数年前、Tokyo Midtown Awardに応募して落ちたことがあります(落ちてんのかよ!)。しかし、その時のファイナリストの作品プレゼン会を傍聴する機会がありました。コンテンポラリーアートをやっていると、作品の意図について求められる機会は非常に多いです(海外・国内問わず)。ギャラリストやキュレーターだけでなく、買う側であるコレクターからも。さまざまな質問をしてくる人は、ふだんから多くのアーティストに質問し慣れている。つまり、他のアーティストと「比較」ができるのです。
自分の作品、そしてプレゼンが他の誰と比較されても戦えるか。今回は、ファイナリストの作品プレゼンや審査員から投げかけられる質問を聞いて、重要だと思ったポイントについてまとめました。
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1)実現可能性と安全性
「企画」段階でまだ制作していない作品の場合には、期日までに制作可能かどうか、現在の技術で実現できるかどうかが問われます。そもそも「できるかどうか」です。基本的なことですが、大掛かりな作品の場合は特に、思ったよりコストがかかってしまった。できそうに思えたけどできなかったということは起こりえます。プレゼンの際には、過去に制作した類似作品などがあると説得がしやすいです。
また、公共の場に設置が決まっている場合には、安全面についての考慮も重要項目となってきます。ダミアン・ハーストの作品からホルマリン臭がもれている!と一時ウワサになっていましたが、企業や組織が絡んでいる場合、安全性は彼らの信頼にも関わってくることです。
✓ 参考リンク ダミアン・ハーストの真っ二つ牛から毒ガスが出ていた!
この「実現可能性」というのは、作曲の世界でも同じだそうで「この楽器ではこんな奏法はできない」という旋律を書いてしまうとその段階で作曲のコンペでは落とされてしまいます。弦で弾くバイオリンと指使いのクラリネットではできることが違いますよね?そのため、友人の作曲家は各楽器を安いものでも自ら購入し、その楽器で実現可能な旋律かどうかを確かめていました。
2)現代性、制作動機、モチーフへの深い思索
「なぜ今、それを創る必要があるのか」
コンテンポラリーアートというのは、日本語でいえば「現代」アート。わざわざ「現代」という名前がつけられているということはつまり、アートという広いジャンルの中でも特に、「現代性」を示すものということ。
これについて岡田斗司夫さんが非常に分かりやすい表現をしていて、現代アーティストは「将来(歴史)のしおり」となるアートをつくろうとしていると言ってます。この時代ってこんなだったよねーと作品を通じて100年後の人が振り返ることができるということ。そういう意味で、自分の作品は現代のどの側面を表しているのか、たとえば印象派の作品が好きな人が印象派っぽい作風の作品を描いたとする。たとえ作品が素晴らしかったとしても、印象派そのままの作品を「今」創る必要があるのか。
この点について、「現代アート」ではなく「現在アート」になっている作家がいると指摘していたアート関係者もいたので、現代アーティストとして、時代を「点」ではなく、ある程度の期間をもった「面」で見る必要があると感じています。
また、作品はその制作過程を示すことによって、作者が伝えたいことや作品に賭ける情熱がよりよく伝わります。世界堂で買った絵の具で描いています。と言われるより、たとえば一度乾燥させた絵の具を自ら粉砕して糊を混ぜて使っていると言われる方が手間がかかってると感じますよね。その過程が作品コンセプトに沿っていると、作品の説得力が分かりやすく増します。素材だけでなく、見せ方の工夫などギミックも説明する。審査員プレゼンの場合には、言わないと気づかれないことも往々にしてあるからです。説明する機会がある時(特にコンペ)には、意図をもって仕掛けたことは全部説明すること。
また、特にコンペの場合ですが、自身のチャレンジポイントを聞かれることがあります。
そして、これらすべての土台になるのが「アートとはなにか、という定義を自分自身でもっていること」です。
✓ 参考リンク(岡田斗司夫ゼミより) 岡田斗司夫・村上隆と東浩紀について 「村上隆はド突き合いながらアートやってるんだぜ。」
3)ミッドタウンで見せる理由(サイトスペシフィック性)
アーティスト・イン・レジデンスの応募もそうですが、コンペ的なものではほぼ必ず聞かれるのがこれ。
