)技術
2)コンセプトに対するアプロ―チ
3)制作実績(過去の参考作品)
の3つの点で私は彼女に及ばないわーって思ったのでした。1は特に簡単に追い抜けない部分なので、後追いで始める場合は技術で勝負するのはキツイです。そもそも私は相当遅くから独学で現代アートを始めているので、美大生とまともにぶつかるような戦い方はしないぞ!と決めています(恐竜と戦うトカゲですよ)。
現代アートというジャンルはコンセプトさえしっかりしていれば、後追いでもそこそこ戦えるのがおもしろいとこなのです。そういう意味では広くいろんな人に開かれていて、さすがアートという感じです。日本はコンペに年齢制限が割と多いですが、海外レジデンスだとどちらかいうと「5年以上」「10年以上」とかミッドキャリア以上の経験を積んだアーティスト求む!のところのほうが多い印象です。(すごく多いわけではないですが、見かけるのはそういうくくりという感じ)
アート作品をつくる「技術」あるいは「コンセプトに対するアプローチ」として、今からやって他の人と対等に戦えるものはなにか。うまくいけばそれが3の実績になります。ここで私が考えたのが「物語」でした。

ステートメントってなんであるんだ?

アーティストステートメントって作家にとっては軸になるようなもので、自分が突き詰めるポイント、みたいなやつです。なにもないといろんなことをやりたくなったり、他の人がやってることがうらやましくなっちゃったりするので、あったほうが自分を突き詰めやすいんですね。個展とか展覧会の時にも展覧会用のステートメントがあり、「どんなテーマでやってます」みたいなことを説明するものとなっています。
他の人にとってのアーティストのステートメントって、「作品という暗く深い井戸に入るための鎖」みたいなものかなーと思うんですが、現代アートって基本的に意味わかんないので、そういうのがあるとゼロからでも考え始めるポイントが分かりやすい、みたいな感じです。タイトルもそうだと思いますが、ステートメントはもっと長い文章で説明されているので分かりやすいですよね。会田誠さんのステートメントとかすごいです。

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最近のOuma作品、実は作品が作品を説明するような構造になってるんですね。継続して作品を追ってないとなかなか分からないとは思うんですが。たとえば小品がつながって大きな1つの作品になる「系統樹」という作品があります。2017年から継続してつくってる作品ですね。


系統樹

んで、2019年の作品としてこんなのがあります。小さい作品がつながって全体として1つの作品になっていながら、「これは見る治療薬ですよ」と言ってる「視覚的治療薬」。系統樹と作品の構成が近く、違いはステートメントとして「処方」が書かれていることくらい。つまり、この作品があることで、系統樹も「視覚的治療薬」になりうることを表しています。同時に「系統樹」があるおかげで、「視覚的治療薬」それ自体が集合的生命観(小さい生命が集合して大きな1つの作品になる)を表すということです。


視覚的治療薬

作品ごとの相互作用を強めることで、ポートフォリオとして伝える作家のステートメントが強まればとの意図です。まだ始めたばっかりですが、今後もっとこういう感じの試みを張り巡らしてお互いを強めていこうと思っています。こういう関わり合いの中で、過去作品もモノの見た目は変わらなくても中身を育てていきたいと思ってるんですね。

誰とも戦わないために

ちょっと前の記事にも書きましたが、自分の細胞と対話する方法を「感覚」、社会と対話する方法を「感情」として定義してみます。感情を揺さぶるものとしては「物語」があるなーと考えたのですが、現代アート作品としての物語があってよいわけですよね。文学って呼ばれるものはもともとそうだったと思うのですが。
「戦略」って言葉がありますが、戦略は戦いを略すって書くので、戦わなくても勝てるようにするってことなんですよね。私が今からまともに現代アートをやってる人たちと対等に戦っていくのであれば、彼らが絶対にやらないこと、あるいは自分が得意な分野で勝負するしかない。
んでたぶん、アーティストステートメントとして長編小説を書く人っていないと思うのです。自分でやってみてすごく実感しますが、長編小説を完結させるってけっこう大変です。書き終えるっていう段階でできる人が少ないし、まともな現代アーティストならまずやらないです。だからこそ、戦わなくていいかなって思うんですね。(勝てるかどうかは知りませんよ笑)長い文章という意味では、オノ・ヨーコさんの「グレープフルーツ・ジュース」がありますが。
あらゆるアーティストがもつコンセプトは違うので、基本的にアーティストはオリジナルである限り誰とも戦わないと思うのですが、コンセプトの違いだけだと、見つかり方が遅くなりそうだな―って思うのです。見えない分、周りからは理解が大変ですし、ほとんどの人は無名のアーティストのコンセプトを丁寧に聞こうなんて思わないと思うのです。だから見栄えをなんとかしないといけないけど、現在、アートじゃなくても見栄えがいろいろのものってたくさんあるし、パフォーマンスもメディアアートもいっぱいあるし、使用素材を変えてユニークに見せようとしても、同じく新素材に負けちゃうから意味なさそうだなーとか。

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密度のある「無」

物語にしよう、というのは存在しないはずの世界と現実世界をつないでその境界をあいまいにするというのをとてもやりたいと思ってたからですね。同じコンセプトで宇宙兄弟というマンガの「せりか基金」が大好きです。せりか基金というのは、宇宙兄弟の登場人物で医者の伊東せりかさんの名前がついたファンドなんですが、作中でせりかさんが治療薬開発研究をしているALSの研究支援をしてるんですね。物語が現実世界とリンクしている感じが最高でとても好きです。
あと、日本文化の特徴って「詫び寂び」だったり「無/Emptiness」だったりあるなと思ってるんですが、「無」っていうのは、なにもないというより、密度があるもの、「存在感のある空間」だと考えているんです。そういう意味では、「系統樹」という作品では、空いた空間は「購入した誰か」の存在を感じさせます。こうして考えると「物語」ってもともと存在しないはずなのに、登場人物がリアルに存在している気がしてしまうものです。登場人物とともに泣いたり笑ったりしてしまうんですから。そして脳はこうした「空想」と「現実」をそもそも分けて認識してないんですよね。

というわけで、戦わないための「物語」、日本文化の解釈としての「物語」、社会との対話としての「物語」を考えています。ただ、この方向性は私にまだまだ筆力がないのと、どんな反応が得られるか分からないので地道にやってどうかなーっていう感じです。
将来的に実在の都市をモデルにした医療テーマの物語を書き(「夜の案内者」のような)、その都市を縮図にしたようなインスタレーションを物語上でつくり、さらにそれが現実世界でもつくられるようになるといいなと思っています。とめどないかんじになりましたが、社会と都市と医療について、今はそんな感じで模索中ですよ!

今日も読んでいただきありがとうございました!これまでの活動経過はホームページから見られるのでもしよければ見てやってください。

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みじんこは、実在してるよ!ヽ(=´▽`=)ノ

みじんくん と みじこちゃん

「太ったよっ。」
「顎がなくなったよー」

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