「なぜここでやりたいの?」
ミッドタウンという場所、六本木という土地。ここにその問題・アートを持ち込むのはなぜか。
サイトスペシフィック性を加味した企画を組み立てる時には当然、現地のことを調べます。海外応募の場合には、日本との関係性・日本との違いということも考慮します。アジアなど近隣諸国の場合には歴史的な関係性も深いのですが、遠く離れれば離れるほど、日本との関係性は薄くなります。また、東京のような情報の多い大都市ならともかく、マイナーなエリアだと現地出身でなければ、なかなか的を得たポイントを見つけにくいです。知り合いに出身者がいるようであれば、聞いてしまうのがいいかもしれないですね^^
このサイトスペシフィック性は作品と場所との「マッチング」の問題なので、マッチングがうまくいかなかったからといって、作品自体が劣っているわけではありません。また、コンペは何度出してもいいわけですから。気になるコンペがあるなら企画を変えて毎年応募すればよいと思います。(私も毎年応募して落ちつづけているものがあります)。そうして考えておいたアイデア自体が、自分の中にストックとしてたまっていくことのも大事なこと。
✓ 参考リンク Tokyo Midtown Award
4)素材がもつ意味
作品コンセプトにも関わってくることですが、なぜその素材を選んだのか、その素材である必要があるのか、どこから来たものか、性質は。そもそもその素材・パーツは必要か。油絵は油絵の具で描くもの。日本画は日本画材で描くもの。それ以上に疑問をいただき、再考することがなければ、それは誰かの定義した枠の中で作品をつくっているのと同じこと。自分の作品は、その隅々まで自分の意図が乗っているのか。こういうことを考え始めると、作品づくりは格段におもしろくなってきます。なぜならこれは、見えている画面以外の部分をつくり込むということだから。海面から飛び出た氷山の海の中の部分、すべての形状を知っているのは作家しかいない。そこが作家の特権であり作品づくりのおもしろい部分でもある。
そして私は、海面下の氷山の在り方を鑑賞者にゆだねることで、自分自身も分からない状態をつくり上げようとしています。
補足)作品の展示イメージ
企画段階の作品を示す時には、作品の展示イメージと現場の写真があると相手との意識共有がしやすいです。キャンバス画や額装などの場合はまだいいですが、特にインスタレーションは展示が複雑です。吊るすのか置くのか、人が触って大丈夫なのか、作品を囲って人が入れないことを明示すべきなのか。必要な什器や展示場所での実現可能性について綿密に打ち合わせる必要があります。そういう時に過去作品と展示場所を組み合わせたイメージ画があると、相手にこちらの意図が伝わりやすく、打ち合わせがスムーズにいきます。
説明ができるというのは、それだけ作品を考えつくしているということ。しかし、作品を超えて説明が増し増しになっている状態も好まれないように感じました。あくまで説明は作品の補助。作品が立っていなければ説明でそれを補うことはできません。同時に、少し見ただけでは気づかれないようなギミックを入れている場合には、それを説明する必要も出てきます(あくまでもコンペの場合。展覧会オープニングなどは作家の意図によって説明しつくさなくてもいいと思います)。
また、「感覚で描いている」というのも良いのですが、その場合はその感覚が誰よりもぶっちぎりで飛びぬけていないと説得が難しいです。そしてこれだけさまざまなアートがネット上で見られるようになってる現在。誰よりもぶっちぎりで飛びぬけるというのは本当に難しい。飛びぬけているならすでに誰かから声がかかってるはずです。
粛々と自分ができることを積み上げていくというのが、凡人のやり方。プレゼンは修正を繰り返しながらやっていけば、誰でもできるようになる。自分でできない人は、人に土台をつくってもらったのを暗記したっていいんだから。作品はそのプレゼンによって説得力が増す。才能があれば説明なんてなくても人がひれ伏すかもしれない。莫大なお金があれば、オーダーでインパクトのある巨大作品をつくれちゃうかもしれない。でもどちらもない場合、今、自分ができることを地道に修正、積み上げていく。そうしてやっと、自分のために足を止めてくれる人が現れるのです。
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みじんこは、アート作品が大好きです!ヽ(=´▽`=)ノ